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古代幹線道路の工事
東海道などの古代の幹線道路を造るのに何人くらいが、何日くらい働いたのですか?
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古代の道の場合、道が出来た後になってから時々拡張整備のために工事が行われた事はあったものの、道自体は工事によって造られたものではありません。 最初は道など無かった状態から始まり、獣道などの人間が比較的通りやすい経路を人々が往き来している内に経路上の地面が踏み固められて原始的な道となります。 その原始的な道は比較的短い距離を繋ぐものに過ぎませんでしたが、複数の原始的な道を経由して人々が長距離を往き来して行く内に、複数の原始的な道同士が繋がって、長距離を移動する際に良く使われる経路がある程度決まって行き、その決まった経路を人々が往き来して行く内に、徐々に道幅が増して行くと共に、整備されてより通行しやすくなって行く事で古代の街道(幹線道路)となりました。 古代の街道は、そのような形成のされ方をしたため、 >造るのに何人くらいが、何日くらい働いた と明確に言う事は出来ず、「多くの人々によって長い年月をかけて」としか言えないのです。
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- gunsin
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回答No.2
記録が残っていないので、#1さんの回答が実情だと思います。 天武天皇が五畿七道を定めた事が記録に出てくる最初の様です、 その後、持統天皇の時に街道として整備を行ったが、動員された 人員の記録は残ってません、度重なる政変で焼失したのかも・・・ 大和民族(朝廷)は記録に書き留めたり、それを管理するのが 苦手な様です。