>神武天皇(と後世呼ばれている人物)の存在やその事跡は、完全な架空の代物なのでしょうか?
神武天皇は実在の人物です。皇室の祖先の一人であり、皇室の子孫にとっては実在が確認される祖先のうちの最古の祖先です。しかも皇室の子孫にとって、偉大な業績を遺した人です。
8世紀の初頭、日本の最古の歴史書である古事記と日本書紀(併せて記紀と略称)が編纂されました。この時皇室の系譜が作成され、神武天皇が最古の祖先と位置付けられました。実際には、皇室も、あなたも、私も、最古の祖先などあるはずがありません。私たちの祖先(血族)の系譜は無限に遡るものだからです。
では、なぜ神武天皇が皇室の最古の祖先になったかというと、日本書紀の編者たちが木簡や鉄剣などに彫り込まれていた皇室の祖先の系譜を調査してみると最も古い祖先は「狭野(さの)」という名の人物らしいということが分かったのです。
神武天皇の前の祖先は、(必ずいたはずなのだけれども)名前が分からない。ただ、ニニギという祖先(男子)が天から地へ降りてきたとか、アマテラス(女子)という祖先が天岩戸に・・といった、およそ現実離れした伝承が皇室の内外に残っているが、ニニギやアマテラスの実在が確認できない。
ということで、皇室の系譜では、神武天皇の前は「神代」ということにして、邇邇芸命(ニニギノミコト)も天照大御神(アマテラスオオミカミ)も神として位置付けた訳です。
なお、神武天皇の物語(事跡)についてですが、木簡や鉄剣などに彫り込まれていた信頼できる事跡はほとんど確認できず、物語(事跡)の大半は皇室の内外に残っていた諸説を取捨選択して神武物語に仕上げたのだろうと思います。
最後に、神武天皇が皇室の子孫に遺した偉大な業績とは、神武物語から推測する限りでは、九州の部族だった皇室が大和盆地に移住したとき、先住民族との間で摩擦が生じ、その摩擦を乗り越えて盆地の一角に生活の本拠を築いたことでしょう。生活の本拠を築いたとは、生存の保障を獲得した、つまり、「米を作る田んぼを手に入れた」ことです。
お礼
全くの架空では無いとしたら、どの辺は真実でどの辺は架空と考えられるのでしょうか?