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神武天皇は実在ですか?
神武天皇は実在ですか?
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日本書紀および古事記には実在の人物として 書かれてます。 それに反論する当時の書物は有りません。 おおよそ2600年前に橿原神宮で即位したと書かれてます。 末永雅雄の指揮による神宮外苑の発掘調査が行われ、その地下から 縄文時代後期~晩期の大集落跡と橿の巨木が立ち木のまま16平方メートル にも根を広げて埋まっていたのを発見しました。 これを全部アメリカのミシガン大学に持ち込み、炭素14による年代測定をすると、 2600年前±200年のもので有ることが判明しました。 日本書紀や古事記は根も葉もない嘘では有りません。 まさにそのままでは無いかもしれませんが、真実が書かれてます。
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- あずき なな(@azuki-7)
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実際 日本の初代天皇は継体天皇だと思います 実際それ以前にも大王と呼ばれるような代々権力を継承した豪族連合のような人たちが居たでしょう しかし倭の五王によってそれは終焉し その子孫に当たる継体天皇が天皇と言う政権連合の中核となって そこから大和朝廷は始まったと思います
- staratras
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現在の歴史学では、畿内にヤマト政権が成立した時期は(研究者によって若干違いはありますが)3世紀半ばから3世紀末ころだと考えられています。 一方神武天皇は日本書紀では紀元前660年に橿原宮で即位したとされていて、時代がまったく合いません。日本に暦法が伝わったのが6・7世紀であることは他ならぬ日本書紀が記していることであり、すでに明治時代の歴史家が「この神武天皇即位の年は、推古天皇九年(601年)の辛酉年から1260年(60×21)遡った辛酉年(紀元前660年)に充てたものである」と指摘しています。具体的な史実の裏付けがある年ではなく、辛酉革命説に基づいてキリのいい年を設定したという意味です。 また神武東征についても、神武天皇の祖先が九州の日向に天降ってしまったために、その九州と大和を結びつけるために作られた物語だと考えられ、神代と人代を結ぶ位置にある神武天皇は、のちの時代の複数の天皇の人物像が幾重にも反映して作り上げられた神話・伝説上の天皇であって、実在した天皇ではないと考えられています。 日本書紀では第10代の天皇である崇神天皇と初代天皇である神武天皇が同じ「ハツクニシラススメラミコト」(初めて国を統治した天皇の意)と呼ばれていることは示唆に富みます。 広く古代史の研究史を見ても、神武天皇は神話上の天皇であって実在の天皇ではないという点に関しては、これを積極的に否定する見解は少なくとも実証的な歴史学者からは出されていません。
- chiha2525_
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モデルになった人物は居たと思います。 記紀の記述はなかなかに実写的で、日向を夜明け方に夜襲されるというので夜の内に逃げ出したこと、北九州から岡山まで勢力圏だったところに保護されてたこと、大阪に上陸するも地元の勢力に大敗しさらに南下するも和歌山で嵐にあって遭難するなど、どう見ても最初から日本の王って感じじゃないよなってことを赤裸々に書いてあって共感が持てますw じゃぁそれが神武天皇だったかというと、上記の通りどうみても天皇(日本の王)って感じじゃないわけで、”二人目”の『はつくにしらすすめらみこと』こと崇神天皇が実質初代であり、彼の祖先の一人に日向から来た冒険談を持つものが居たのだろうなぁと思います。 ちなみにこの崇神天皇、日本を勢力下に置いたような見られ方をすることも多いですが、実際の勢力圏は畿内程度だったと考えられています。彼の2代後の景行天皇が九州平定(物語としては景行天皇の子の日本武尊(やまとたける)がしたってことになってるのが有名ですね)、日本武尊の子の仲哀天皇の妻が神功皇后で三韓征伐で有名ですが、このときにはすでに九州が勢力下にあったとこが伺えます。この三韓征伐の、捕虜の王が逃げたエピソードが大陸側の資料と一致することから、これが4世紀終りごろのことであると考えられます。 私は、神武天皇のモデルの人物が3世紀ごろの人で、上記の北九州から岡山までの勢力圏が、魏志倭人伝に出てきた邪馬台国連合の国々だと考えています。
- oska2
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>神武天皇は実在ですか? 宮内庁が「科学的な調査を拒否」しているので、誰にも分かりません。 神武天皇が即位したとされる橿原神宮にしても、(平安神宮・明治神宮と同様に)明治政府が新たに造った神社ですからね。 古事記・日本書紀にしても、勝者の都合の良い様に書いた文書に過ぎません。 日本書紀なんか、(中臣鎌足を祖とする)藤原一族の正当性を記載したに過ぎません。 ただ・・・。 神武か統治していたか否か分かりませんが、当時の奈良盆地周辺には「邑」が存在していた事は確かです。 発掘調査でも、確認出来ますよ。 ただ、(古文書を根拠とする)神武が大和地方を侵略するまでは、ニギハヤヒ系の王が支配していました。 この、ニギハヤヒ時代の遺跡かも知れませんがね。 まぁ、神武系天皇も5代目頃には祟神天皇の侵略に敗れます。 日本書紀では、神武・祟神ともに「ハツクニシラス(初めて国を統治した)王」と記述していますよね。 祟神天皇が、神武系天皇を戦で破った事を意味しています。 日本書紀自体が、天皇=万世一系とは認めていません。^^; まぁ、わざわざ記述する程ですから「何らかの証左がある」と考える事も出来ます。 宮内庁書陵部が「発掘を許可」すれば、全てが明らかになります。 庶民には、神武天皇が存在した方が夢があって楽しいです。 余談ですが・・・。 反日国家で有名な某国の正しい歴史教科書は、神話から始まっています。 まるで、戦前の日本の教科書です。
補足
丁度、私が指摘しようとしていた事実が書かれていて助かります。 実際には否定も肯定もはっきりとはできない状況で戦後に幾つかのGHQの工作の元に神武天皇の存在は否定されたのは明白なのに、それを知る人が意外と少ないのが残念です。 他の回答は見る価値もない恥知らずでくだらない回答だと思います。