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奇兵隊
奇兵隊が最後に武力鎮圧されたのも 兵士の数が多くなりすぎていて 長州藩が彼らを養うだけの 経済力が無かったからだと思いますが、 奇兵隊士を郷士に取り立てるという事にして 平和に脱退騒動を収めるのは 不可能だったでしょうか?
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http://archives.pref.yamaguchi.lg.jp/user_data/upload/File/kiyou/014/kiyou14-02.pdf 添付URLは北川健の論文「幕末長州藩の奇兵隊と部落民軍隊」ですが、pdfでいう5ページ目あたりに高杉晋作の奇兵隊創設の上申書を抜粋の上解説してあります。 高杉は上申書の中で「陪臣・軽卒・藩士を不選同様に相交り」と表現しており、農民や町人を取り立てるとは一言も書いていないのです。 高杉が内心では「戦場では生半可な武士より志のある奴の方が役に立つ。これからは民は皆兵力だ」と考えていたことは確かですが、身分制度の崩壊につながるようなことを藩の上層部に訴えると首が飛びます。 高杉は若くして病死しましたが、その後を受け奇兵隊の調練を担当し日本に近代兵制を導入しようとした大村益次郎は、いわゆる不平士族に暗殺されました。 そういうわけで、奇兵隊はその創設時から武士の軍隊であるという建前の下認められたものであり、長州藩の上層部も討幕の目的を達したら解体するという目論見で許していたのでしょう。 なお、長州藩は士庶の区別が他藩に比べて厳しく、土佐藩のような郷士制度はありません。
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- oska2
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>奇兵隊が最後に武力鎮圧されたのも兵士の数が多くなりすぎていて長州藩が彼らを養うだけの経済力が無かったからだと思います というよりも、廃藩置県で長州藩は無くなりますよね。 騎兵隊に応募した者も、生活苦から応募した者が多かった様です。 ですから、「時代が変わったら、間違いなく軍隊などに採用される」と根拠のない期待を持っていた訳です。 が、明治政府には騎兵隊・相撲隊などを採用する予算はありません。 「解散」命令を出すと、騎兵隊の多くは反乱を起こした訳です。 結局、政府軍によって武力鎮圧。 >奇兵隊士を郷士に取り立てるという事にして平和に脱退騒動を収めるのは不可能だったでしょうか? 中央集権化で、藩は存在しません。 相撲隊を率いた伊藤博文のように、再就職先を世話するのが最善の策だったでしようね。 余談ですが・・・。 山口・京都などの逸話では「元相撲隊の一番の出世頭は、明治天皇」らしいです。 孝明天皇の息子・裕宮は、7卿の都落ち時に人質として長州に連れ去られましたが不幸にして逝去。 維新後は、裕宮とは似ても似つかない相撲隊隊士が偽明治天皇として即位。 ※裕宮は虚弱体質で右利き。明治天皇は、大男で左利き。 ※維新直後に明治天皇に合った京都人は「誰や?あの大男は?」と言った記録が残っています。 ※御前会議に明治天皇が発言しようとすると「黙れ!元の身分に戻すぞ!」と、伊藤博文が一喝した(参加者の)日誌記録もある様です。 色んな逸話が残っていて、歴史は面白いですね。^^;
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