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藤原実頼(清慎公)が尾張国に封ぜられた、とありますが、どういう意味ですか?
こんにちは、いつも回答者の方にはお世話になっています。 Wikipediaで藤原実頼(清慎公)の記事を読んでいたところ<没後、尾張国に封ぜられる>とありました。国に封ぜられる、とはどういう意味ですか?その国に遺体を葬った、という事でもないでしょうし・・・。平安時代の他の摂政・関白とかで地方の国に封ぜられた人がいたでしょうか? ご存知の方、どうぞよろしくお願いします。
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>藤原実頼(清慎公)が尾張国に封ぜられた、とありますが、どういう意味ですか? 臣下でも太政大臣・摂政関白経験者で、薨去(死亡)時に俗世にあった者(出家していない者)に、漢風諡号(贈名)と国公を贈ることがあり、国公を贈られることを○○国に封ぜられると言いました。藤原実頼について言えば、「清慎公」が漢風諡号。「尾張公」が国公となります。良房が忠仁公で美濃公。基経が昭宣公で越前公。忠平が貞信公で信濃公。伊尹が謙徳公で三河公でした。他に、摂関経験者としては兼通と頼忠、太政大臣経験者は為光と公季が贈られています。しかし、同じ時期の兼家や道長など薨去より大分前に出家したり、死に臨んで出家するなど、在俗でない者が続き、漢風諡号と国公を贈ることが自然に行われなくなったようです。 なお、漢風諡号と国公を贈られた最初は右大臣で薨去した藤原不比等ですが、薨去後12年で太政大臣を追贈されると同時に、漢風諡号(贈名)と国公を贈られています。ちなみに漢風諡号は文忠公で国公は淡海公です。一般に忠平の日記が「貞信公記」と呼ばれるように漢風諡号の方が有名ですが、不比等だけは、国公である淡海公の方が有名です。 以上、参考まで。
お礼
早速のご回答、ありがとうございました!没後の贈漢風諡号は大鏡を読んで知っておりましたが、贈国公は今回初めて知りました。(尾張を選択されたのは特に理由はないのでしょうか)公卿補任なども読むことがあるのですが、記されていなかったような・・・?でも私が見落としていたのかもしれませんね。贈国公に関して論述しているような書籍・学術論文はありますか?もしご存知でしたら教えていただけたら幸いです。