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藤原氏はなぜ偉いのか
一般に、藤原氏は源氏・平氏より貴種とされていますが、なぜ天皇家から分家した源平両氏よりも、中流貴族であった中臣氏に由来する藤原氏の方が家格が上なのでしょうか?
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貴種(というより家格ですね)は天皇との血の繋がりの濃さから構築されていったようです。源平は確かに皇別氏族ですが代を重ねれば天皇の身内とは言えませんよね。母親が違うと兄弟でも他人感覚の母系重視のご時世でしたし。 勿論、一世源氏は別格です。初めて授けられる位階も四位が通例で中には三位なんて例もあります。(道長の息子の頼通・教通は正五位下です)これは天皇の息子だからこその優遇措置でしょう。しかし二世以下は違いました。名実共に臣下の扱いです。 対して藤原氏は娘(姉妹)から産まれた皇子を皇位につける事を繰り返し、外戚の地位を保持し続けたので(例外もあります)平安時代後期には濃厚な血縁関係が形成されました。それが家格というものが意識され始めた頃、氏族の優位性を決定づける事に繋がったのではないでしょうか。 ちなみに村上源氏も堀河天皇生母の実家で藤原氏とも濃い繋がりがあるので発展していますよ。
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これは繁栄したからではないでしょうか。 世の中順番通りに行かないことはままあり、例えば源氏の新田氏と足利氏は長幼の順で言えば、新田氏の方が嫡流ですけど、鎌倉幕府の序列では足利氏が上とされていた。 徳川幕府でも、家康の子供のうち、子孫を残した最年長者は越前家ですけど、末子に近い尾張、紀州、水戸の下になってしまった。 結城秀康が養子に出たため、越前家は徳川の嫡流ではないという理屈はあるが、それなら6代将軍は新見家に養子に出た新見左近が徳川家宣として将軍になっており、理屈に合わない。 つまりその後の政治情勢としか言いようがなく、仮に源氏の氏の長者が天皇家へ皇后を出すという慣習があれば、藤原家など問題にならない名門になり得たし、平家の春があのまま続き、安徳天皇が実権を握ってその子孫が代々平家から皇后を迎えるということになれば、貴族の筆頭は平家ということになったかも知れません。 家格は結果であって、必然ではないと思う。
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御回答ありがとうございます。 具体例をいただき、腑に落ちました。
私のトンデモ説ですが 中臣鎌足の子である藤原不比等が天智天皇の後胤だからではないでしょうか。 正史は不比等の母を車持与志古娘(よしこのいらつめ)としていますが『興福寺縁起』は母を鏡王女としています。 鏡王女は始め天智の妻でしたが、のち天智から鎌足に正妻として譲られています。 このとき、すでに鏡王女が天智の子を身籠っていた、それが不比等ではないか、というのです。 壬申の乱で大友皇子(天智天皇の皇子)vs大海人皇子(天智天皇の弟)が争いました。 大海人皇子が勝利して、即位し天武天皇となりました。 その後、奈良時代は天武系の天皇が続きましたが、 称徳天皇が崩御したのち、天武系の血筋は絶えてしまいました。 称徳天皇崩御後、光仁天皇が即位しましたが 光仁天皇は天智天皇の孫です。 光仁天皇の即位を後押ししたのは藤原永手・藤原百川らです。 彼らはなぜ天智の孫にあたる光仁天皇を即位させたかったのでしょうか。 また天武系の血筋が絶えたのも藤原氏の策略と思えなくもないような。
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御回答ありがとうございます。 掘り下げたら面白そうな説ですね。この時代にはそんなに詳しくないのですが、興味がわいてきました。
- tadagenji
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源平藤橘という代表的な氏はご存じでしょう。 このうち源平橘は、蘇我や中臣のような古代以来の豪族の氏ではなく皇族が臣籍降下して始まったものですが、藤原は中臣鎌足が賜ったものです。 鎌足の子、不比等の時代に娘を皇后にさせて文武天皇や聖武天皇の外祖父となり他の氏族とは一線を引いている。 藤原氏は、不比等の子から南家、北家、式家、京家と別れ常に朝廷の要職を占め現代に至る貴族の家として続いている。 なを、橘氏の租、諸兄の母は不比等の妻である。
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御回答ありがとうございます。 なるほど、帝の外戚になれば権威が増すのは中国でも同じですものね。
- tanuki4u
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摂政関白になった人数が多いから 現役天皇と兄弟が家長だったりもしているし。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E9%99%BD%E6%88%90%E5%A4%A9%E7%9A%87
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御回答ありがとうございます。 偉いから摂関職を独占したのかと思っていましたが、調べてみるとおっしゃるとおりで、「摂関職を独占したから偉い」ようですね。
お礼
御回答ありがとうございます。 二世以下になるとけじめとして完全に臣下にされてしまったというわけですね。他の方の回答とも照合すると、藤原氏の家格の高さの秘密はやはり外戚になったことがポイントのようですね。