• ベストアンサー

何も隠されてはいない

道元禅師の書いた 赴粥飯法という本を読んでいると 道元が宋のお寺に留学した時に典座に 弁道とは何ですかと質問したら 「この世界に隠されている物は何もない」と 禅の悟りの世界のように語られていますけど この言葉の何が凄いんでしょうか? ・・・何も隠されてない?? だから何なんですか?と私は聞きたくなります。 それが禅の悟りの世界と何の関係があるんでしょう? 隠されていなかったら何なのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

回答 NO.1 補足 世界は我々の目の前にすべてを刻々と展開している、秘密はさらけだされている、なにも隠してないという感じかと思います。

o2b32
質問者

お礼

そうでしょうね、ありがとうございます。

Powered by GRATICA

その他の回答 (2)

回答No.3

何も隠されていないから、 求めている答えも どこかに隠されているわけでもなく、 最初から目の前にある。 でも人間はそのことに気づかず、 答えを求めて迷っている。 「青い鳥」みたいなものかな。

o2b32
質問者

お礼

たぶんそういう意味でしょうね、 ありがとうございます。

Powered by GRATICA
回答No.1

おはようございます! 赴粥飯法は読んだことがないんですけど想像で、 人間はいろいろ秘密にして隠すじゃないですか? だから世界には秘密があると思って自然を探るじゃないですか? でも世界はなにも隠してない。秘密はない。 すべて我々の目の前にさらけ出している。疑ってるのは人間だけだ。我々は内臓の中に住んでるようなもんだ、という感じだと思います。

o2b32
質問者

お礼

赴粥飯法ではなく典座教訓でした。 書名を間違えて申し訳ありません。 そういう意味でしょうね、 ありがとうございます。

Powered by GRATICA

関連するQ&A