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究極の悪とは――存在について――
《Q:悪は 存在しない》=http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4642854.html を承けて あたかもその一見 例外であるような形態を この質問で 取り上げます。 ○ 《究極の悪(または 人間にとっての真の敵)》とは 何か。 ○ じつは 神学には 悪の究極の形態について 理論がつくられています。その実在性を問います。 悪は こころのへそ曲がりに発します。うそ のことです。 ウソと言う限りで ウソでない心のありか または あり方があるはづです。それを 善と呼ぶとすれば 悪は 善のひねくれ・ねじ曲がりであり それが くせとなれば 善が損傷を受け 欠けていきます。 つまり 悪は 悪というものが なにか・どこかに 他の一切のものから独立して存在するのではなく 善が減少していくにつれ 現われると考えます。自然本性と言うべき心としての善が減ること・また善を減らすこと これを 悪と呼び 善が減った状態のことも 悪と呼ぶという見方です。 さすれば 悪の究極とは 人間存在にそなわった善が すべて 欠如した状態を言うと推し測られます。 これは 単純な例として 身体の抹殺(つまり 殺すことですね) あるいは 精神的に 無視し無関心となること(あるいはつまり 虫けらとして ひとを扱うこと)を挙げることができます。 言いかえると 悪の究極とは 身体にとっても精神にとっても 死のことです。存在の消滅のことです。 ところが 《悪は 存在しない》という基礎命題は この究極の悪としての《死》が死ぬということを 内包しています。善が欠けただけなのですから 埋め合わすことができるという主張です。減った分を 増やせばよいとなります。すっからかんとなって なくなっても まだなお 善を回復すればよいという考え方です。 ここで 悪の究極の究極とは この《〈善の完全な欠如である究極の悪である死〉が死ななくなる》ことだと言います。初めの死が 第一の死だとすれば その死が死ななくなるということは 死の確定・固定を意味するようです。つまり 善の欠如のままであるという意味です。 これが 《第二の死》と呼ばれる《とどのつまりの悪》だという説明です。俗に言う《生けるしかばね》でしょうか。 果たして この もはや元の善に戻ることのない《第二の死》としての最終的な悪は 実在するものでしょうか。ぜひ ご教授ください。 * わたしの感触としましては いまのところ このように《第二の死》としての悪が 想像上で考えられているというその理論を知れば 初めの善なる存在ないし《わたし》に戻ることができる。というふうに捉えるなら それだけで じゅうぶんなのかも知れないという捉え方です。果たして どうでしょう。お知恵を拝借します。
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オコリザルです。 前に反物質おばけってのを話した憶えがありますが、このおばけは反物質についての論理武装をした特異な知性でした。 私は無学なのでその手の知識はありません。要するに経験に無い自らが生み出したものでない魔物でした。 このおばけは光、神、存在、あらゆる面で人知に想像しうる正反対の性質を備えた知性です。地球上の生命に想像しうる第二の死を、いわば転生の目標とした困った存在です。 お相手はメチャンコ悪魔君が担当しました。 このおばけには言葉がありません。 マナ識の、要するに私自身の声の、代理として、メチャンコ悪魔君がその知性を解きほぐし復活蘇生させました。 神様がいずこからか連行してきた縁の無いおばけでしたが、私の脳と体はこのおばけに反応しましたので生命に内包しうる知性でもありました。このときの脳の反応が、(エヴァンゲリオンみたいに)知性の暴走により無意識が浮き彫りになる状態です。 人間の手で克服することが人間の普遍性を記憶する上で重要であったと推測します。 primeapeなんて気取っていますが実際は神様のモルモットです。 第二の死の究極の姿さえも救いえます。 ですから勝負は全て買って下さい。 無意識の話ですが個を超えて連携している無意識は地上で起きている事象で理解できないことは何も無い状態にする目標でしょう。 理解の行き届かない影が闇の子です。
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- maimaisus
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maimaisusです。 >あなたの日本語が分かる人がいたら 逆立ちしましょう。 アハッ、その点に関しては、今更って気もしますが、悪意はないことだけは、解ってくださいね。 私は、お力になれませんでしたが、これからもがんばってください。 あ、これ含みないですよ、そのままですから。 ではでは。
- maimaisus
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maimaisusです。 ☆ であるか はっきりと きちんと 精確に 明らかにしなさい。 この話は、質問 あなたは救われていますか。でbrageloneさんが理解できないということで、話が終わっています。 なので、brageloneさんに対しては、きちんと 精確に 明らかにはならないと思います。 確かに私は古臭く、片寄のある、考えかたとは言いましたが、全てが間違いだとは、言っていませんよ。 ま、それでも、brageloneさんが、自分の考えを進めていき、何かを気がつけば、良いと思い、brageloneさんの、理論に合わせ、回答させて頂いた訳です。 それと、 >☆ どこが 《なので》なのですか? ひとに《非がある》というときには どこの何が なぜ そうなのかを明らかにして 伝えるものです。 これは、 > ○ 質問の答えは まだ 出ていません。ただし その趣旨には 賛同します。しかも その趣旨説明は まだまだ 一般に 理解されていないところがあるように思う。たとえば これこれの点だ。どうでしょう。 に対し、 なんてことは、全然、思いもしていないので、あたかも、私がそう考えているような、造り、変な思い込みは止めてくださいね。 と言う、事柄で伝えてますよ。 あとですね、 >☆ 哲学の理論に 《妥協》はありません。応用に際して 人間の状態・境地・そのときの情況に応じます。これだけ長く同じことでも 伝えているということは 大幅の《譲歩》だと思いなさい。《理解》すべきところは して来ています。 《理解》出来ていないから、長引いているのですよ。 と言うとまた、どこの何が なぜ そうなのかを明らかにと言われそうなので、言っときますが、この文章の上下の内容が、理解できていない処です。 それに、 >いちど非を認めたのは うそだったのか。 このことに関しては、後の回答欄で、 >私は、自分の悪い処を、謝っただけです。 誤解を生むような、そう言う書き込みは困るんだよね。毎回思うのだけど。 と、言っているでしょ。 もう一度言います、私は、自分の悪い処を、謝っただけです。 そして、 >わが神がほほえんだ人を 無下に 締め出すわけには行きませんな。 に対して、 >誤解を生むような、そう言う書き込みは困るんだよね。 と抗議していた訳ですから。 そう言う点においては、brageloneさんの非ではないですか。
お礼
あなたの日本語が分かる人がいたら 逆立ちしましょう。 ★ (No.56) sonoma52ma氏の狙いどうり、削除ですな、この質問。 ★ (No.61) ちなみに、No.60の質問回答は、全部規約違反です。 ★ (No.62) 〔デーモンがどのこうのとか〕 規約がどうこうは二の次ですね。 ☆ 《Q:あなたは すくわれていますか》の最後のやり取りでのわたしの応答を 掲げておきましょう。 ☆☆ (No.48)~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ maimaisusさん ご回答をありがとうございます。 ですが どうも 堂々めぐりのようですね。 もともと ★ ただのい炉端会議 ☆ ですから どうお応えしてよいやら 何もないのです。 ★ 今までの回答の中に、答えはあります、そう言った質問が出ること自体が、理解といいますか、認識すらしていない証拠ではないでしょうか。 ☆ そうなんですか。弱りましたね。もう根気が続きません。お手上げです。すみません。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
- maimaisus
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maimaisusです。 あのですね、 > ○ 質問の答えは まだ 出ていません。ただし その趣旨には 賛同します。しかも その趣旨説明は まだまだ 一般に 理解されていないところがあるように思う。たとえば これこれの点だ。どうでしょう。 なんてことは、全然、思いもしていないので、あたかも、私がそう考えているような、造り、変な思い込みは止めてくださいね。 少々言い方は良くないですが、むしろ、 そんな、古臭く、片寄のある、考えかたは、これからの人間の考え方としては、より多くの人間の持つべき基準としては、相応しくない。 と思っている訳です。 しかし、そんな事をサックと、言っても、brageloneさん自身が、受け入れられないと思い、それこそ、意味がないので、今回の、質問からは、brageloneさんの理論の、矛盾点を、解決するべく、回答させて頂きましたが、どうやらそれ以前の所で問題があったようですね。 なので、伝える私の方にも非はありなすが、受け取るbrageloneさん自身も非を認めになってはいかがですか。 そう言う意味で、お互いの妥協や譲歩、理解はあって良いと思いますよ。 自分は良くて、人はだめでは、人間関係成り立ちませんしね。
補足
maimaisusさん ご投稿を寄せていただくことに感謝を申し上げますが そのアドワ゛イスには 中身の説明が いっさい ありませんので そのことを 繰り返し繰り返し お伝えしております。 今回も 同じことの繰り返しです。そこは 質問者という立ち場のつらいところ 甘んじて きちんと 述べなければなりません。 ★ 自分は良くて、人はだめでは、人間関係成り立ちませんしね。 ☆ そんなことまで 確認しなければ話をすることができないのですか。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ そんな、古臭く、片寄のある、考えかたは、これからの人間の考え方としては、より多くの人間の持つべき基準としては、相応しくない。 と思っている訳です。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ したがって どこが ★ 《古臭く、片寄のある、考えかた》 ☆ であるか はっきりと きちんと 精確に 明らかにしなさい。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ しかし、そんな事をサックと、言っても、brageloneさん自身が、受け入れられないと思い、それこそ、意味がないので、今回の、質問からは、brageloneさんの理論の、矛盾点を、解決するべく、回答させて頂きましたが、どうやらそれ以前の所で問題があったようですね。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これを 支離滅裂と言うのですよ。 ★ なので、伝える私の方にも非はありなすが、受け取るbrageloneさん自身も非を認めになってはいかがですか。 ☆ どこが 《なので》なのですか? ひとに《非がある》というときには どこの何が なぜ そうなのかを明らかにして 伝えるものです。何度言ったら 分かるのかい。 ★ そう言う意味で、お互いの妥協や譲歩、理解はあって良いと思いますよ。 ☆ 哲学の理論に 《妥協》はありません。応用に際して 人間の状態・境地・そのときの情況に応じます。これだけ長く同じことでも 伝えているということは 大幅の《譲歩》だと思いなさい。《理解》すべきところは して来ています。 ★ 人間関係成り立ちませんしね。 ☆ にしているのは あなたであることを知りなさい。わたしが いつ 自分が まちがっているところを まちがっていないと言って 我を張りましたか。 いいかい maimaisusくん。こうやって 話が長引いているのは そもそも きみが 《この質問は 規約違反だよ》と言ったそのことから 再び 始まっているのだよ。話が 違ってきているではないか。そのこと一つとっても きみは 信頼関係の問題では ひとこと 触れていても おかしくない。それも出来ないで 何が 人間関係が成り立つ成り立たないがあるもんか。あるわけないであろう。いちど非を認めたのは うそだったのか。
オコリザルです。 私とbrageloneさんの論議では1つ接点すらない言葉があります。 それは、嘘に対する見解です。 無意識。つまり心象に取り組んだ私にとって、そこは嘘すらも本当になる世界です。 悪ははったり。 つまり悪は嘘であるならば、その嘘がまかり通るのは心の中のみです。
お礼
つづいてです。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ そこ(無意識)は嘘すらも本当になる世界です。 悪ははったり。 つまり悪は嘘であるならば、その嘘がまかり通るのは心の中のみです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これも 簡単です。 ○ うそ と言うからには ウソではないものがある。 ○ あるいは ウソをつくなら 心に 何がしかの やましさを感じる。こういう言葉はあまり好きではありませんが 或る種の罪悪感さえ感じる場合がある。 ○ このように 《まこと と うそ》を区別し 善と悪とに判別します。 ☆ すなわち ★ 嘘すらも本当になる / 嘘がまかり通る ☆ というのですから ○ うそであることは 知っている。本人は 知っている。 ☆ これだけで 善悪の判断には 間に合うと考えますが どうでしょう。 うそを認めなければ 事態は 複雑になりますが 本人には 到って かんたんなことです。何の問題もなく ウソはウソ 悪は悪です。 どうでしょう。
補足
補います。一応の結論が 削除になりましたので 再掲載します。 ▲ 《ワルプルギスの夜》――『ファウスト』―― ☆ ここでは デーモン(悪鬼たち)が踊り出すのです。 文体としての自己表現の過程における 性関係とその自治の問題は とうぜん 広く政治関係たる共同自治の問題と 根は同じです。人間関係としての愛一般の問題です。しかも 政治において または 政治との関係において 狂気が 発生します。 この時この情況の中で わたしたちは 《押してるつもりで 押されてる》と気づくことがあります。みづからのあやまちも然ることながら 到るところで――《坊っちゃん》のように―― 欺かれます。とき 死にます。第一の死です。 しかも 光の子らであるわたしたちは 暗闇の夜へとは連れていかれずに つぎの朝をむかえ 日々生きている。以前のように・いつものように 自己表現としての文体を押していく。《押してるつもりが押されてる》結果を招いて第一の死を味わったとしても この意味で おそれない。あるいは もともと かかわっていない。 わたしたちは 到るところで このように欺かれるが 欺かれることを欲していないという自然本性〔の意志〕は無力ながら あざむかれ得ない。有効である。善は 保たれている。このささやかな生活を わたしたちは 堂々と すすめていく。 自然本性が みづからの自由意志によって うそへ傾き うそにメッキをほどこすおのれの《神学(善悪観)》をこしらえ それが 思念や観念のデーモン(意識作用)となって 停滞する。つまり 死ぬ。 この無効の・停滞する・死の文体が しかも 既成事実とその権力関係の上で 実効性をもって いわばデーモンからは観念の放射線(または 意識の排泄)を飛ばして 有力な政治の王国を築く。このとき かれらは 或るファウストに出会うと そのデーモンが 踊り始める。 そこで 観念のねじ曲げによって死んだ善なる自然本性のその死が 死ぬ人と なお死なないようになる人とが いることになる。いわばわれわれおのおのの精神の政治学過程において 肉の眼でではなくこころの眼で このことを わたしたちは 直視しなければならない。(実際には 《第一の死が死なないようになったという観念や思念つまり悪魔 のとりこになる》という意味である。人じたいが 悪魔にはなれない)。 わたしたちは デーモンの踊りも再発狂も おそれないが デーモンじたいは それとして おそれる。良心のためである。ここで良心とは わたしたちのそれではなく――なぜなら それは すでに健全である―― そうではなく かれらの良心のことである。なぜなら 注意を怠らずに 光の子らへの道を指し示してやらないと わたしたちが 責めに任じなければならない。 無理なら無理で いいのだけれど あとに悔いを残さぬようには 心を傾けても わるくはない。ただ触媒としてあり続けるだけではあるが おそれるかぎりで 推移を見守り 新しい展開を 直視してみなければいけない。デーモンによる第一の死が 死ぬ人と 死なないようになる人とが いることを。 わたしたちの生活! このように――だから むしろ 何もしないで――すすめていくわたしたちの生活。概念を用いるとき メッキとしての恰好をつけたアマテラス語の観念へ停滞していかないし そのように スサノヲ人間語として息づいているとき 停滞することを知らないのだが それゆえにこそ デーモンの停滞をおそれる ところのきよらかな心の自由。いまだ無力の しかも のぞみにあふれる有効な 自由。 へそ曲がりの観念の死が 死ぬことは つまりだから デーモンがほろびることは その人にとって 有益である。その死が 死なないようになる人が わざわいである。かれらは じつは その第一の死が 死んだというように 自己の姿を見せかける。つまり 生き還っていると見せかける。自己にとって有益で有効な 精神の政治学過程が 心に あらためて 生起したと見せかける。 《わたしの死は 死んだ。とにかく わたしは死んだ》と 正体不明の・悪魔なる観念=メフィストーフェレスのちからを借りて 或るひとつの見せかけの正体をあらわす。これが 言わずと知れた アマテラス語による人格像 もしくは 道徳規範である。・・・《ルール》とも言うようです。
オコリザルです。 そろそろ一区切りですね。 補足要求です。 悪は絶対であるとお考えですか。 又はそのような論理の簡単なほころびとして、悪は絶対と並びうるとお考えですか。 この補足要求には予めわたしの意見というか経験を通した見解として、 「悪ははったり」 と言うのをコメントしてあります。
お礼
primeapeさん 今は 21日(土曜日)の夜です。 この質問を締めて 次の質問へ移りました。 いくらか 中途で締めたかも知れませんが あしからず 次へ移ってくださるよう お願いします。
補足
primeapeさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。 この点は かんたんです。 ○ 悪は 存在の生物学的および社会的な生命のとうとさという善を欠如させることです。 ○ この善の完全な欠如は 究極の悪であり 人間にとって 第一の死です。 ○ ちなみに 《善の完全な欠如》を ほかの人に与えるのも 自分に与えるのも 同じ悪です。ほかの人を殺すという第一の死は そのまま 殺した人間にも その時点で――《存在の関係性》において―― 当てはまります。自分にこの第一の死を与えること つまり 自殺は その時点で 同じく ほかの人にも――《関係性としての存在 つまり 愛の問題》としては―― 与えてしまいます。 ○ 第一の死が 一般には 元の存在の善という基礎に立って 死ぬと考えられます。元の善が回復される。 ○ 元に戻らない場合は 実際に あるかが 問い求めの中心だったわけですが もし 戻らないとすれば それは 《第一の死の確定・固定》として 論理的には もはや 《絶対》です。 ○ つまり 《第二の死》は 論理上 絶対です。 ○ おそらく しかしながら この場合 《絶対》と言っても 人間存在が 永遠ではないからには その思念ないし観念が 人から人へ 世代を超えて あたかも 永続するということであろう。 ○ したがって 厳密に言えば 《絶対》ではない。第二の死 もしくは 悪魔 これは その意味でも 思念や観念であり その社会的な共同性をも帯びて 幻想である。 ○ 悪 特にその究極の究極としての第二の死という悪(悪魔)は 人類が 世代を超えて 永続する限りで あたかも永続しており 《絶対》であるように見える。 ☆ このように考えます。したがって ★ 「悪ははったり」 ☆ にもつながります。 ★ そろそろ一区切りですね。 ☆ 今回の質問は 今までにない事件が起こりました。primeapeさんなら それは 想定内だと言ってくださるでしょう。 問題は それよりも ○ 《悪魔は はったり》ですが 《悪》は 具体的に 意志のへそ曲がりから始まって 現象としては 実際です。 ☆ この問題が 消えたわけではないことが ひとつです。 もう一つは ローマ教会が 教義として 《悪魔》を 実在としているのではないか――それは 《エクソシスト》が まだ 《活躍》しているのではないか――という問題です。 《意志のへそ曲がり》ないし うそ の問題で 次にも 投稿をもらっています。
- maimaisus
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maimaisusです。 ☆ 何も《言っても》いないということに 気づくべきです。 言ってますよ。brageloneさんが理解していないだけです。 そもそも、この後の文章、 《あまえさんと おれとは 意見がちがうよ》と 言っているだけです 自体が勘違いか思い違いです。 私は、 文章の意味が正しく伝わっていない。 という事を言っているのですから。 それに、 >人と人とが 考えが違うということは むしろ 初めの前提です。だから 話し合うのです。わたしのほうは すべて 話しています。そのどこが違うのか。たしかに その箇所は 引用で掲げてありますが どう違うのか なぜ違うのか まったく 明らかにしないままに ここまで来ています。 そういうたぐいの人びとが ★ 正直、世の中、色んな争いが絶えませんが、こう言うような事も、原因の一つなのでしょうね。 ☆ と勝手に 理屈をつけて 争うのです。それだけのことです。 みたいなこと書かれると、私が何の理由もないのに、争いごと起こしている人みたいに、他の回答者の方に受け取られかねないので、変な引用は、避けた方が良いとおもいます。人として。 ☆ いったい どこが 《変》なのか。どうして 《焦点がずれている》のか。これだけ やり取りをして来て いっさい 言ったためしがなかったというのは いったい どうしたことでしょう。 何度も言いますが、説明はしています。brageloneさんが理解していないだけです。 私はbrageloneさんご自身の理論の探究に、お手伝いしているだけなので、話が通じないという事は、brageloneさんに害こそあれ、いい事はないと思うのですよね。 なので、単に退散すると言っただけのことです。 >☆ という言葉が 意味のない批判を含んでいるのに対して そんな風には思っていませんよ。 あまり偏屈に受け取らないで下さいね。 では、失礼します。
お礼
maimaisusさん アドワ゛イスをありがとうございます。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 私は、 文章の意味が正しく伝わっていない。 という事を言っているのですから。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ たしかに 以前の投稿で そういう趣旨であることを聞いたように思いますが そのときも 説明はありませんでした。 今回は 初めて その趣旨であることを聞きました。 ★ 何度も言いますが、説明はしています。brageloneさんが理解していないだけです。 ☆ たしか 《善の完全な欠如》の状態に到ると 《無》であるのではないか / 《無》であると ひとは 採ってしまうのではないか という内容のご指摘がありました。そして そのことを明らかにしておくことは 重要であろうと わたしも応じました。 でしたら そのように さらに新たな指摘があるのなら それをおしえてください。ないのに もしくは 説明を伴なわないのに 《説明はしています。おまえさんが理解していないだけだ》と言われても もう あほらしいだけです。なんで これだけ長く むだな話がつづくのですか。 あるいは こう述べて投稿すれば よいのです。 ○ 質問の答えは まだ 出ていません。ただし その趣旨には 賛同します。しかも その趣旨説明は まだまだ 一般に 理解されていないところがあるように思う。たとえば これこれの点だ。どうでしょう。 ☆ こう言えば いいのです。 どれだけ ★ 失礼 ☆ が続いたことか。
- maimaisus
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maimaisusです。 いやー、本当に申し訳ないです。 ここまで話が通じないと、どうにもならんです。 正直、世の中、色んな争いが絶えませんが、こう言うような事も、原因の一つなのでしょうね。 あまり、変に、物事捉えない方がいいですよ。 焦点が、ずれていますよ。 >(5-1) 含みがなく 《あらためて思うけれど われわれ人間はどこか 到らないところが あって これは 驚くほどですな》と問いかけた場合。《そうですな》と応じるはづである。それ以外に あり得ない。 >☆ この場合も 《ある程度》がくせものなのです。《ふくみ》があると 《そうとう程度》に広がり 果ては 《全部》 軍門にくだったというふうに相手は 解釈するというものです。取り返しがつかない場合が しばしばなのです。 >つまり わたし bragelone が 到らないところがあるのだから 相手に 多少の到らなさがあっても――ということは 回答内容において むしろ基本的な弱点があったとしても という意味ですが―― そのときにも 大目に見て >例外だとか ゆるく扱ってもよい場合だとか そういう場合には とうぜん そのように わたしは そして 哲学も 言って来ています。みんなが 証人です。このきびしさが いやなら わたしの質問には 答えられません。切られます。しかも しっかりと その理由を 説明しています。いままで 切られた人は きちんと その理由が飲み込めたからこそ 去って行ったのです。心のきよい人は 何べんでも 挑戦して来てくれます。心の より少なく清い人は もう 訪ねて来ません。ただ そういうことであるだけです。 それは、変な思い込みです。 ご自分にはご自分の理屈で話しておられ、自分自身は、それで納得していても、周りの人間も同じだとは限りません。 とまあ、言っても無駄なので退散します。
お礼
maimaisusさん ご投稿をありがとうございます。 ★ とまあ、言っても無駄なので退散します。 ☆ 何も《言っても》いないということに 気づくべきです。 《あまえさんと おれとは 意見がちがうよ》と 言っているだけです。理由も根拠も説明せず しかも どういう内容のことかさえ 明らかにしていません。 ちがう ちがう わたしのほうにも 多少の気づかいをしてくれたまえ と言い続けてきただけです。 人と人とが 考えが違うということは むしろ 初めの前提です。だから 話し合うのです。わたしのほうは すべて 話しています。そのどこが違うのか。たしかに その箇所は 引用で掲げてありますが どう違うのか なぜ違うのか まったく 明らかにしないままに ここまで来ています。 そういうたぐいの人びとが ★ 正直、世の中、色んな争いが絶えませんが、こう言うような事も、原因の一つなのでしょうね。 ☆ と勝手に 理屈をつけて 争うのです。それだけのことです。 ★ あまり、変に、物事捉えない方がいいですよ。 / 焦点が、ずれていますよ。 ☆ いったい どこが 《変》なのか。どうして 《焦点がずれている》のか。これだけ やり取りをして来て いっさい 言ったためしがなかったというのは いったい どうしたことでしょう。 わたしの見解を飲めと言っているわけではありません。批判すれば いいのです。できない言いわけを 《変だ / 焦点がずれている / 話が通じない / 言っても無駄》と 意味のない言葉を連ねて 述べたように思っているだけです。できるのなら それを 表現したまえ。 と これは ★ 退散します。 ☆ という言葉が 意味のない批判を含んでいるのに対して 述べ返したものです。引きとめたり追ったりするのではありません。
- maimaisus
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maimaisusです。 そう言った、意味でNo.60の話を例題に挙げた訳ではないんですよ。 私も至らない処もありますが、brageloneさんも至らないところがあるね。 それはこう言う処だよ。 って話なんですけどね。No.61は。 信頼関係を大切になさるならば、そう言った処も大切だと思いますよ。 相手の話をある程度理解しないと、お話にならんもんです。 デーモンがどのこうのとか規約がどうこうは二の次ですね。 そう言う処、理解してほしいですね。
補足
maimaisusさん ご投稿をありがとうございます。 ☆ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 私も至らない処もありますが、brageloneさんも至らないところがあるね。 それはこう言う処だよ。 って話なんですけどね。No.61は。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは 前々から 起きていますが 非常に 微妙な問題をはらんでいます。 というのは (1) 世間話として あるいは 最初の他愛ない挨拶ことばとして 言う場合。――これは この質疑応答の場で あっても 取り上げなくてよいはづだ。 (2) 挨拶ことばになるほどの内容であれば じつは そのようなことは 言わなくても なんら 構わない。《そうですね》と応えるだけの話である。 (3) しかも 《到らなさ》というのは 人間どうしで どんぐりの背比べなのだから 高が知れている。つまり 程度問題であるということになる。 (4) しかも わたしが いちいち 言わなかったとしても 言葉の端々に そういう人間の謙虚な姿勢というのは 現われているはづだ。 (5) しかも それでも わたしが しっかりと そういう挨拶ことばに対応すべきだという意見が出た場合。これは 二つの場合に分かれる。 (5-1) 含みがなく 《あらためて思うけれど われわれ人間はどこか 到らないところが あって これは 驚くほどですな》と問いかけた場合。《そうですな》と応じるはづである。それ以外に あり得ない。 (5-2) したがって 《含み》がある場合である。したがって ★ それはこう言う処だよ。 ☆ というその《こう言う処》を きちんと 言葉で取り上げ ふつうは その理由や根拠を しっかりと 説明しなければ 意味がない。 そうしてこそ ★ 信頼関係を大切にする ☆ ことになるのです。 ★ 相手の話をある程度理解しないと、お話にならんもんです。 ☆ この場合も 《ある程度》がくせものなのです。《ふくみ》があると 《そうとう程度》に広がり 果ては 《全部》 軍門にくだったというふうに相手は 解釈するというものです。取り返しがつかない場合が しばしばなのです。 わるいが 信頼関係は まだまだだったからね。 ★ そう言う処、理解してほしいですね。 ☆ という場合には 何もその《含み》が サブプライム・ローンの隠し条項のようなものではないだろうが 問題がなくはない。それは こうです。 つまり わたし bragelone が 到らないところがあるのだから 相手に 多少の到らなさがあっても――ということは 回答内容において むしろ基本的な弱点があったとしても という意味ですが―― そのときにも 大目に見て ★ 理解してほしい ☆ という結果になるからです。要するに まちがいを だいたいは 正しいと認めろという意味合いが――意図していなくても―― 含まれているのです。 だから ゆづれないところは やはり ゆづれないのです。なあなあ まあまあ では 立ち行かなくなるのです。哲学なのですよ。学問なのですよ。 例外だとか ゆるく扱ってもよい場合だとか そういう場合には とうぜん そのように わたしは そして 哲学も 言って来ています。みんなが 証人です。このきびしさが いやなら わたしの質問には 答えられません。切られます。しかも しっかりと その理由を 説明しています。いままで 切られた人は きちんと その理由が飲み込めたからこそ 去って行ったのです。心のきよい人は 何べんでも 挑戦して来てくれます。心の より少なく清い人は もう 訪ねて来ません。ただ そういうことであるだけです。 むろん わたしの到らなさについては そのつど きちんと 申し上げています。改めることに努めて来てもいます。 要するに 少しのちょんぼは 見逃がせという要請に対しては ちょんぼの中身が 問題だと申し上げておきましょう。 重ねて指摘しますが 漠然として 《こう言う処で 手を打とう》という場合が くせものです。相手の解釈と こちらのそれとは 一致していないのです。経済活動でも 問題になるはづです。哲学は 妥協しません。
- maimaisus
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maimaisusです。 うーん、確かに、具体的に示したり 根拠を説明したりすることが苦手ですね。 自分では、説明しているつもりなのですが、何か違う受け取られかたしたりしてるし。 例えばNo.60答えがそうです。 自分で通報しないのは、削除されるまで、表現は悪いが、半分は楽しむため。半分は、抗議ですね。 の私の文章に対し、 ★ 半分は、抗議ですね。 もう半分の理由がどこ行ったの?って感じに、部分的に受け取られ、 ☆ 《半分》しか ないのですね。それは 単なる規約違反のうたがいがあるという程度ではないですか。でも ありませんよ。 というより 質問趣旨に間接的にしか つながらないかたちで いま このように やり取りしていることが 《半分》 違反ですけれど。 みたいに、それが変な風にしか伝わらないのですから。 ちなみに、No.60の質問回答は、全部規約違反です。
お礼
maimaisusさん ご投稿をありがとうございます。 反論です。 ☆☆ (No.59) あたまのてっぺんからつま先まで 悪に染まった人びとが出てきましたね。応用問題ですな。 ☆ この《応用問題》として とうぜんのごとく 間接的に 質問と応答に関係しています。それ以外のものではありません。 第一の死の状態から デーモン(その思念や観念そしてその意識作用)が 躍り出て来るということ。 そこから その死が死ななくなる場合もあるということ。(実際には 《死が死ななくなった》という第二の死についての思念や観念のことです。この観念を それが幻想であると分かっていても 迎えに行くという意志行為のことです)。 もはや 自然本性としての意志のすなおと言う善が 回復し得ないほどの状態になることです。つまりは 《ほどの》という近似値を言います。 このように 間接的には まったく 質問趣旨に合致していますよ。 ★★ 半分は、抗議ですね。 ☆ あとの半分を 棚に上げて――この場合 棚に上げて です(どうでもいいからです)―― 《抗議》があるというなら それは ○ 第一の死の状態から デーモン(その思念や観念そしてその意識作用)が 躍り出て来るということ。 ☆ なのです。そのものなのです。 こじつけているようですが 質問趣旨の含みとしては その当のものになります。 質問じたいは この《デーモンの踊り出てくる》ようなとき 実際に ひとが 《第二の死》に陥ることがあるか でした。いまのところ 《第二の死》じたいは 思念や観念だけなのではないかという答えを 一応として 得ています。 しばらく この答えを 寝かしておき わたくしも ほかの方々も 慎重を期しているところです。 ですから ★ No.60の質問回答は、全部規約違反 ☆ ではありません。また そこでのやり取りも ★ 変な風にしか伝わらない ☆ でもありません。もう《半分》のほうは どうでもよいから 取り上げていないだけです。
sto60ihuoさんどうも、本当ですね。まったく訳が判りせんよ。常識が通じません。 しかし腹立やつですね。あーいえば こー言うしね。 >きみのためだ。見習いなさい。損はしない。 ですよ。即感情的に成るくせに。 少し調べてみました、どうも、統合失調症、近辺の人格者見たいですね。 言っても無駄だと判りました。こちらも吊られて変になりそうです。 他の方の迷惑にもなりますしね。 sto60ihuoさん有り難う、まだまだ寒いので身体に気を付けて お元気で。
お礼
sonoma52maさん 気は済みましたか。 まだ 余韻が残っているようだ。 ○ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ★ 規約違反だと指摘され ☆ 規約の精神には違反していないと答えたのだよ。 あとは どうしても 相手になって欲しいようだったので お相手したまでだ。 ☆ きみの語彙は セックスか精神障害かしかないのかね。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 変な余韻は すべて きれいに吐き出しましょう。そのためにも ★ あーいえば こー言う ☆ は けっこう 効くものだよ。
補足
ほおうっ primeapeさんの武勇談デンデンですね。まづは ご回答をありがとうございます。 ううん。そうですか。そうなんですか。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 第二の死の究極の姿さえも救いえます。 ですから勝負は全て買って下さい。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 要するに 悪魔と対決して勝ったということですよね。 ▲ (コリント前書15:26) 最後の敵として、死が滅ぼされます。 ☆ というたたかいに近いのでしょうね。あるいは ▲ (ルカ福音20:42-43) ~~~~~~~~~~~~~~ イエスは・・・言われた。 ――ダビデ自身が詩編の中で言っている。 『主(* 父)は、わたしの主(* 独り子)にお告げになった。 「わたしの右の座に着きなさい。 わたしがあなたの敵を あなたの足台とするときまで」 と。』 (詩編110:2) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ たしかに 単純化して 《わたしたちの敵は わたしたちの足台にされた》と言うべきでしょうね。《なぜ すくわれているのに すくわれていると言わないのか》。 次の文章は パウロの思想に似せて書かれたと学問的に考えられているものです。たたかいの一端がうかがえるかと思います。 ▲ (伝パウロ:エペソ書6:10-18) ~~~~~~~~~~~ 最後に言う。主に依り頼み、その偉大な力によって強くなりなさい。 悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 わたしたちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の世界の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです。 だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。 立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。 なおその上に、信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。 また、救いを兜としてかぶり、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。 どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 十字軍を連想されるなら まづいのですが。 《メチャンコ悪魔君》の武勇伝とくらべて どうですか。(比較のための問題では むろん ありません)。 ★ 前に反物質おばけってのを話した憶えがありますが、このおばけは反物質についての論理武装をした特異な知性でした。 ★ このおばけは光、神、存在、あらゆる面で人知に想像しうる正反対の性質を備えた知性です。地球上の生命に想像しうる第二の死を、いわば転生の目標とした困った存在です。 ☆ 悪魔メフィストーフェレスは ファウストに向かって 次のように自己紹介したそうです。 ▲ (ゲーテ:ファウスト) ~~~~~~~~~~~~~~~ ――私は常に否定する精神です。 (1338行) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 再掲載しておきましょう。 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ マナ識の、要するに私自身の声の、代理として、メチャンコ悪魔君がその知性を解きほぐし復活蘇生させました。 神様がいずこからか連行してきた縁の無いおばけでしたが、私の脳と体はこのおばけに反応しましたので生命に内包しうる知性でもありました。このときの脳の反応が、(エヴァンゲリオンみたいに)知性の暴走により無意識が浮き彫りになる状態です。 人間の手で克服することが人間の普遍性を記憶する上で重要であったと推測します。 primeapeなんて気取っていますが実際は神様のモルモットです。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~