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聖書が更新されない理由

聖書はなぜ「完成」されたとしてから更新がないのでしょうか? 私は無宗教で、キリスト教について少し知っているにわかです。 そして聖書の内容がどうして更新されないのかが調べてもわかりませんでした。 神の啓示を聞いたと主張する人は現代にもいると思いますが、おそらくそういった方は頭がオカシイとされるか、 新興宗教を立ち上げても異端として扱われるかと思います。 しかし、そもそも聖書がそういった神の声を聞いたと主張する人の啓示や伝聞をまとめたものと認識しています。 現代の、神の声を聞いたという方が「本物のキリスト教の神」の啓示を受けた可能性はないのでしょうか。 もし現代の方が本当に神の啓示を受けたのなら聖書の方を修正すべきですが、どうやってそれが嘘だと判別しているのでしょうか。 聖書では「これで完成なのでこれ以降の更新は禁ずる」といった旨の記述はあるのでしょうか?

みんなの回答

  • Brian12
  • ベストアンサー率26% (206/787)
回答No.9

神の教えを聖書にしたのですから、それを更新することは神の教えを否定したことになるのだと思います。 因みに、私も無宗教です。

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2300/5115)
回答No.8

>聖書はなぜ「完成」されたとしてから更新がないのでしょうか? ユダヤ教の旧約聖書。 旧約聖書+キリストの教え⇒新約聖書。 新約聖書の矛盾を説いた教え⇒コーラン。 となっていますよね。 カトリック・プロテスタントともに、神の教えには更新はない!との考え方が一般的です。 ここから派生する新宗派では、更新が行われています。 仏教でも、般若心経・法華経・正信偈などは今でも更新はありませんよね。 ※創価学会では、法華経の解釈が更新されています。 >神の啓示を聞いたと主張する人は現代にもいると思いますが、おそらくそういった方は頭がオカシイとされる 幸福の科学や旧統一教会教祖ですね。 >「本物のキリスト教の神」の啓示を受けた可能性はないのでしょうか。 無いとは、言えません。 実際、現代でもカトリック系の国では「神を見た!キリストに逢った」などの話がいっぱいあります。 が、この事を理由として金儲け(新興宗教立ち上げ)はしません。 神・キリスト・精霊を信じたから、神・キリスト・精霊に逢った・聞いたと解釈しています。 >どうやってそれが嘘だと判別しているのでしょうか。 神の声を聞いた証拠・証左が、ありませんよね。 ですから、嘘と看做されるのです。 そもそも、誰も(キリストを含めて)神に逢った事はありません。 旧約聖書で、「ノア」が唯一神の声を聞いた事になっています。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11072/34514)
回答No.7

聖書は大きく分けると、「旧約聖書」と「新約聖書」に分かれます。 旧約聖書は、基本的にユダヤ教の経典で、一神教の宗教であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教で経典として使われています。 違いが出るのはこの先で、キリスト教では旧約聖書に加えて新約聖書を経典としています。 そしてイスラム教では旧約聖書に加えてコーランを経典としています。 ユダヤ教では旧約聖書以外を経典として認めていません。 だから質問者さんのいう「聖書の更新」は、新約聖書のときとコーランの成立で行われていることになっています。 けれどキリスト教徒は新約聖書は認めてもコーランは認めていませんし、イスラム教徒は「新約聖書も経典みたいだけど、一番価値があるのはコーランだから」という理由でコーランを最も重視しています。 ユダヤ教はどちらも「アイツらが勝手に言い出したことだ」と認めていません。 新約聖書の成立は、おおよそ300年くらいかかっています。それまでキリスト教徒たちは様々な教えのまとまりを経典として使っていたのですが、キリスト教徒としては「統一した経典を作ろうぜ」という運動になって、おおよそ300年間議論して、西暦397年にようやくカルタゴ公会議で今の形が決まりました。 コーランの成立はよく分かっていませんが、ムハンマドが生きていた時代から、文字の読み書きができなかったムハンマドに代わって弟子たちが「先生の教え」をまとめていました。ムハンマドは632年に入滅しましたが、現在分かっている中で最も古いコーランは649~675年のものとされているので、結構早い時期からコーランはあったのではないかと思われます。 お経(仏教)、論語、新約聖書、コーラン。これらの共通点はなんだと思いますか? すべて「弟子によって書かれている」ことです。ブッダも生前は色々な教えをしましたが、それを文章には残しませんでした。弟子たちが「先生はこんなことをおっしゃいました」ということを書いて、それがやがてお経になりました。 論語も弟子たちが編纂したので、始まりは必ず「子曰く(先生がおっしゃるには)」となっています。 歴史に永遠に残る経典というのは弟子によって書かれないといけないんですね。現代の教祖様の多くが一代限りで終わってしまうのは、その教えを教祖様自らが書いてしまうからでしょう。やっぱり人間、「俺がちょっと触れただけでさ、病人が治っちゃったんだよ」っていうより「私が見ている前で、先生は目が見えない人を治したのです!」というほうに説得力を感じる生き物なのです。

回答No.6

もし更新されるとしたら、更新前の文は不完全だったことになります。不完全なものを、人は信仰の対象としない傾向にあります。 ですので絶対的な拠り所があって、もし不十分な部分があれば解釈で解決していくことになります。

  • ayzm
  • ベストアンサー率17% (187/1096)
回答No.5

宗教はすべて元は変わっていません、すべて伝導していく人の解釈と解釈する場所の違いで分かれていきます。 キリスト教も牧師の解釈次第で変わっていっていますよ。 仏教も伝道師の違いで、宗派が数十派になっています。 イスラム教も数派に分かれて、イスラム教内の戦争をしています。

  • mekiyan
  • ベストアンサー率21% (865/3998)
回答No.4

聖書は現在陣にも通じるように、どんどん更新されていってまっすけど。

回答No.3

a) この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。(ヨハネ黙示録22章) 新訳聖書の末尾です。 b) 現代に啓示を受けた人は、自分で語るなり、書き残すなりすれば善いでしょう。自身の体験談を語ることまで、神が禁じている訳ではありません。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10004/12512)
回答No.2

以下のとおりお答えします。 >聖書はなぜ「完成」されたとしてから更新がないのでしょうか? ⇒それは、聖書が、いわゆる「古典」だからです。古典は、現実問題として正しいとか誤りだとかの別が大事なのでなく、オリジナルのまま保存し伝承することが大切なのです。 >もし現代の方が本当に神の啓示を受けたのなら聖書の方を修正すべきですが、どうやってそれが嘘だと判別しているのでしょうか。 ⇒判別などしていません。必要ないからです。そんなことをまともに始めたら、たいていの古典は書き換えなければならないでしょう。例えば、「古事記」や「日本書記」、事実と認定できる記述がどれほどありますか? とにかく、古典は《原初の形をそのまま伝える》ことに意義があるのです。

  • jealously
  • ベストアンサー率52% (39/75)
回答No.1

キリスト教的にはイエス・キリストが処刑後、復活した時点で人類は救済されているから更新する必要が無い。

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