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哲学関連、憎しみを消すのはたやすい苦悩だ

私は質問にたいして親切に助言する掲示板で積極的に活動している。 個人的な趣味です。 その掲示板で、笑えるやり取りがありました。 質問した人の内容とは、詐欺被害にあい、犯人は逮捕されました。 被害金額は100万円です。 彼は被害者として、犯人が憎くてとても苦しい。 「どううすれば被害者の私は苦しみから抜け出せるでしょうか。」 そういう内容だった。 私は、回答者として十分に彼の心情を理解できるので答えた。 「犯人を赦せばあなたは楽になれます。」 回答者は返答した。 (たったの百万円の犯罪なのに)私は犯罪者を死刑にしてほしいと思っていますので、赦すつもりなどありません。全く的外れの回答です。 そういう私という回答者への不快感を表しする回答だった。 恐らくは、多くの未経験者は、そうした笑える回答者の意見の方が理解できる場合が多いのだろう。 私の経歴には、私が18歳の時に、私の実の母親が非行少年の刃で傷つけられて、病院に搬送されて入院する事態になったことがある。 経緯を調べると強盗と殺人未遂である模様だと警察とも話し合ったが、少年法の精神に沿って判決は軽犯罪にすり替えられた。 それとね、不幸な偶然だが、私の中学校の同級生で秀才だった人物は、同じような境遇で実際に母親が刃物で殺害された一方的な被害にあった遺族がいたんだ。 その彼は、同窓会であった時も、苦悩を背負っていなかったよ。 そしてね、私も母親の病院への搬送の一報を聞いて、病院に向かう途中考えたものだ。 もちろん心配だった。 だからこそ真剣に考えた。 母が、命を失ったならば、私はテレビ局のカメラとマイクにさらされるだろう。 そうなったならば、「私は犯人の少年を赦す。彼の今後の将来が健やかであり、いつまでも苦しみを背負わないであってもらいたい」このように報道にこたえると、あわただしく病院に向かう間に考えをまとめていた。 それよりは、事態はずいぶんと幸運を感じる推移となった。 私は18歳で大人であることを意識するから、さらに考えもした。 私が家庭を持つ身で、愛する我が子をはぐくむ親だったとしても、もしもその我が子が凶悪犯に殺されたとしてもだ、同じように犯人を赦す言葉を述べたであろう。 しかしそうした、許しを与える行為というのは、許しを与える者は苦しみぬいてこそ「あなたを赦す」そう言えるのだ。 したがって、宗教とは人を赦し救済する活動だと言いますが、赦してくれる神様というのは、赦す行いにつらさを感じるのだろうと、完全無欠でないちっぽけな私個人は考えます。 こういう事と絡んで、100万円の詐欺で死刑求刑してほしがる人は私には笑えました。 さて皆様に質問します。 笑いものになるのは、私が引用した100万円詐欺の被害者と、いかなる犯罪も赦そうとする私のどちらでしょうか? 誰か、答えを投稿してください。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.1

 詳しくはよくわかりませんが、どちらかと言うと、100万円の犯罪者を死刑にしたい被害者から、「あなたの回答は全くの的外れです。」と、それこそ的外れだとは思う返答の相手を、許せればいいのは、すぐわかります。  それは、あなたのように身内を殺した相手を許すより、その人のように、お金を奪った相手を許すより簡単だとは思います。

Flareon
質問者

お礼

ありがとうね。 奇人変人の多い哲学カテゴリーの参加者には珍しく「まともな人」だね。 久しぶりにこの時の経験を思い出してみたんだ。。。。

Flareon
質問者

補足

実を言うと18歳の時はもっと別の判断もあって「私は犯人の少年を赦す。彼の今後の将来が健やかであり、いつまでも苦しみを背負わないであってもらいたい」を割とたやすく決断できた。 何かというと、非行少年が自分が何故許されたのかを理解しないうちは「許されたことに苦しむ」という状態が起きるからだ。 それとわけわからないことを言っておくけど聞き流してくれ。 私は50歳を過ぎて独身だ。 ただし脳内に妖精さんが生息するという奇病を患っており、私にとってはその妖精さんが我が子なんだよ。 「インナーチャイルド」(検索してみい)に該当する。 我が子が殺されてもやはり赦すという話の方は、妖精さんが父親の私に「許してやってくれ」とささやく言伝でもあるんだ。 ただし期限告知してあったのは今年の12月16日だった。 それもあって、久しぶりに思い出したんだ。 さっぱりわからないだろうけど、気にするほどのことでもないよ。