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九州地方の方言について
- 九州地方の方言にはどのような特徴があるのか、関東や関西との違いを考える
- 九州地方の方言の成り立ちについては、日本語とは異なる言葉が使われていたという説があるが、言語学の専門家の間での意見は不明
- 北九州弁の特徴として、アクセントの変化がない点が挙げられる
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回答者は九州出身者ですが、むしろ逆で、九州には日本の中心部では使わなくなった日本語(古語や古い語法)が残っていると見たほうが現実に合致しています。 例えば本居宣長の「玉勝間」の中に肥後(熊本)から訪ねてきた客が、当時すでに「見える」「聞こえる」と話していた言葉を「見ゆる」「聞こゆる」と話すのを聞いて、「熊本では一般にそうした昔の雅な言い方をするのか」と聞いたら「熊本でも田舎の方のものは皆そうだが、少しでも改まってものを言うような人の多くは「聞こえる」「見える」と話している」という答えが帰ってきたという一節があります。 ところが21世紀の現在の熊本でも、「聞こゆる」「見ゆる」という言い方は年配の人を中心に根強く残っています。古語「見ゆ」「聞こゆ」に由来する「古い日本語」が方言のように思われながらも今も残っているのです。 名詞で挙げるなら、例えば九州ではヒキガエルのことを「たんぎゃく」と呼ぶ地方がありますが、これは万葉集にも登場する古語「たにぐく」が変化したものだと考えられます。 ご指摘のように「九州地方ではもともと日本語とは全く異なった言葉が話されていた」とするならば、その痕跡がどこかに残っているはずですが、それは発見できません。動詞の命令形の「○れ」など九州以外にもあり、どう考えても日本語の動詞の活用形のバリエーションでしかないでしょう。 なお九州の方言といっても一つではありません。離島を除く九州の方言は大きく3つに分けられ、九州出身でない旅行者であっても、しばらく聞くことができれば、3グループに違いがあることがわかるのではないかと思います。その3グループは熊本・福岡西部・長崎・佐賀の肥筑方言、大分・一部を除く宮崎・福岡東部の豊日方言、それに鹿児島・宮崎の一部の薩隅方言です。とくに鹿児島の言葉(薩隅方言)は、九州のほかの地域の方言とは違いが大きく感じられます。 余談ですが回答者は九州の一部の「無アクセント」地域の出身で、小学生のころ東京からの転校生が国語の授業中に東京式アクセントで教科書を音読したところ、「教科書に節を付けて読みよる」と級友から笑われたことを今も覚えています。
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- 4500rpm
- ベストアンサー率51% (3209/6282)
離れた場所でも同じ言葉を使う場合があります。 1)方言周圏論というのがあります。文化的中心地から同心円状に周辺に向かって伝播するというものです。→京都を中心として、京都で生まれたはやり言葉や文化が伝わっていき、反対側にもに同じような言葉があることがあります。 なお、岡山以西は、アクセントは東京式です。 2)交易などを通じて文化や方言が伝わる→北前船の寄港地には、交易を通じて上方の文化や方言が伝わっているところが多いです。また、北九州地方は大陸との交易の中継地ともなっていますので、こちらも上方の影響があると思います。 3)集団移民など多数の人間が移動すると、文化や方言などが同じものが伝わる→今回は該当しないように思います。 よって、東京式のアクセントのところに交易などで上方の方言が部分的に伝わったのではないでしょうか。 ロマンを求めれば、邪馬台国が北九州にあったころ(邪馬台国九州説を支持していますので)使用されていた言葉が、神武東遷により近畿地方に伝わり、それが全国に広がった。そののち、文化の中心となった京都で使われていた上方言葉が、交易を通じて、伝わってきたなどというのはどうでしょうか。
- 4500rpm
- ベストアンサー率51% (3209/6282)
離れた場所の方言が似ていることはあります。 1)方言周圏論:文化的中心地で発生したもの(はやり)がその場所を中心とした同心円状に広がる→京都で発生したはやり言葉が時間とともに地方へ広がる。京都を中心として反対側にも同じような言葉が見られることがある。 なお、岡山から以西は、東京式のアクセントです。 2)商売などで交流があるところは、方言や文化が影響される→上方からの北前船の寄港地では、上方の言葉やイントネーションによる影響が見受けられます。また、北九州地方は、外国との貿易を中継する意味で、上方とのつながりもあったと思います。 3)集団移住などにより、多数の人間が移動した場合、その方言(文化)が持ち込まれる場合があります。→今回は該当しないかと思います。 よって、基本的なアクセントは東京式だが、そこに交易などで入ってきた方言(文化)が混じってきた。ということが考えられます。なお、朝鮮語や中国語の影響もあるかもしれませんが、少数の単語が入ってきた程度と思います。 ロマンを求めるなら、北九州で発生した邪馬台国の言葉が、神武東遷で近畿地方に広がり、そこから全国に広がったと考えてみてはどうでしょうか。
- kairibaka
- ベストアンサー率27% (148/547)
学生時代を福岡で過ごし、その後愛媛県出身の嫁をもらいました。 ちょっと違うかな、と思います。北九州の言葉って独特です。言ってしまえば、言葉が汚い。ただ、寝れ、食べれ、しゃあしい位は博多、佐賀、長崎でも普通に使いますし、私は中部地方出身ですが、寝れ、は普通でした。 北九州の言葉が汚いのは、「海近くかつ炭鉱近く」だったからだと思います。どうしても「流れ者」が集まります。炭鉱労働者はそれぞれにコミュニティを作り縄張りを主張しますので、言葉使いは汚く、強く刺さる言葉を使うようになります。愛媛県新居浜市もそんな感じです。 海近くの炭鉱近くだと、色々と夜商売、水商売が増えます。ますます流れ者が増えます。北九州は同時に九州の玄関でもあり、交通の要所なので、炭鉱が廃れた後も町が栄えたが、新居浜は四国の玄関口ではなかった。両方ともに残ったのは、ちょっと独特な、汚く強い方言、 地理的背景によって、荒くれ者のよそ者が多く入って町を作った歴史がある、というのが理由じゃないかな、と思います。行った事はないけど、福島県いわき市なんかもそうじゃないかな、とは思います。
お礼
kairibakaさま、早速のコメントありがとうございます。 寝れ、食べれは確かに標準語から見ると文法的に間違った言い方ですが、方言としてでなく、どの地方でも正しい文法を知らない人もある程度存在するので、その土地の方言なのかどうかは分かりませんね。kairibakaさまのお説の様に、「流れ者」が多いとそれなりに文法違反の話し方をする人は多くなる可能性はありそうですね。 そうすると、もともと日本語以外を話していたとは言えなさそうですね。
- takao5656
- ベストアンサー率0% (0/1)
私は鹿児島人ですが鹿児島弁は昔は手本にする程綺麗だったと聞かされていますよ。
お礼
takao5656 さま、鹿児島弁は日本語として美しい言葉が話されてるということですね。そうするとやはり私が考えたことはありえないということになりそうですね。
- FattyBear
- ベストアンサー率33% (1530/4610)
あなたの推論を証明してみたらいかがですか? 「九州では古くは日本語とはまったく違う言葉が使われていた」 という証明をされてみたら、”日本語ではない言葉”は何か? 可能性も含め、調査、研究対象として。
- ji1ij
- ベストアンサー率26% (466/1738)
北海道の方言 https://hokkaidolikers.com/archives/35991 止めれ 食べれ すれ
お礼
北海道でも「食べれ」ですか。文法的に間違っていることに気が付かないで広がるということは割合普通に起きるようですね。 私が考えたことはもはや全くなさそうですね。
お礼
staratras 様、大変興味深いお説をありがとうございます。 すると、もともと九州を含む日本の広い地域で同じ言葉が使われていたのが、その後、各地域でそれぞれ独自の方言が発生して現在に至っているという見方ですね。 ただ、人の交流は時代と共に盛んになって来たでしょうから、逆順のようにも思えます。 それよりも、やはりもともと国中で同じような言葉が使われていた中で、国の中央でも時代とともに変化しており、その場合、その変化が地方に伝わらなくて、地方では古い表現が残ってしまったというように見る方が良いのではないでしょうか。 これまで他の方から頂いたご意見で、北九州と離れた地域でも北九州と同じ表現が使われているとありましたので、もともと私が考えたように北九州では元々日本語と違う言葉が使われていたとすることは言えないと、考えが変わりました。