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昔の寂しさを紛らわす方法
- 昔の時代、人々はどのように寂しさを紛らわしていたのでしょうか?お酒だけでなく、様々な方法が存在しました。
- 現代ではネットが主流ですが、昔の時代にはどこで寂しさを紛らわしていたのか気になります。
- ただし、現代のネット時代でも、寂しさを紛らわすことが不幸の要因となる場合もあるので注意が必要です。
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それぞれの町内に人が集まる場所がありました。井戸端会議のように主婦などは井戸、縁側で話し合う人々。家庭風呂が少ない時代には銭湯にいって裸のつきあい。神社やお寺に集まって祭りの準備やらといろいろ有ります。人と人がつながっていたのです。 お酒も、たばこもあったでしょうし、楽しむことは自分たちで作り考えていました。子供の頃にはそういった世界がありました。 今は人とのつながりを切ろうとしながらも、やはりつながりたい。しっかりつながるより、すぐにでも切れそうなつながりを求めている。そんな現代ですね。子供の頃の遊びって一人で遊ぶより、友達と一緒にあそぶのが多かったですから。
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- canaryz
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理由は何点かあるような気がします。 ・生活するので精いっぱいで、寂しい余裕なんてなかった。 貧困な国では、病死や餓死はあっても、自殺者はいないそうです。文化レベルの高い国の方が、自殺者が多いのです。人間だって、ただの生物なのに、自分の価値や、生きることに意味を見出したがるからです。 ・プライバシーがなかった。 わたくし事ですが、数ヶ月前、築40年のマンションに越してきました。防音の事はまるで考えてなく、隣の老夫婦の喧嘩も会話も普通に聞こえてきます。生活リズムもよくわかります。 私が炊事で、鍋を焦がして煙を出したときは、火事かと心配して訪ねてこられたりしますし、夏場はマンションの階段なのに、打ち水をしてくれます。 廊下では、40年前からお住いの方同士が世間話をされています。 私にとっては不慣れなことですが、年輩の方は長屋のような昔ながらの付き合いをされています。 ・昔は、出会いの場が少なかった。 現在、出会いの場が多すぎます。相手が気に入らなかったら、また別の相手を探せばすみます。 自分がそんな考え方なので、相手もそうだと考え、一緒にいても、不安感が付きまといます。 昔は、デート3回くらいで結婚、なんてこともあるように、好きでなくても別の相手を探すなんて発想すらなかったような気がします。 話が合わない相手でも、相手の意見も取り入れる、話し合ってみる、尊重する等して数年経てば、それなりに付き合いが成り立ってきます。 「気に入らなかったらサヨナラ」という考えでいる限り、寂しさは続きます。 たしかに、ネットで一時的に寂しさが解消される分、より不幸な状況になっているといえます。
お礼
挙げていただいたものに全て共感できます。 食べることに困らなくなって他の部分で価値や、生きることに意味を「みつけよう」とすること プライバシーいまうるさいですね 前興味あって調べたことあるんですが、八百屋が衰退してスーパーの時代になったのは、物が豊かになるにつれて品数の少ない買いたくないものを八百屋で買うより、気に入らなければ買わなくてもいいスーパーの方が選ばれるようになったからだそうです。 いま出会いは多すぎますね 親しくなるかは別として会う数だけは多い だから、結婚もできないという 短期間のうちに、「いい人」を演じる術や「会話術」みたいなのがもてはやされるという これからも日本では、「なんとなく寂しい」という世相の感覚が続いていくと思うので、しっかりせねば、と改めて思いました。 ありがとうございます★
- elenjynt
- ベストアンサー率4% (17/389)
たべるのが せいいっぱいで さびしさは あまり かんじなかったのでは。
お礼
時代が明るい時代ですからね。 所得倍増計画、日本列島改造論、中学生の新卒は金の卵などという いまは、労働で言えば単純作業がすみにおいやられてる時代ですので・・・。 いまの、たべるのが せいいっぱいな家庭は、私の感覚だとさびしさはつのると思います。
- shipei
- ベストアンサー率12% (14/112)
たびたび、すいません。 先走りましたことを、深くお詫び申し上げます。 どこだって、寂しいから構って欲しいって人はいますよ。 プールの監視員していた時に、なにかと話し掛けてくる人。 スーパーでバイトした時は、なんでも文句を言うおばさん。 テレビでも、引っ越し騒音おばさん。 万引きだって、そうかも知れません。 どこにだって、寂しい人はいるんだと思います。 こんな所にいる人は、自分も含めて暇人ですよ。 暇人の集まりです。 人の悩みを聞いて、答えて優越感に浸ってる人ばかりです。 SNSもしかり。
お礼
いえいえ、世相が暗い時期なので・・・ 世相が明るい時期ならば、 文句を言うおばさんだろうと騒音おばさんだろうと、傍観者は特に何も感じないと思うんです。 暇人とか優越感という自虐的な言い方はあまり好きじゃないですが、 質問者も回答者も満足すればそれでいいのかなと ポイント制度で一番をつけることと悩みを聞くことは相性が悪いですね。 年末の派遣村騒動の時に、日本人同士は冷たいが、外国人に対しての手助けは日本人は優しかったと言われてます。 現代では日本人同士の間には、溝が深いですね。 家庭間にせよ、異性間にせよ、近所同士にせよ。 そのことが残念でならないです。
- shipei
- ベストアンサー率12% (14/112)
はじめまして。 昔だってやる事なんてあるでしょ♪ 僕は行きませんが、父の昔は良くクラブに行ったと言っていました。 それも、寂しくてネットしようなんて僕は思いませんよ。 ネットで寂しさを紛らわすしても また寂しさがやってきます。 僕が独身だったら、友達と女の子を探しに行きます。
お礼
いえ、私がさびしくてネットしてるのではないので・・・・;; ちょっと、ここのサイトをみてると、多少そういう人が目に付くんです もちろん本人にその認識はないでしょうし、たとえ指摘しても非礼でしょうし。 私から言わせれば、ブログだろうとSNSだろうとさびしさの一種かな ですから、ネットは一過性なので、ここの質問サイトだと反復的に変な質問をするんです。 クラブですか、私もクラブミュージックならよく聴きますよ。 ありがとうございます★
お礼
回答ありがとうございます。 それならば、「さびしさ」という概念は昔は薄かったでしょうね うーん、すぐにでも切れそうな関係というのは私の若者の感覚として深入りしてほしくないからだと思いますよ。 いろいろと関係において情報が過剰な分、比較が気になる時代ですから。 収入、貯蓄、趣味、学歴、子供のことなど比較することに困らない 食べるものについてもいろいろ比較できますからね あれがおいしいの、まずいのと。昔の時代もあったでしょうが・・・。 日本に近所づきあいが消えてといわれて久しいですが、最後のフロンティアがこういうところかもしれませんね