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お答えいただけましたら幸いです。
文の主体、と、主語、はどう違うのでしょうか? 分かりやすくご回答いただけましたら幸いです。
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2023/09/13 21:04にいただいた補足ですが、内容がより近いこのスレでお答えします。 >「すべての人はみないつどんな場合も(常に)、本人だけでなく他人(それ、その一人ひとりがどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動(など)をしている(する/していた/した)人であれ)もいる※¹(その本人とその他人が座っているか歩いているかなどに関わらず※²)、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で※³、その他人を(それが一人であれば、その人がどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動(など)をしている(する/していた/した)人であれ、その一人を、それが二人以上であれば、その(すべての)一人ひとりがどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動(など)をしている(する/していた/した)人であれ、そのすべてを※⁴)どんな風にであれ、ほとんど見ていない(意識的にも無意識的にも)。あるいは、それに加えて、(どんな風にであれ、)ほとんど見えてもいない(意識的にも無意識的にも)、と○○さんは(いつどんな場合も)お考えになりますか(なっていますか)。」 (など)のように書いたり言う場合、 ※¹〜※⁴の対象とする箇所は、 それぞれどこからどこまででしょうか? ⇒次のような語句が対象になると思います。 ※¹ 「本人だけでなく他人(もいる)」。 ※² 「その本人とその他人が座っているか歩いているかなど(に関わらず)」。 ※³ 「すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)(で)」。 ※⁴ 「その他人を(どんな人で、どんな様子で、どんな言動をしている人であれ、そのすべてを)」。
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- Nakay702
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補足にお答えします。 > ※¹と※⁴は、すべての括弧内のすべての表現と、すべての括弧内にあるすべての括弧内のすべての表現も対象にしているでしょうか? ⇒はい、お尋ねのとおり、括弧内のすべての表現を対象にしています。
お礼
お答えいただいた質問の、※⁴の対象範囲ですが、 ※⁴の位置が「そのすべてを)※⁴」のようであろうと、お答えは何一つ全く変わらない(変わっていないでしょうか)?
補足
お答えいただきありがとうございます。 また、四つほど質問させていただきます。 一問目∶ 「全人類」には、現在存在しているすべての人に加え、今後産まれてくるであろうすべての人も含まれているのでしょうか? 二問目∶ 「全人類はみな」は非文でしょうか? 三問目∶ 「全人類」と「すべての人」と「すべての人々」 はすべて同じ意味でしょうか? 四問目∶ 「すべての人はみな」と「すべての人々はみな」は非文でしょうか?
- Nakay702
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補足にお答えします。(締め切り済みのスレより転載) >一問目∶ 「いつどんな場合も誰か一人からでもそう見えていればそうである」は、 「いつどんな場合も」はどれに掛かっているでしょうか? ⇒「そうである」に掛かっていると思います。 >二問目∶ 『ABCDEF』 というような表記(現)などに対して、 「A」から「D」までの表現すべてに「Z」が含まれています、(など)のように書いたり言う場合、 「ABCD」のすべてが含まれているのでしょうか? ⇒はい、そう思います。 《「A」から「D」までの表現すべてに(含まれている)》とはすなわち、「ABCDのいずれにも(含まれている)」ということと同じですからね。
- Nakay702
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>「あまねく人々はすべて」を非文ではない形で表す表現はどういったものがあるでしょうか? ⇒「あまねく」を形容詞のように使うことはできませんね。(「あまねき~」なんて使い方はありませんからね。)「すべて」は、もちろん、「すべての(人々)」とすれば形容詞として用いられます。前便で私が申したことは、「すべて」のままだと、後続の述部を修飾する形になってしまう、ということです。「あまねく人々はすべて」の部分をまとめて主部と見なすことはできない、ということです。
- Nakay702
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この文の主語は、「人々」であり、文の主体とは言いません。 注1:「あまねく人々はすべて」を主部として想定しているのかも知れませんが、そうだとすれば「あまねく人々はすべて」は厳密に言えば非文です。なぜなら、「あまねく」も「すべて」も副詞ですので、「人々」にかけることはできないからです。 注2:本文中に「主体」の出る幕はありません。全く別の文で、例えば、「この計画の遂行は弊社の営業部が担当します。その主体はA氏とB氏です」というような使い方なら可能です。
補足
お答えいただきありがとうございます。 「あまねく人々はすべて」を非文ではない形で表す表現はどういったものがあるでしょうか? また、「まあねく」が副詞であるのに形容詞のように使われていることが非文になっているのでしょうか?としても、「すべて」には辞書などを見る限り、人を表す言葉の後に付くというのは間違いではないように思いますが。
- Nakay702
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補足にお答えします。 この文全体の主語は、「○○さん」で、主体は「○○」という名の人物その人です。 ということは、この表現文について文法の吟味をする限り、通常「主体」なる語の出番はありません。
補足
お答えいただきありがとうございます。 では、 「あまねく人々はすべていつどんな場合も、本人だけでなく他人もいる(それ、それらがどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動をする人であれ)もいる、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で、その他人を(それが一人であれば、それがどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動をする人であれ、その一人を、それが多勢であれば、その(すべての)一人ひとりがどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動をする人であれ、そのすべてを)どんな風にであれ、ほとんど見ていない(意識的にも無意識的にも)。あるいは、それに加えて、(どんな風にであれ、)ほとんど見えてもいない(意識的にも無意識的にも)」 の主語は、「あまねく人々はすべて」であり、文の主体はないという感じでしょうか?
- Nakay702
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すみません。前便で、「体言」と「用言」の位置を逆に書いていました。 訂正して再送いたします。 (再送分) >文の主体、と、主語、はどう違うのでしょうか? 分かりやすくご回答いただけましたら幸いです。 ⇒文の主語とは、構文上で述語(用言)に対応する体言のことです。 主体とは、その体言の表す具体的な人や事物のことです。 補足を拝見しました。 >説明を受けて、その二つはほぼ同じように思えるのですが、何故わざわざ分けて考えるのでしょうか? ⇒その二つ(主語と主体)は、同じではありません。大いに異なる術語です。 「主語」は、《構文を説明・記述するための術語》であり、 「主体」は、やはり文法用語として説明に用いられることはあるかも知れませんが、 その主語の働きをする語が意味するところの、《生きた人間や動物、さらに事物》を表す語です。
補足
お答えいただきありがとうございます。 では、 「あまねく人々はすべていつどんな場合も、本人だけでなく他人もいる(それ、それらがどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動をする人であれ)もいる、すべての場所やすべての状況、すべての空間(など)で、その他人を(それが一人であれば、それがどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動をする人であれ、その一人を、それが多勢であれば、その(すべての)一人ひとりがどんな人(誰)でどんな様子でどんな言動をする人であれ、そのすべてを)どんな風にであれ、ほとんど見ていない(意識的にも無意識的にも)。あるいは、それに加えて、(どんな風にであれ、)ほとんど見えてもいない(意識的にも無意識的にも)、と○○さんはお考えになりますか。」 (など)のように書いたり、言う場合、 文の主体と主語はそれぞれどれでしょうか?
- Nakay702
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>文の主体、と、主語、はどう違うのでしょうか? 分かりやすくご回答いただけましたら幸いです。 ⇒文の主語とは、構文上で述語(体言)に対応する用言のことです。 主体とは、その体言の表す具体的な人や事物のことです。
補足
お答えいただきありがとうございます。 説明を受けて、その二つはほぼ同じように思えるのですが、何故わざわざ分けて考えるのでしょうか?
補足
お答えいただきありがとうございます! ※¹と※⁴は、すべての括弧内のすべての表現と、すべての括弧内にあるすべての括弧内のすべての表現も対象にしているでしょうか?