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宗教問題をみて思った事

最近の話として、統一教会が政党と結びつき、色々裏で票の操作をしたり、 その見返りとして条例や憲法に自分達の意見を反映されるなどという 反民主主義的な行為が発覚し問題となりました。そしてこれを機に、 信仰の自由の名の元に、私達は言論の自由を弾圧され罪のない人々が理解不明な暴力に晒されても、 それを訴える事さえ踏みにじられてきたのではという声があがっているように思います。 そしてそもそも、信仰の自由が何故あるのかという原点を調べたところ、 そこには徳仁さん(レイワテンノウと呼ばれている人達)ら一族が根源でした。 戦時、(テンノウとかいう言葉で呼ばれていた人間達)徳仁さんら一族は、 国民に神道の強制をし、奉安殿(ホウアンデン)という祠みたいなものに、 徳仁さんの曽祖父、裕仁さんの写真を飾りその前で子供達に教育勅語を読ませるという、 (今でいう、統一教会信者が、自らの子供に教義を叩きこむような) 行為があり、そうした神道の強制の反省から、この信教の自由に繋がっているのだと知りました。 しかし、現時点でこうした行為があった徳仁さんら一族や神道が罰せられたり、 ペナルティを受けている様子はなく、 むしろ保護され、信教の自由を逆に利用し、蓄財へ動いているように見えるのは何故でしょうか? そもそも、徳仁さんという人間を違う何かのように宣伝し、 子供を洗脳するという行為って大問題ですよね? いつの時代であっても、決して許されてはならない行為です。 今、宗教が問題となってるからこそ信教の自由と統一教会の規制が進まない根源である、 この問題を考えないといけないのではないでしょうか? そして、そもそも、徳仁さんらはかって、天照という神の末裔的な位置づけでしたね。 でも、その天照というのは何かというと 「イザナギという山より巨大な巨人が黄泉という死者の国から帰ってきて、 その穢れを払う為に水で洗ったところ、目から誕生したのが 天照」と明記されています。これ、絶対に嘘話ですよね。 どうあがいてもあり得ないです。そもそも巨人がいたなら、 足跡なり、痕跡なりありますよね? 目玉から誕生したって、目の細胞である錐体(すいたい)細胞とか桿体(かんたい)細胞が 人間一人の細胞に変化したという事ですか? では、徳仁さんをDNA鑑定したらその痕跡でも発見できるんですかね? ええ、ウソですよね。徳仁さんはどうあがいても人間です。 DNA鑑定しても、普通の人間と同じDNAしか出てきません。 おならをすればゲップもする。ただの同じ人間です。 でも、その同じ人間を神とたたえさせる。 しかも、子供という純粋で真っ白なノートのような存在に汚らしく、ぐしゃぐしゃに書き込む。 こういう行為って人道的に許されません。絶対に許しては駄目です。 そして、国体(つまりは徳仁さんら一族とその財産)の為に戦争にいき、 裕仁バンザイと叫んで死ぬ事が美学という意識を植え付けました。 これは、『自分達を特別だと信じ込ませ、自分達の蓄財の為に多くの人の命が犠牲になった』 という歴史的事実にしか私の目にはうつりません。 現に、戦争での勝利品、土地は徳仁さんの祖父、裕仁さんの物、人民、兵士の命も 裕仁さんら一族の物という認識でしたよね。 これは、今からでも何だったのかを考えるべき最悪の宗教・洗脳問題ではないでしょうか。 これは宗教問題が起こるたびに見てきたことです。 【私は神だ的な事を信じ込ませる。そして人の命を自分の道具のように扱う。 そしてその勝手な行為で失われた命を、自分らの頭でこさえたあの世とやらで処理して、 勝手に自分達の中で完結する。】 麻原彰晃の言い分では、オウム被害を訴えていた弁護士を、「自分達に立てつくのは悪行」 早くポア(命を奪う事)すれば悪行が断たれるから良い事なのだ。 という勝手な理屈で人を殺め、子供まで手をかけました。 ガスをまいた信者も下手をしたら命を失っていたかもしれない。でも、彼らはむしろ 正しい事をしたと思い込み、目をキラキラさせながらテロ行為を平気で実行した。 天国、ポアが勝手なマヤカシ言葉なら、靖国、英霊もマヤカシ言葉ですよね。 あれだけ多くの命が失われて、亡くなった兵隊が見える形で行進して帰ってきましたか? 多くの人がそれを一斉に目撃しましたか? ええ、ありません。枕元に立ったとかそういう寝ぼけてお化け見た的な話はもう結構です。 そういう曖昧、ボンヤリ、空想言葉で取り繕った時点で ポアも英霊も自分勝手な妄想です。 しかし、その言葉に裏に、誰かが傷つき、命を失い、 泣いて打ちひしがれているのは、『紛れもない事実』です。 質問です ・同じ人間でしかないのに、違う何かのように思わせたり、神を見た的な話で自分をつくろい 、他の人の命を所有物化したり、財産、命を奪う行為。 これが正しい行為なのでしょうか? 誰しもが正しくないと答える事は分かりますが、いまだに宗教が野放しなのは この当たり前の質問に答えたくない信者がいっぱい、いるからと思います。 それで、またこの宗教問題は流され、また何か起きてから騒ぐのでしょうか? もう、終わりにしましょう。

みんなの回答

  • apple1963
  • ベストアンサー率41% (10/24)
回答No.6

天皇制度に批判的ですが、私もどちらからと言うと、いらないかな。 でもイギリスの様に、国王の首をちょん切った後、又敢えて国王を迎えてますよね。なくても構わない王制度ですが、お願いしてでも王制度を復活させてるわけです。 そう考えると、天は人の上に人は作らないけど、人が人の上に人を作ってしまう。日本でも鎌倉時代・室町時代・江戸時代に天皇家を替えることが出来たのに、矢張り廃止してない。そう考えると、民族や人の習性なのかもしれません。 政治と宗教は、お互いに便利だとくっ付くし、その反対なら睨み合う。政治は宗教を利用するし、宗教も政治を利用する。 政治家は利用できるものは何でも利用するでしょう。それが政治なのだろうと思います。然し宗教は、その誘惑にのってはダメ。だろうと思ってます。でも現状は仏教会が政治家の推薦を出したり、創価学会は公明党を作ったりしていて、そこに何の疑問も抱かない。 利害がそうさせてるのでしょう。いち佛教徒としては、如何ともしがたい現実です。

  • Paravati
  • ベストアンサー率26% (75/287)
回答No.5

宗教とは何万年も前の昔から存在しているものですが、もう今は相当に時間が経ち、既に 廃れ始めています。 今は時代が進み、宗教 という概念自体が時代遅れとなっています。 例えると、いにしえの時代の田舎の人達がやっているようなものでしょう。 今後 宗教 という概念はどんどん無くなり、何百年後の未来の人達から見たら、宗教などは昔の恐竜の化石のような代物(しろもの)に成り果ててしまうと思います。

  • aeromakki
  • ベストアンサー率36% (870/2378)
回答No.4

>そしてそもそも、信仰の自由が何故あるのかという原点を調べたところ、 >そこには徳仁さん(レイワテンノウと呼ばれている人達)ら一族が根源でした。 いや、信仰の自由の原点はむしろ、キリスト教の異端問題でプロテスタントやらカトリックで血で血を洗う有様とかじゃないですかね。 事実誤認というか、自説のために故意に歪めてますね。 人はそれを、「卑怯」と呼びます。 神道は、私にも我が家にも全く関係ないですが、他者が大切にしているものを土足で踏みにじることも、「汚い」ことだと思いますね。 ちょっと、常識なさ過ぎではないですか?

  • sirasak
  • ベストアンサー率27% (348/1287)
回答No.3

日本では義務教育して日本憲法、法律、常識を教えて皆が幸せに自由に暮らせるようになっているのに、 わざわざ神、仏、統一、学、イエス、イスラム、霊、など無数にある無用の詐欺宗教を信じると不幸になります。 行政が迷惑になる不正な宗教を厳密に審査して削除すれば良い国になるはずです。 日本憲法と違う何かのように思わせたり、神を見たような作り話で詐欺団体を作って、他の人の命を所有物化したり、財産、命を奪う行為は日本憲法に反していて犯罪行為なのは間違いありません。

  • gunsin
  • ベストアンサー率32% (417/1292)
回答No.2

スターリンは粛清で多くの人をシベリアに送りましたが、 ロシア正教会には手を出しませんでした。 それ程、信仰は根が深く簡単には行かないのです。 大日本帝国は戦争遂行の為に天皇陛下を担ぎ出し、320万人の国民の 犠牲を出して、昭和20年8月15日に敗戦となり、昭和20年9月2日、 日本の無条件降伏文書調印式が戦艦ミズーリ号艦上で行われ 大日本帝国は滅亡しまして、日本国の誕生と成りました。 新憲法下で77年経過して、諸問題が起きています、民主義国家 では国会が諸問題解決の最大機関ですよね。 現状の国会議員では、どう見ても改革は無理ですよね。 若者が投票に行かない事が大きな要因と思いませんか、 投票率55%で、その殆どが年寄りの票です、年寄りは年金制度 を守ってくれる、既存の議員に投票します、投票に行かない 若者は、そんな年寄りに自分の未来を託しているのです。 投票率を80%以上にして、改革の考えを持った議員を選び 既存の議員を排除しなければ改革は望めません。 遅々として改革が進まないのが民主主義なのですが、先ずは 投票場に行く事が第一歩と思いますが。 --------------------------------------------------------------------- 団塊世代の世迷い言でした。

  • GENESIS
  • ベストアンサー率42% (1198/2799)
回答No.1

本来の宗教は、人生を正しく生きるための教えが説かれています。また来世で幸せになれるための教えが説かれています。個人が他人に迷惑をかけずに成長できればそれで何の問題もないのですが…。 そこに私利私欲が絡んでしまうと問題です。政界や大手企業と絡んでしまうと結局良い結果は生まれません。今は統◯教会が大きく取り沙汰されていますが、創◯学会も問題ありです。ただ問題なのは一般信者ではなく管理者側でしょう。純粋に教えを信じ入信したのに社会的な問題になっているのですから、ある意味一般信者も被害者かも知れません。霊感商法で高価な壺などを売っていた問題もありましたが、結局は自分の信仰のためにそうしなければならないと洗脳されてしまっています。一昔前問題になったオー◯真理教は、多くの人を殺害しましたが、結局これも管理者の私利私欲が原因で信者を洗脳した結果です。 人間は本来弱い者です。そこからいろいろな宗教が生まれています。法律も宗教の自由を認めています。人間が多く集まれば集まるほど色々な問題が起きますが、そう言ったことから道を開き解放してくれるのが本来の宗教の目的ではないかと私は思います。平和や安らぎ、愛、魂の救い、宗教はこれが本来の目的だと思うのです。しかし時代の流れとともに考え方が変わり、聖書や経典といった神聖なものでさえ自分たちの都合のいい様な解釈をし、欲を出して行った結果が今の問題を起こしているのではないのでしょうか。悪いのは宗教そのものではなく、上に立つもの、管理者が悪いのです。そう考えると今の政府って、間違った道を歩む宗教と同じ様な気がしてなりません。 余談ですが、聖書はキリスト教のものと言われていますが、実はそうではないそうで、キリスト教が勝手に自分達の経典にしてしまったのだとか。聖書はすべての人類に与えられた歴史書であり預言書です。今世の中は聖書通りに動いていると言われています。私も聖書は読んだ事があるのですが、今改めて考えると確かにそうだと思います。特にヨハネの黙示録は怖いですよ。まさに今の状態です。

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