• 締切済み

お答えいただけましたら幸いです。

「ほとんどの人は、街中などで、他人を見ていない(その他人がどんな人であれ)、と◯◯さんはお考えになりますか?」 このような文(章)の場合 「(その他人がどんな人であれ)」の主語は「ほとんどの人」なのか、「◯◯さん」なのか、どれだと考えるのが正しいですか?

みんなの回答

回答No.7

a) その他人がどんな人であれ、の文の主語は、その他人でしょう。

  • OK1723TRD
  • ベストアンサー率38% (18/47)
回答No.6

>>「(その他人がどんな人であれ)」の主語は「ほとんどの人」なのか、「◯◯さん」なのか、どれだと考えるのが正しいですか? 「(その他人がどんな人であれ)」の主語はありません。文にいつも主語がある訳ではありません。■

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10068/12613)
回答No.5

補足を拝見しました。 >「人は、本人だけでなく他人もいる全ての場所などで(その他人が誰であれ)、その他人を見ていない」などのような文(章)の、「(その他人が誰であれ)」の"誰であれ"は、「本人だけでなく他人もいる」の「他人」であるが、その「他人」が"誰であれ"という状態にあるのは、「本人だけでなく他人もいる全ての場所」において、である《と》解釈するのは、日本語の文法などからしてみても、適当でしょうか? ⇒はい、《と》を補ってよければ、意味は分かりますし、仰せの事柄も「適切なご指摘」と思います。 ただ、もし許されるなら、本文を、 《人は、自分以外の他人がいるところでは、それがどんな場所であっても、またその他人が誰であっても、その他人を見てはいない》 のような文に書き換えさせていただけるなら、なお一層文意が明瞭になるでしょう。

shinleo1918
質問者

お礼

先程の補足にはお答えいただかぬくて大丈夫です。 代わりに以下の質問にお答えいただけましたら幸いです。 「すべての人(全人類を(常に)含む)は常に、本人だけでなく他人もいる、全ての街中などで(その他人が誰であれ。また、その他人とその本人がそこに座っているか歩いているかなどは常に関係なく)、その他人(その他人がそこでどんな言動などをしていようが)をどんな風にであれ、ほとんど見ていない(意識的にであれ無意識的にであれ)。(、)あるいはそれに加えて、ほとんど見えてもいない(意識的的にであれ無意識的にであれ)、と◯◯さんはお考えになりますか?」 (など)のような文(章)ですが、 ①(全人類を(常に)含む)と考えているのは誰か? ②(その他人が誰であれ。また、その他人とその本人がそこに座っているか歩いているかなどは常に関係なく)と考えているのとは誰か? ③(その他人がそこでどんな言動などをしていようが)と考えているのは誰か? ④二箇所の(意識的にであれ無意識的にであれ) と考えているのは誰か? ⑤()以外の部分は全て、◯◯さんのお考えで間違いないでしょうか?

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 更に質問です。 >以下のとおりお答えします。 文全体の主語は「◯◯さん」ですね。そして、この際目的語をXXXとしましょう。 そうすると、この文を簡潔に言うと、 ①「◯◯さんは、XXXとお考えになりますか?」 となりますね。 ところで、構文の形式からその目的語の原語は、 ②XXX=《ほとんどの人は、街中などで、他人を見ていない(その他人がどんな人であれ)》 である、と言えますね。 そこで、通常の日本語の語順(主語+目的語+動詞)で全文を書けば、 ③「◯◯さんは、ほとんどの人は、街中などで、他人を見ていない(その他人がどんな人であれ)とお考えになりますか?」 となります。 ということで、以上の①②③から、【(その他人がどんな人であれ)と見なしている人は、「ほとんどの人」ということになります】。これが、お尋ねに対するお答えです。 ⇒つまり、同じような形の、他の(全ての)文(章)などでも、XXX内に存在する全ての()内の主語はこの例文で言うところの「ほとんどの人」になるということでしょうか?

回答No.4

〇〇さんは考える 主語(主部)=〇〇さん 述語(述部)=考える 主語(主部)=ほとんどの人 述語(述部)=他人を見ていない ほとんどの人は、他人を見ていない(その他人がどんな人であれ) ∴ 主語= ほとんどの人

  • takochann2
  • ベストアンサー率36% (2567/7012)
回答No.3

「他人」を修飾する句です。「ほとんどの人」も「◯◯さん」も主語にはなりません。

  • Nakay702
  • ベストアンサー率79% (10068/12613)
回答No.2

以下のとおりお答えします。 文全体の主語は「◯◯さん」ですね。そして、この際目的語をXXXとしましょう。 そうすると、この文を簡潔に言うと、 ①「◯◯さんは、XXXとお考えになりますか?」 となりますね。 ところで、構文の形式からその目的語の原語は、 ②XXX=《ほとんどの人は、街中などで、他人を見ていない(その他人がどんな人であれ)》 である、と言えますね。 そこで、通常の日本語の語順(主語+目的語+動詞)で全文を書けば、 ③「◯◯さんは、ほとんどの人は、街中などで、他人を見ていない(その他人がどんな人であれ)とお考えになりますか?」 となります。 ということで、以上の①②③から、【(その他人がどんな人であれ)と見なしている人は、「ほとんどの人」ということになります】。これが、お尋ねに対するお答えです。

shinleo1918
質問者

補足

お答えいただきありがとうございます。 更に質問させていただきます。 「人は、本人だけでなく他人もいる全ての場所などで(その他人が誰であれ)、その他人を見ていない」 などのような文(章)の、 「(その他人が誰であれ)」の"誰であれ"は、「本人だけでなく他人もいる」の「他人」であるが、 その「他人」が"誰であれ"という状態にあるのは、「本人だけでなく他人もいる全ての場所」において、である解釈するのは、日本語の文法などからしてみても、適当でしょうか?

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11204/34805)
回答No.1

それは「『象は鼻が長い』の主語はなにか」という話と同じですね。 お蕎麦屋さんで「私はざるそば」といっても「アンタはざるそばじゃないやろ」とは誰からもいわれません。英語で「アイアムハンバーガー」といったら変な顔をされるのに。 さてその論争ですが、私は「日本語は主語が存在しない言語だ」という回答が一番しっくりくる気がします。実際に会話では主語が存在しないまま(お互いが何が主題なのかを理解しながら)会話が進むことがよくありますよね。

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