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江戸時代の儒学者について教えてください。

江戸時代の儒学者って中国の古典を学んでいたそうですが、今日の我々のように読書していたんでしょうか? ノートに書き写しもやっていたんでしょうか? その辺りが不明な点が多いのでどなたか教えてください。

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  • gunsin
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回答No.1

その当時は儒学は武家の心得として藩校で学ぶ程度で医学の様に 学問としては認識されていなかったと思います。 緒方洪庵が開いた適塾の様に、儒教、漢方、洋医学、兵法など 手に入る書物を片っ端から読んでいたと思います。 勉学の志の塊で、知能指数が高く記憶力が抜群なので、我々、凡人 とは、学業を学ぶ姿勢は違うのでノートなんて不必要だったかも? 村田蔵六は適塾を卒業後、長州に戻り医者稼業をしてました。 幕府の第二次長州征伐の折に、兵学の知識を桂小五郎に請われて 長州の軍幹奉行になり、明治維新政府では軍事方の責任者となり 大村益次郎と名を改めました、俸禄は西郷隆盛と同じ2千円でした。 奈良時代に仏教が伝来して以来、僧は知識の担い手として、仏教 のみならず、医学、薬学、兵学、土木建築、儒学などを貪欲に学ん でいました。 学問は一つの学だけでなく、幅広く学んでいたのです、入って来る 知識は拒まず、八百万の神々の図式、其の物ですね。