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昔の日本人は、何民族?

昔から狩りをやっていたから、狩猟民族でしょうか?  農業を始めたから、農耕民族でしょうか?  海産物を沢山食べていたから、海洋民族でしょうか?  恵まれた風土によって、自然(神)に全部与えられていた、神仙民族と呼べる気もしますが、どう思いますか?  世界的に見ても、異常に恵まれていたような気が・・・。 また、自然と自己を同一視するような、珍しい宗教観もあった為、割と適した分類じゃないかと思います。

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  • oska2
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回答No.9

>昔から狩りをやっていたから、狩猟民族でしょうか?  どの時点から、日本人(民族)と看做すか?次第ですね。 日本列島に住んだ時点で、日本人とすれば・・・。 アイヌ民族が、先住民の日本人となります。 縄文人が徐々に東へ移動したので、アイヌ民族は北海道に逃れた。 ※今も、九州・中四国などにも「アイヌ語語源の地名」が多く存在。 アイヌ民族を基本とすれば、狩猟民族となります。 縄文人を日本民族と考えると・・・。 前期は、狩猟・漁業・木の実の採取で生活を行っています。 この時点では、狩猟民族です。 中期になると、狩猟・漁業・木の実採取とは別に「稲作」が始まります。 この時点では、狩猟民族>農耕民族ですかね。 後期になると、稲作の割合が高くなるので農耕民族となります。 ※縄文時代には、東北で稲作が行われていました。 ※当時の文化の入り口は、大陸に近い日本海側です。 >神仙民族と呼べる気もしますが、どう思いますか?  まぁ、特定の宗教を持たず「自然全てに神が居る」との考えでした。 が、神の教えによって生活を変える事はなかった様ですから・・・。 >割と適した分類じゃないかと思います。 まぁ、色々な発掘品・遺跡が発見されていますよね。 古事記・日本書紀からの呪縛から解放されて、考古学は自由な研究が進んでいます。 獲物を求めて移住しないで、稲作での定住を行っていました。 一般的には「農耕民族」となっていますが、今後新たな呼称が誕生するかもね。 余談ですが・・・。 アイヌ民族の伝承では、「琉球民族とは兄弟」との事です。

windows723
質問者

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回答ありがとうございます。 日本人の定義から考えていただけて、とても分かりやすかったです。

その他の回答 (9)

回答No.10

a) 3世紀の魏志倭人伝によれば、当時の日本人は稲なども植えていたし、狩猟採集も盛んだったでしょう。だから、狩猟採集民族と農耕民族の中間でしょうか。海産物の狩猟採集も行なっていました。 b) ただ内乱も多く、男王では鎮められず、女王卑弥呼がやっと国を治めた。このように、当時の日本人は女性の宗教指導者を必要としていたようで、それで神道の主神も女神に、なったのかもしれません。

windows723
質問者

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回答ありがとうございます。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11072/34514)
回答No.8

遺伝子の研究が進んで、日本人のルーツというのが色々と分かってくるようになりました。 石器時代の日本人は状態がいい骨がほとんど見つかっていないので、どんな人たちだったのかが分かりません。 縄文人の遺伝子に最も近かったのは、タイとマレーシアの国境付近に暮らす森の少数民族、マニ族でした。かつて氷河期の海が後退していていた時代はインドネシア一帯はスンダランドと呼ばれる広い陸地であったと考えられ、氷河期の終わりに伴って海水面が上昇し陸地が狭くなったので北上してきた人たちが縄文人になったのではないかといわれています。 https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/feature/2023/12/04/36270.html このマニ族の人々の顔立ちを見ると、アジア人よりオーストラリア先住民族に近い感じがします。オーストラリア先住民族もマニ族も、素朴な狩猟生活を中心にしています。 縄文時代は1万年以上も続いています。千年前が平安時代、卑弥呼の時代も二千年も前にならないわけですから、1万年というのは途方もない時間です。なので縄文人もスンダランドから来てずーっと1万年暮らしていたわけでもありません。北海道の縄文人はシベリアからやってきた可能性が高いと思われます。また朝鮮半島からやってきた人もいたことでしょう。そのあたりがどうなっていたかは全く分かりません。 弥生時代になると、弥生人がやってきます。弥生人は縄文人とは全くルーツを別にする民族です。主に朝鮮半島から渡ってきたと思われます。 縄文時代に鬼界カルデラというとんでもない大噴火が起き、おそらく九州と四国の縄文人は絶滅したと思われます。なので西日本はかなり長い間無人かそれに近い状態だったと思われるんですね。西日本より東日本に縄文遺跡が多いのはそのせいと思われます。 なので何かのきっかけで、朝鮮半島から多くの人が日本に移り住んで弥生人になったと思われます。 それで結構長い間「縄文人から弥生人になって、今の日本人になった」と思われていたのですが、弥生人の遺伝子を調べてみたら意外や意外に現代の我々の直接のご先祖ではなかったことが分かったのです。 我々の直接のご先祖といえるのが、古墳人です。古墳時代の日本人と現代の我々日本人は遺伝子で直接繋がっています。縄文人⇒弥生人⇒古墳人、というのが日本人の流れなのです。 弥生時代から古墳時代にかけては、文字の資料がない「空白の四世紀」と呼ばれる日本古代史においても最も謎が多い時代です。 この時代に東アジア史において何が起きていたのかというと、中国大陸の争乱です。漢帝国が衰弱し、いわゆる「三国志」の時代になります。三国志は西晋による統一という形で終わりますが、その西晋もすぐ滅亡して、それから中国は五胡十六国時代と呼ばれる小国乱立の時代になり、隋によって安定的に統一されるまでおよそ300年間争乱が続きます。 このときに戦乱による大量の難民が発生し、その人たちが日本にやってきて我々日本人になったのではないか、といわれています。 遺伝子研究が始まる前は、日本人は「世界に稀なる単一民族による国家」だといわれていました。しかし遺伝子を調べてみると、単一民族どころか研究者の想像以上に多岐にわたるルーツを持つ人々によって構成されていることが分かりました。 ある人は、オーストラリア先住民族と同じ先祖を持ち、ある人はポリネシア人と同じ先祖を持ちます。これは南方系。北方系だとモンゴルやシベリアをルーツに持つ人たちがいて、南中国からやってきたと思われる遺伝子情報を持つ人もいます。中には、フィンランドの先住民族と同じ先祖を持つ人もいるということです。 中国などの他の地域では、後から新しい民族がやってくると、先住の民族は皆殺しにされてしまうということがよくあります。だから遺伝子が後世に残らないのです。現代の我々にもそういった遺伝子が残っているということは、この東の最果ての島国では、様々なところから集まってきた人々が、なんだかんだで絶滅になるまで殺し合うことをしないで肩寄せ合って生きている、ということなのです。 >世界的に見ても、異常に恵まれていたような 何をもって「恵まれている」と考えるか、ですね。確かに「異常に人殺しが得意な戦闘民族による征服と虐殺を受けなかった」という意味では恵まれていたと思います。 けれど、毎年台風が上陸して猛威を振るい、数十年から百年に一度のペースで大地震とそれに伴う大津波が発生して、何百年か何千年かに一度何もかもを吹っ飛ばして火砕流が焼き尽くす大噴火が起きる地域でもあります。夏は蒸し暑くて、冬は世界トップレベルに大雪が降ります(中国も朝鮮半島も寒いけど雪はあんまり降りません)。

windows723
質問者

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回答ありがとうございます。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (6875/20335)
回答No.7

三内丸山遺跡は縄文時代前期中頃から中期末葉(約5900-4200年前) この時代としては 大規模な定住地であったことがわかり 周辺に存在する果樹は栽培されていたものであることもわかってきました。 農耕民族とするのが妥当かなと思います。

windows723
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • jack-a3
  • ベストアンサー率37% (302/797)
回答No.6

一般的には、狩猟中心の生活をしていた民族だったところに、大陸から農耕をする民族が入ってきてだんだんと農耕民族化した、ということになってます。 狩猟中心ですと食料状況が安定しませんので人口が増えにくい、一方で農耕は採取した食料を年間で平均的に消費するために蓄財という概念が入り、また土地を持つことが財力につながるので、階級や経済格差が生まれてきます。開墾した土地の奪い合いで戦が起きて、その中から国家が生まれて邪馬台国や大和王朝につながります。 最近の研究では、狩猟中心だった縄文時代でも畑を作ってたって説が出てきてますし、大和朝廷の時代であってもしばらくは連合国家的な形で、地域ごとにいろいろな王がいていろいろな生活があったようです。ワダツミ(海神)って海産物を採取して暮らしてた海洋民族のことを指す言葉ですし、カワズ(河津、河童)は河の傍で暮らす民族のことを指す言葉。 ちなみに日本の神道のようなアミニズム信仰は別に日本独特なものではないです。というか原始的な宗教観としてはとても普通でしょう。代表的なものにケルト信仰などがあります。 昔の人間は、なぜ台風や雷がおきるのか、なぜ日照りがあり、雨を降らせるにはどうしたらいいか分からなかった。なので太陽や月を神の化身と考えたり、異常気象は神の怒りと考えるのはとても自然な流れです。 いまそういった信仰が廃れているのはキリスト教やイスラム教など一神教がそれらを駆逐してしまったからです。一神教は他の神の存在を許さない。

windows723
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 多種多様な暮らし方があって、一口では分類しにくいんですね。

  • kyokoma
  • ベストアンサー率38% (314/817)
回答No.5

民族としての分類は派生、 先住民、 言語、 文化等多岐に渡りますので一概に一つの民族に分けることは出来ません。 ただ、 日本人の起源は縄文人に由来します。 後に中国や朝鮮から来た弥生人とか、 琉球人、 アイヌ人等と混じり今の日本人となっています。 おっしゃる狩猟民族や農耕民族は牧羊民族と合わせて3種類になりますが、 これも食文化による大雑把な分け方なので一つには集約できないと思います。 この中に海洋民族というのは入らず、 モーケン族等の特殊な分類になり、 海産物を食べるからではなく、 殆ど海上で生活している民族です。

windows723
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 くっきりとは、分類しにくいんですね。

  • szaka
  • ベストアンサー率27% (12/44)
回答No.4

「神仙民族」はあなたの造語ですか。 異を唱えるお方はいないと思いますよ。 狩猟/農耕/海洋 も状況に合わせて使い分ければよろしいと思います。 すなわち 風見鶏民族 ですね。

windows723
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 はい、私の造語です。 余りにも恵まれていた環境と、自然と自己を同一視するような宗教観より、「神仙」という言葉を利用しました。 「風見鶏民族」とは、ちょっとしっくり来ました。

回答No.3

農耕や牧畜は人類の歴史上、かなり後になって生まれた食料生産の技術です。ですから「昔から狩りをやっていたから狩猟民族」などとしてしまうと、全ての人類が狩猟民族、ということになってしまいます。それでは意味がないので、狩猟民族という言葉には別の定義があてられていて、古代日本人はそれに該当しません。 一方、海洋民族という言葉には定義がまだありません。が、「海産物を沢山たべていた」というのがその定義だと主張する研究者は存在しません。 古代日本人でも離島などに居住していた人々に中には「海洋民族」に該当するような人達は存在してました。 しかし、多くの古代日本人は分類するなら農耕民族でした。

windows723
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 学術上の正式な定義があるんですね。

  • EXIST2090
  • ベストアンサー率30% (184/606)
回答No.2

元々は農耕民族でしたが、狩猟もするし漁もやってました。 一説では海藻を消化できるのが日本人なので海洋民族って見方もあります

windows723
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私自身も、もしかしたら海洋民族かなと思いましたが、純粋な海洋民族とも違っている気が・・・。

  • okvaio
  • ベストアンサー率26% (1979/7610)
回答No.1

日本人は農耕民族かと思います。

windows723
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 私自身もその認識でしたが、改めて考えると疑問に感じました。

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