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仏教の教えでは、自己実現は素質?努力?
人生の能力や自己実現は、素質か、努力か、というのはしばしば論争になります。 橘玲という人は、知能などが遺伝することを根拠に、頑張っても限界があるんだから、自分の遺伝子に応じた生き方をしたほうが幸せ、という主張を行っています。 YouTuberの、rの住人ピエロさんは動画で、韓国の女性が化粧で別人になる動画をバックに、「遺伝子とは限界を示すものではなく、もともと持っている素養を示すもの。容姿に自信かないなら整形すればいい。努力に自身がないなら努力の仕方を学べばいい。遺伝子で決まったものを伸ばす方法はいくらでもある」と論破しています。 しかし、努力の仕方を学べるのも「能力」は必要であり、そういう能力も含めて、「ほしのもと」の影響は否定できないから、国や自治体などが環境を整える(機会均等)ことが必要だというのは、2年前に「親ガチャ」で話題になったマイケル・サンデルさんです。 さて、仏教はその土俵で答えを出しているのでしょうか。 つまり、仏教の教えでは、自己実現は素質?努力?政治? 釈迦仏教でも大乗仏教諸宗派でも構いません。 仏教的見解をご存じの方は、ご教示お願いします。
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- kurinal2
- ベストアンサー率27% (23/84)
jipponge様、こんばんは。 「自己実現」ということが、「社会」を前提にしていると、思われますので、 まあ、(仰る)「釈迦仏教」的には、「そんなに気に病む必要は無いよ」「「あるがまま」で、いいんだよ」ということかと。
- 畑 茂夫(@Flareon)
- ベストアンサー率28% (459/1605)
事故の適性を自覚する。 適正のそった努力をする。 大体それだけで収まるんでないかい? 他人をうらやんで、無謀なことを企むといけないんだよ。
- head1192
- ベストアンサー率20% (161/785)
仏教の出発点は 「人生は苦である」 であり 「苦を克服するのが解脱への道」 である。 苦とはたとえば四苦八苦である。 四諦も六波羅蜜も八正道も十如是も十二因縁も、すべてその手段である。 その自己実現が「苦の克服」を含むものなら仏教の範疇だが、そうでないなら自己啓発の分野である。
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11082/34532)
>つまり、仏教の教えでは、自己実現は素質?努力?政治? 仏教における自己実現は「悟り」です。悟りの境地を目指して修行するのが仏教の教えです。 ですから成功したいとか自己実現したいというのはまだまだ「欲望にとらわれている」ので仏教的にはアウトです。 ただそこから先は宗派によって悟りへのルートが違います。 密教なんかは欲望が強いほうが悟りの道は近いといいます。禅宗はもっとストイックで、欲望は捨てろー!という感じですね。浄土真宗なんかは「南無阿弥陀仏」と唱えて全てを阿弥陀様に委ねてしまえば阿弥陀様が救ってくれるといいます。
お礼
理解を助けていただきありがとうございます。
- sutorama
- ベストアンサー率35% (1689/4748)
ざっと至極簡単に説明すれば、仏教は「欲」を否定しています また、身体や精神の四苦八苦や生老病死に悩むことを否定もしています ※否定という表現が難しいですが また、欲や悩みには必ず原因があり、そこに目を向けないことを愚かなこととしていますから、無理くりその論争?に加えることは難しいと思います そもそも目立ちたがり・承認欲求の渦巻く人たちとは、噛み合わないでしょうし、武侠はお釈迦さんたちなどの先人の言葉を伝えているのですから、本人の思考や妄想のぶつけ合いに参戦できません
お礼
理解を助けていただきありがとうございます。
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