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「下り坂」って変じゃない?

天気予報で、天気が「下り坂」と言っているの聞いて、ふと考えました。 「下り坂」という言葉は、変じゃない? 「坂」自体には、下りも上りもないでしょう? 川ならあるけど。 坂を歩く人(や、天気や、景気)が「上る」か「下る」かなので、それを言うならむしろ「坂下り」じゃないかと・・・ 屁理屈みたいな質問ですみません。

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  • s_yoshi_6
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回答No.19

#13です。 他の方へのご返答等を拝見して、疑問に思われている点は分かりました。 「下り坂」という語そのものへの疑問で、本来上りも下りもないものにそれを頭につけて「上り○○」「下り○○」というのはおかしい、ということですね。 しかし、質問者さんの疑問には、ちょっと分からない点があります。 No.7のお礼欄を見ると、 >>川の上り下りは自然現象(地勢の問題)坂の上り下りは人間が決めることです。 >⇒ので、「川」ならわかりますが「坂」はちょっと変なのかな、と思う次第です。 「川」の場合は分かる、とおっしゃっていますが、私には、「坂」も「川」も同じように感じます。ともにそれ自体は上り下りという属性を持っておらず、 1)川の場合は「上り川」「下り川」という言い方はしないのに、どうして「上り坂」「下り坂」というのか。 2)人が川を下ることを「川下り」と言うように、天気が坂を下るので「坂下り」とでも言った方がいいのではないか。 というところがguramezoさんのおっしゃりたいことだと思うのですが、いかがでしょうか。 以下勝手ながら、そうだという前提で話をさせてもらいますが、2)の方は、おっしゃる通り、「天気が坂下りする」という言い方はあってもおかしくない表現だと思います。たまたまそういう言い方が根付いていないだけだという気がします。 1)についてもかなり悩ましいところですが、私は「坂」については、「川」と違って、それ自体に、傾いた状態を表す意味があるというところにカギがあるのではないか、と思います。 手元の辞書で「坂」を引くと 1)山の傾斜しているところ 2)傾斜している山道 とあります。 2)の場合は道そのものを指していますので、これは「川」と同じで、それ自体に上り下りの属性はなく、「下り川」がおかしな表現であるのと同じように、「下り坂」もおかしいというふうに言えるかもしれません。 ただ、1)の意味は傾いた面の状態を表しています。この意味の場合だと「下り」を付けてもおかしくはないと思います。つまり「下り坂」は「下っている斜面の状態」言い換えれば「下り勾配」というような意味だと思います。 例を挙げれば、 a)「土手は上から見て緩やかな坂になっている」  ⇒「緩やかに傾斜している(緩やかな勾配になっている)」という意味で、1)の意味。 b)「この町にはたくさんの坂がある」  ⇒「たくさんの坂道がある」という意味で、2)の意味。 c)「この道はこの先で坂になっている」  ⇒「この先で道が傾斜している」というふうにとれば、1)の意味。  ⇒「この先で道が坂道に変わっている」というふうにとれば、2)の意味。 というふうに言えるかと思います。 この例に「下り」をつけてみると、 a)は「土手は上から見て緩やかな下り坂になっている」  ⇒「下り勾配になっている」という意味で妥当。 b)は「この町にはたくさんの下り坂がある」  ⇒坂道そのものには上りも下りもないのでおかしい。 c)「この道はこの先で下り坂になっている」  ⇒1)の意味で考えて「道が下り勾配になっている」という意味ととれるので妥当。 ですから、天気の場合も、「下り坂」の「坂」を、2)の意味に取らずに、1)の意味、つまり、天気が徐々に悪化する「下り勾配」の意味だとでも考えてみられるといかがでしょうか。

guramezo
質問者

お礼

「川」は、水が流れて初めて「川」です。水がなければ「道」ですかね。 で、水は、流れる方向が決まっています。高い方から低い方へ流れます。 したがって、「川」は、標高の低い方が「下り」と、はっきりしています。舟に乗った人から考えても、「下り」か「上り」かは、共通の認識で、ある人にとっては「下り」、ある人にとっては「上り」ということはあり得ません。 でも、水がなくなった「道」は、その道を進む人の進み方で、「上り」にも「下り」にもなるので、「道」自体に、上りも下りもないということです。 ですから、「下り川」は、おかしな表現ではなく、「上り坂」はおかしいということになります。 これで、私の主張がおわかりいただけますでしょうか? ご回答、ありがとうございます。

その他の回答 (21)

  • Quattro99
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回答No.11

> 坂の上を基準にしても、そこから(下っている)坂を降りていく行為があって、初めて「坂下り」になる。 ですから、ご指摘のように「天気が」という主語がある場合は「天気が坂を下る」となるのが正しい。 「天気が下り坂になる、なっている」と言う場合、天気が悪くなっていく状況を想定しているか、あるいはすでにそういう状況である場合に用いられるのですから、何もおかしくありません。 どういう喩えであるかを勘違いされているように思います。 天気を人に喩えているのではありません。天気を道に喩えているのです。 「人が坂を下る」に喩えているのではなく「道が下り坂になっている」に喩えているのです。「下り坂になっている」が述部である以上、主部は「人」ではありません。「人が下り坂になっている」という表現はあり得るでしょうが、それは全く別の意味です(今度は人を道に喩えています)。 「天気が下り坂」という表現では、天気が坂を下っていくのではなく、天気が坂(下り坂)なのです。

guramezo
質問者

補足

みなさん、「天気」にこだわってしまっていますので、ちょっと私の論点が誤解されているように思います。 最初に戻りますと、「天気・景気が下り坂」が正しい言い方か否かではなく、「下り坂」という日本語が変ではないか、ということです。 坂には上りも下りもないのでは、ということなのです。 と言いながら、比喩についてのご指摘のことは、「天気が坂(下り坂)」なので、「天気が下る」ということになり、それは「坂下り」になるのではないかと思います。 すみません、いずれにしても「屁理屈大会」ですので・・・ ありがとうございました。

noname#118466
noname#118466
回答No.10

No7 再度補足します。 上り坂の使い方 本当の坂以外に上り下りを比喩として使うようになったのがいつ頃か分かりませんが、気象用語や経済用語として使うようになったのは新しいと思います。起床用語はともかくとして、景気動向を表す用語は新しいものが多いですね。(経済学者や銀行員などが解説記事を書く場合、人の使わない用語を探す、或いは現在の経済状況にふさわしい用語を探すからでしょう) 気象・経済用語としての坂を使った表現は、図表やグラフを念頭においた表現ではないでしょうか。下り坂といいながら峠からはるか下の村まで続く下り坂の道を想定していないと思いますよ。鎬を削る、つばぜり合いなどと同じで、語源から離れて一人歩きをしている表現はたくさんあります。

guramezo
質問者

お礼

実は、景気の「上り坂」の場合は、どう表現するか、考えていました。 「右肩上がり」が多いかな、と。 まさにこれこそ、おっしゃる「グラフ」を念頭に置いた言葉ですよね。 ありがとうございました。

noname#118466
noname#118466
回答No.9

No.7 補足します。 景気が上り坂は使いますよ。 天気については使う人は少ないですね。 これは晴れを基準において、下り坂で曇り、雨となるが、晴れから上はないので使わないのでしょう。下ってよくなる場合は「戻る、か回復する」と表現しますね。

参考URL:
http://www.google.co.jp/search?q=cache:yujUe-xKLS4J:jicr.roukyou.gr.jp/hakken/2000/023/kikitori-oita.htm+%E6%99%AF%E6%B0
guramezo
質問者

補足

補足、ありがとうございました。 確かに使用例はあるようですが、読んでいてちょっと不自然に感じました。「景気が上向き」が自然に思えます。 で、又色々考えたのですが、「下り坂」(私見では「坂下り」)というと、歩いていても自然に「下っていく」ことができますが、「上り坂」(「坂上り」)は、大変ですよね。 本来、天気や景気が「上向き」なのは、いいことなのに、「上り坂」では苦労することになってしまい、その言い回しは使わないのではないかと思うのですが・・・ 本題とは違うようで、微妙に関連しているか、或いはここから本題の答えが見つかりそうなきもするのですが、いかがでしょうか。

  • acacia7
  • ベストアンサー率26% (381/1447)
回答No.8

もういっちょ対抗! 時の流れそのものが「観察者のあゆみ」である事に注意してください。 「観察者」は立ち止まろうとも「時のあゆみ」は止まらないのです。 「観察者の時のあゆみ」を「道」に喩えているのです。 歩みを止めた観察者には「坂」の「登り」も「降り」もありませんが、 歩む限り「坂」は「登り坂」か「降り坂」なのです。 ところで「山」についてですが、「山」で歩みを止めないと、「登り」はいつか「降り」に転じます。 また、「降り」だけなら「山」ではありません。 ということで「登り山」や「降り山」という 「行為+地形」は根付かないわけです。(え?) 「ものの喩え」は「ものの名前」とするべきだったかも・・(--) あと・・なんだろう・・うーん・・

guramezo
質問者

お礼

自分で色々書いていて、何か哲学的になってしまった感じ・・・と思い始めたところ、もっと哲学的というか、仏教説話と言うか、すごいお答えが・・・ で、こちらも対抗して、 物質的な「山」は、上りはいつか下り、下りはいつか上りますが、人の心の「山」は、一生上り続けるもの。苦難を乗り越えて頂上に達した先にある下りは、人生の終焉・・・なんのこっちゃ あと・・なんだろう・・うーん・・

noname#118466
noname#118466
回答No.7

言葉は同じ文化を共有していなければ通じないことがあります。これは外国語を習えばイヤというほど経験することです。同じ文化圏でも細かく見れば地域や職業、年齢によって理解が異なることがあります。「良い天気」とは大方の日本人が基準とする天候に対する表現であり、全く気象条件が違う人を想定していないと思います。 農家の人でもご主人は水田に水が欲しい(雨が欲しい) と思い、奥さんは天気が良くならなければ選択ができないと思っているかもしれません。雨を待っていた人は 「よいお湿りで」「よい雨で」とは言いますが「よい天気で」とは言いません。自分が少数派だと分かっているので、多数派が使う「よい天気で」の意味を変えようとは思わないでしょう。 坂道はこちらが上りなら向こうから来る人にとっては下りです。坂の上り下りは一般用語としては、ものごとが徐々に良くなることを上り坂、段々悪くなることを下り坂といいますね。比喩は同一文化圏で通じる表現のひとつであり、文化が異なれば通じないでしょう。 「りんごのような赤いほっぺをした少女」は赤いリンゴを知らない民族には通じません。同じように上り坂しか知らない人には下り坂は理解できないでしょう。 川の上り下りは自然現象(地勢の問題)坂の上り下りは 人間が決めることです。ということで特に変な表現とは思いません。

guramezo
質問者

お礼

ありがとうございました。 天気については、別の機会にするとして、 >川の上り下りは自然現象(地勢の問題)坂の上り下りは人間が決めることです。 ⇒ので、「川」ならわかりますが「坂」はちょっと変なのかな、と思う次第です。 ところで、複雑になりすぎるので質問には書かなかったのですが、 天気が「上り坂」って、使わないですよね。何故かな? 景気が「上り坂」とも言わないし、どんな使用例があるのか・・・何てことも考えていました。

  • thing
  • ベストアンサー率31% (36/116)
回答No.6

「下り坂」「上り坂」という場合、これは「下り坂」「上り坂」という坂を指しているのではないことは明らかですよね。 これは日本語特有の時間の経過が省略された表現であるように思います。俳句などはよくこの手法を取り入れていると思います。 「下り坂」の場合は、これから下っていこう、あるいはこれから下っていく坂 「上り坂」の場合は、これから上っていこう、あるいはこれから上っていく坂 という意味合いがあるように思います。 また「坂下り」「坂上り」より「下り坂」「上り坂」の方が、言葉の韻も落ち着きがありますし、名詞止にすることで、後に言葉が続きやすいように思いますので、こちらの方が一般化されてきたのではないでしょうか。 勝手なことを書いてますが 言語学的にはどうなんでしょうね?(笑)

guramezo
質問者

お礼

ありがとうございました。 う~ん、「坂下り」もいいと思うんですがね。 「川下り」「逆上がり」「つるべ落とし」なんて言葉もあるし・・・しつこいか 「下り坂」は「坂」ではなく、「時間の経過」を「坂」に例えている、と言うのは、ちょっとグラッ。。。

  • arukamun
  • ベストアンサー率35% (842/2394)
回答No.5

私も結構屁理屈を言います。 そもそも、天気が良いとか悪いという表現もおかしな話しです。 雨が降る事は悪い事ですか? 晴れが続く事は良いことですか? 例えば「午後からは天気が良くなるでしょう。」と言った場合、雨が少なくて困っている農家の方に取っては、雨が降ることが天気が良くなる事で、遠足を楽しみにしている子供に取っては、晴れる事が天気が良くなる事とも考えられます。 坂に対して、上りも下りも無い。 確かにその通りですね。 そこに進む人や物があって初めて上りや下りとなります。 坂下りの方が最もじゃないか、というのも解る気はします。 例えば、川下り、ライン下り、山登り、沢登り、・・・。 実は、下り坂には下りの坂道という意味以外に、勢いなどが盛りを過ぎて、だんだん衰えていくという意味もあります。 一般的に高気圧の圏内であれば、好天なので、「高気圧の勢力が衰える」を「天気が下り坂」と言い換えているのではと私は考えます。

guramezo
質問者

お礼

やっと、賛同者を得ることができ、感謝感謝! 「天気がいい」については、結構深い考察があるようにも思っています。 根拠ゼロですが、例えば・・・ ・昔は「いい天気」とは言わなかったのではないか?「いい塩梅」とか使っていたのではないか? ・英語でいう「Good Day」は、「いい天気」のことを言っているのか。 ・水が必要なときに雨が降ったら、農家の人はなんていうのか? 「いい天気」というのだろうか? とか。 ご回答ありがとうございます。

  • acacia7
  • ベストアンサー率26% (381/1447)
回答No.4

おっしゃる様に「坂」自体に登りも降りもありませんが、 観測者がいる場合は話が違います。 観測者がこれから進む方向によって「降り」と「登り」ができ、その坂は「降り坂」や「登り坂」になります。 また、ものをなにかに喩える場合、 喩える対象は基本的に「名詞」になります。 ですから、「天気」という名詞に対しては 「降り坂」という名詞が相当するわけです。 「天気」は晴天もあれば曇天や雨天もあり、 一連の連なったものですので、道の連なりに喩え、 「降り坂」と称したわけです。 「坂降り」も名詞ではありますが、 それに対応するのは「天気の変化」でしょう。 「天気の変り様は坂を降る様でしょう。」という感じになります。

guramezo
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 屁理屈に対応していただいて、すみません。 といいながら、補足を・・・ 「観測者」がいても、坂には上りも下りもないと思います。やはり「観測者」が行う行為が、上りか下りかを決めるのであって、坂自体に「上り」「下り」とつけるのはおかしい。 ⇒例として、「登山」「下山」はどうでしょうか。「登山」は、「山を登る」という人の行為を表す言葉ですが、「上っている山」を意味しないし、「登り山」という使い方もしないのでは。 物の喩えを名詞で行うのであれば、「天気は坂下り」でいいと思いますし、「今後の天気の変化は、坂下りでしょう」でもいいのでは・・・ ・・・まあ、言葉の遊びです。失礼しました。

  • Quattro99
  • ベストアンサー率32% (1034/3212)
回答No.3

坂の上を基準にすれば下り坂、坂の下を基準にすれば上り坂ということで何もおかしくはないと思います。通常、今いるところを基準にしていると思いますが、どこを基準にしているのかは話の脈絡からわかると思います。 天気の場合は、今の状態を基準にしていると考えられますから、「天気はこれから下り坂になります」という場合は、今現在よりもだんだん悪くなることを坂に例えてそう表現しているだけで変でもなんでもないと思います。

guramezo
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 私はこう考えましたが、いかがでしょうか。 ⇒坂の上を基準にしても、そこから(下っている)坂を降りていく行為があって、初めて「坂下り」になる。 ですから、ご指摘のように「天気が」という主語がある場合は「天気が坂を下る」となるのが正しい。 ・・・屁理屈ですから、そのつもりで聞いてください。「天気が下り坂」という表現が間違っていると思ってはいません。「下り坂」っていう日本語に疑問を感じただけです。 すみません。

  • marbin
  • ベストアンサー率27% (636/2290)
回答No.2

#1で訂正です。 × 転記 ○ 天気 でした。失礼しました。

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