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「君」の意味の変遷

「君」という漢字は元々「天皇」の意味ですが、現在は親しい人や目下の人に対して使う敬称です。どんな変遷をたどってそうなったのか教えてください。

みんなの回答

  • D-Gabacho
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回答No.3

Wikipedia「敬称」によれば、名前に君(くん)づけする敬称は、幕末に吉田松陰が松下村塾で身分の差なく対等の立場で議論できるように統一した敬称として使い始めたのがはじまりだそうです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%AC%E7%A7%B0 もともと漢字の「君」には、君主・主君という意味(①)のほかに、身分のある人や尊属者の敬称(②)、敬愛の意を込めていう「あなた」(③)といったさまざまな意味があります。 https://kotobank.jp/word/%E5%90%9B%28%E6%BC%A2%E5%AD%97%29-2786092 日本でも中国で併用されているこれらの意味を古来から引き継いで使っています。 ①の例 『日本書紀』応神天皇九年四月 …時武内宿禰歎之曰。吾元無ニ心。以忠事君。… 『万葉集』巻20-4506 高円の野の上の宮は荒れにけり立たしし君の御代遠そけば(大伴家持) ※「君」は聖武天皇のこと。高円は聖武天皇の離宮があったところ。 ②の例 『伏見宮御記録』長徳四年十一月十九日 詣左大臣殿、鶴君以可昇殿、… ※鶴君は藤原道長の長男頼通のこと。左大臣は道長。 『枕草子』 宰相の君ぞ十ばかり、それもおぼゆるかは。 ※宰相の君が十首ほど、それも思い浮かぶなどといえるであろうか、いやいえない。 飛鳥時代以前に使われた姓(かばね)の「君」(三輪君、上毛野君、大田君など) ③の例 『万葉集』巻1-10 君が代もわが代も知るや磐代の丘の草根をいざ結びてな(中皇命) ※あなたの命も私の命も支配していることよ。この磐代の丘の草を、さあ結びましょう。 『万葉集』巻1-47 ま草刈る荒野にはあれど黄葉の過ぎにし君が形見とそ来し(柿本人麻呂) ※草を刈るしかない荒野だが、黄葉のように去っていった君の形見として、やって来たことだ。

  • eroero4649
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回答No.2

「吉田松陰先生が流行らせた説」もありますね。 江戸時代は身分というものがあり、相手の身分が自分より上か下かによって一人称も二人称も変えるのが当時の「国語の常識」でした。 しかし吉田松陰は松下村塾をするにあたって「塾の中に身分はない。みな平等である」としました。それは生徒だけではなく松陰自身も同じく平等だということで、彼は自分のことを「僕」といい、相手のことを「君」と呼んだそうです。 当時の知識人の間での呼び方だったみたいですね。知識人同士で対等に話すために身分を持ってくるものではないというのがあったのでしょう。 そんで明治維新が起きて身分制度は廃止となりまして、伊藤博文を始めとして新政府には松下村塾出身者が多かったので、その思想の影響を受けて「君と僕」が段々世間に広まるようになったのでしょう。 言葉の意味が時代によって変わるのはよくあることです。現代だって、つい20~30年前は「ヤバい」といったら悪い意味でした。「カッコいい」とか「素敵」という意味で使われることはありませんでしたからね。

回答No.1

どうもそれははっきりしないようですね。 ハワイ大教授れいのるず秋葉かつえという方が研究を試みられましたが、よくわからないままです。 江戸時代後期までは「君」は天皇、それにごく近い人物、戦国時代には天皇ではない自分の主君(平手政秀が信長にあてた書状内でつかわれている)を呼ぶ用語だったのは間違いなさそうです。 江戸時代後期になると、同門とか、年齢の近い仕事仲間に対して「君」と書簡内で使う例がでてきます。平田篤胤が同門の国学者に宛てた手紙、滝沢馬琴が仕事仲間に当てた手紙で使用例がありました。 以後、明治時代には高等教育を受けた男性が「君」「僕」を多用するようになったことは判ってます。使う相手は同等の親しい相手でした。夏目漱石が正岡子規とちょっと揉めたことがあり、そのときに「君の方が(僕を)足下呼ばわりしてきたので、こちらもちょっと腹がたって」と言う内容の書簡を送っています。明らかに足下よりは親しい関係の相手を「君」と呼んでいたのでしょう。 と、「事実の断片」はいくつもあるんですけど、「どんな変遷をたどって」かはまだきちんとわかってはいないようです。

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