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神武天皇の隼人、熊襲対策?
神武天皇は宮崎から上洛したようですが隼人や熊襲が隣にいる状況で本拠地宮崎の守りはどうしたのでしょうか?畿内に進行する前に服属させたのか、武田信玄のように同盟をむすんでいたのでしょうか? それとも四国の淡路島が本拠地であり、宮崎には地盤はなかったのでしょうか?
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古事記や日本書紀に記載された「山幸彦と海幸彦」の話を御存じでしょうか? 実は、この山幸彦の孫が神武天皇で海幸彦の末裔が隼人(熊襲)です。 しかも山幸彦(弟)と海幸彦(兄)は兄弟です。 「山幸彦と海幸彦」の物語は、簡単に言うと兄から借りた釣り針を失くして兄から虐げられた山幸彦が海の神(綿津見神「わたつみ」)の助けを借りて兄をやり込める話です。 ⇒負けた兄(海幸彦)は、勝った弟(山幸彦)を今後は昼夜守護する約束をしている。 (隼人は、その後の大和朝廷の記録でも武を司る一族として出てくる。) つまり、神武天皇の祖父の代で隼人(熊襲)は服従させています。 ⇒まあ、扱いが悪くて時々反乱を起こされてますが…。 日本武尊の熊襲征伐とか…。
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- daion
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回答ではなくてすいませんが 四国の淡路島??? 淡路島のままか、敢えて前につけるのなら 兵庫の、近畿の、畿内の淡路島などではなかろうかと…
- eroero4649
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「古事記」と「日本書紀」にしか記載がなく、考古学的証拠は全く存在しないので、「分からない」という回答にならざるをえませんね。 ローマを建国したといわれるロムルスとレムスが雌の狼の乳を飲んで育ったという話と同じですね。
- gunsin
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この頃は、国との認識は無く、部族間の縄張り争い程度だと 思います。 天皇陵とされる古墳を調べれば、少し解明できるかも知れないの ですが宮内庁が許可しませんので、卑弥呼の墓でも発見されれば、 判るかも知れません。 日本の古い事柄の記述は古事記だけなので、詳細は判らないのです。 当時の様子が解っているのは、中国王朝での古い記録に書かれて いる、「倭の五王」と「魏志倭人伝」の記述の情報に依る物です。