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江戸時代の朱子学について教えて下さい。
江戸時代の徳川幕府が推奨した朱子学や林羅山、木下順庵、藤原せいか、等が学んだのは現在書店などに置いてある四書五経などですか? それともそれ以外に朱子学関連の本があるんでしょうか?
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再度、質問者からの補足を拝見しました。 >江戸時代~幕末までは朱子学はありましたが、明治からは朱子学者は聞いた事がありません。 あれは衰退してしまったという事ですか? ⇒確かに、仰せのような観がありますね。明治維新、鹿鳴館、文明開化(散切り頭頭を叩いてみれば、文明開化の音がする)、廃仏毀釈…という潮流の陰で、それまでもてはやされていた朱子学はぱったり影を潜めましたね。 わずかに、例えば井上哲次郎氏などが朱子学や陽明学を研究していますね。もっとも彼の場合、時の権力に取り入ろうなどという邪心はなく、純粋に哲学や政治学の、いわゆる学術的な観点から朱子学の通史や当時の心学的実状を分析考察した、というのが実情だったものと思います。
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- Nakay702
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質問者からの補足を拝見しました。 >土佐や薩摩でも朱子学は家学だったそうですね👍 ⇒なるほど、そうでしたか。 「外様よ、徳川幕府を見習え」とばかりに家学を推奨、いや、強制したのかもしれませんね。 ところで、林羅山の弘文館に始まる昌平坂学問所は幕府直轄の学問所でしたね。その幕府のお膝元で、佐藤一斎なる師は、「朱子学のほかに陽明学を修め、渡辺崋山・佐久間象山ら幕藩体制秩序の破壊を試みた弟子を輩出した」と文献は語っています。幕府直轄の学問所から反幕府ののろしが上ったのは皮肉ですが、このような、いわば「内部造反」はある意味歴史の必然なのかも知れませんね。
- Nakay702
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以下のとおりお答えします。 >江戸時代の徳川幕府が推奨した朱子学や林羅山、木下順庵、藤原せいか、等が学んだのは現在書店などに置いてある四書五経などですか? それともそれ以外に朱子学関連の本があるんでしょうか? ⇒はい、おっしゃるように、基本はやはり四書(『論語』『大学』『中庸』『孟子』)と五経(『易経』『書経』『詩経』『礼記』『春秋』)だったようですね。 これからはみ出すものとして挙げられるものあるとすれば、それは、例えば朱子学の入門書『近思録』、朱熹の『論語集注』、伊藤仁斎の『論語古義』、荻生徂徠の『論語徴』をあげることができるかも知れませんね。そのほかは、既存の仏教・神道・儒学・陽明学などでしょう。それにしても、朱熹は700冊もの書を物したと言われますので、彼の所説がもっといろいろ読まれていたのかも知れませんが、文献を見る限りそのような説明はありませんでした。 藤原惺窩は朱子学を仏教から独立させようとしたといいます。林羅山は、仏教から朱子学に転向して、徳川幕府に仕えました。新井白石や荻生徂徠も政治に関与しました。かくして、朱子学は「寛政異学の禁」という幕府令によって官学化され、諸藩の模倣するところとなりました。つまり、当時の朱子学は、ある意味「幕府の守護学」になった、と言えるでしょう。そして、参照すべき文献が狭く限定されたことと関係し、連動したに違いありません。
補足
ありがとうございます。 五経もやったとは知りませんでした。 てっきり四書のみかと考えてて。 土佐や薩摩でも朱子学は家学だったそうですね👍
補足
補足への回答ありがとうございます。 江戸時代~幕末までは朱子学はありましたが、明治からは朱子学者は聞いた事がありません。 あれは衰退してしまったという事ですか?