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藤原伊周と関白職について

藤原伊周は、なぜ関白になれなかったのですか?伊周に人望がなかったからですか?教えて下さい。

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回答No.1

なかったのは「運」じゃないでしょうか? 父に長い寿命がなかったこと。 父には弟が2人もいたこと。そのうちの1人が道長だったこと。 才ある人だったのは、当時の人の日記や手紙、残した漢詩や和歌からもまぁ間違いはない。もちろん、出自も申し分ない。受けた教育も恐らく悪い物ではなかった。 もし、父に年の離れた(むしろ自分との方が少しだけ近い)、しかも優れた資質と、おそらくは野心を持った道長という弟がいなければ、まだまだ若いのに、経験・年齢不相応の地位まで無理に引き上げられる必要はなかった。じっくりと人脈をつくりながら、文人としての才を示しながら、昇進していけば・・・道隆だって、兼家が自分たち兄弟を強引に引き上げたとき周囲がどうだったか判っていたはず。当然、結局は兼家が勝者となり、反感なんかねじふせちゃったのも見ていますから、自分もできると思ったのでしょうが、寿命がなかった。あるいは、父親の例を見ているから、息子には自分が受けたような反感は・・・とおもってゆっくりやったかもしれません。でも道長君がいるので、それは怖い・・・・ 運がなかったんでしょう。

kiyurohi88
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。

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