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戦前はマインドコントロールを受けていたのですか?

戦前は、国家神道、という国家の宗教があったようです。「神道は宗教ではない」、から、憲法の信教の自由とは矛盾しない、とされました。祭政一致にするため、天皇を現人神にしたそうです。戦後に、天皇は人間宣言により、人となりましたが。一方、宗教では、マインドコントロールや洗脳が問題となります。本当の自分の意志によらずに、いろいろな手段によって主義・思想を持たされてしまうようです。 天皇を現人神として、国家が宗教をやっていた訳ですから、マインドコントロールなどによって、特攻や集団自決までもが行われたのでしょうか?

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noname#97906
noname#97906
回答No.6

通常のカルト宗教とかでいうマインドコントロールは教主が行いその教団のトップに君臨すると考えられますが、 戦前の日本は天皇が閣僚とかをマインドコントロールでもしていて、それが広く下々にまで波及したのでしょうかという質問であるなら 天皇はその一言の影響力の大きさを自覚したことで 閣僚を誘導してしまうことを避けたと言われています。 東洋思想の源流をたどってみても 神道が仏教を受け入れ色々な宗派を派生させながらそのどれをも受け入れ融合していった意味合いから推察しても唯一神系宗教とは違った汎神論を展開する体系であったと考えられますが、 明治維新の時に天皇を神とし権力の頂点にすえることによって正当な政府としての意味を持たせながら中央集権化のために利用したと考えられます。 もしマインドコントロール的なことが広く国民に施されたとすれば天皇を利用した別の系統によると考えるほうが妥当です。 明治維新で天皇を神の座に据えてしまったことで日本神道はユダヤ教とにているされますが、ユダヤ教の神を自然を擬人的に表現したものと解釈すれば 日本神道は自然と共生を志向したのに対して ユダヤ教は自然から乖離していってしまった宗教体系と推察されます。 現代の日本でカルト宗教系とされるのは教主を頂点とする唯一神教的な要素があるかということからも判断されるところがあるといえます。 司祭一致という言い方は唯一神のキリスト教的社会の表現で 精神世界を反映する唯一神教的世界の顕現化はアメリカ発の世界的な未曽有の金融危機によって崩壊してしまったとみなすことができます。 日本神道は歴史的に見ても 宗教が政治に積極的に関わるという意味よりも 本来の神道における祭司は豊作を祈願するというようなことで機能する質のものだと解釈されます。

noname#111050
質問者

お礼

天皇は教祖的ではなかったということですね。しかし周囲のものが教祖にしてしまった。戦前だけ特殊であったのですね。

その他の回答 (8)

noname#98828
noname#98828
回答No.9

すいません。No.8回答、戦前を戦時中に訂正です。

noname#98828
noname#98828
回答No.8

以前、TVで戦前のことを語ってる老人が言ってたのですが。 「それが常識だと思っていたから」らしいです。 自分の周り、友達、家族、学校の先生、そして国家が正しいということに疑問をもつことすら困難なのではないでしょうか。 特攻や自決もだって正しいと思う人たちには正しいと思います。 あなたが見ている現代とその時代の日本では恐らく考え方の次元が違いすぎます。

noname#111050
質問者

お礼

まるで環境が違いますからね。天皇が神として変質化したようですが、どうしておかしくなってしまったのでしょう。情報も制限していたのは明らかですから、やはりある種のマインドコントロールといえる部分もあるのかもしれません。他を知らなければ疑いようもないですから。

noname#97906
noname#97906
回答No.7

No6.の最後の文中において 祭司は 祭祀に変更願います。 失礼いたしました。

noname#118718
noname#118718
回答No.5

マインドコントロール技術=世論や他人の思考をコントロールする技法と考えるならば大昔からあります。 以下のNo.18、10で指摘している詭弁もそうです。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa5228835.html >天皇を現人神として、国家が宗教をやっていた訳ですから、マインドコントロールなどによって、特攻や集団自決までもが行われたのでしょうか? マインドコントロールというより、天皇陛下を大義名分にして反論を封殺しただけです。反論する対象自体を曖昧にすると反論は不可能になります。どちらかというと、組織上の欠陥によって行われたと思います。

noname#111050
質問者

お礼

強制ということですね。ある種のマインドコントロールの部類ともいえるかもしれませんが。天皇が絶対神ならば逆らいようないですからね。

  • wiz0621
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回答No.4

洗脳って何?というと、中国共産党の開発した教化技術のことです。 まとめて洗脳教化とも言います。 歴史上初めて行われた洗脳実験、日本人捕虜収容所で取られた方法は、 開放された捕虜の証言や当時の資料によりほぼ特定されています。 一方で、この捕虜収容所の状況は極めて特殊です。 収容された捕虜達は、初期の段階で全て処刑されることを 覚悟していたそうです。つまりいつでも殺されうる状況にあったわけで。 これが一般社会で実現可能かというと多少疑問が残ります。 さて、その方法とは。 まず、外部との情報を遮断すること。これにより収容者の不安を煽ります。 ただし、暴力行為は一切行われず、さらに食糧難の時代に優先的に 食料を供給したそうです。ここが非難の対象となる、捕虜虐待と 大きく異なる点です。たまに与えられる情報は、共産党が外国との戦いに 勝利した(1950年の朝鮮戦争のことだと思われます)といった 情報だそうです。軍人達の興味は戦争に勝てる共産国へと向いていきます。 そして次の段階。唯一の情報として、共産主義について 書かれた本を提供する。すると、収容者の間では、共産主義についての 賛否の議論が巻き起こったそうです。この時点ではもちろん、まだ 共産主義に対する批判者も居ます。 ですが『捕虜に対して暴力的ではない』『自分の食料を分け与える』 共産主義者達に対して、批判的である人間は、逆に批判されるようになる。 捕虜の間でも阻害され、最後には自ら命を絶ってしまいます。 最終段階として共産主義者たちは、日本の捕虜達に『自分のした悪いこと』 を告白させていきます。もちろん、いくら悪い行いをしたとしても 彼らは暴力的な扱いを受けません。むしろ、よくぞ告白した、と 賞賛されるのです。 こうして、暴力によって言うことを聞かせるのではなく 教育によって考えを変えさせ、彼らの視点では『誤った考え(帝国主義) から正しい考え(共産主義)へと教え導く』ことを目指したものです。 そして何より。目指した結果である共産主義は、根本からしてもっと 悪い考えであったので、少なくとも洗脳教化がもたらしたものは 世界に対して悪い影響しかなかったのです。 この事件は共産主義への賛同者と、批判者を同時に生み出しました。 つまり、日本にとっても、本人にとっても不幸にして共産主義を 広める運動に積極加担していった人達も少なからずいたわけです。 非暴力の教育からもたらされた暴力思想によって、これが後々の日本に 数々の暴力闘争を巻き起こしていくわけですが、それはまた別の話。 さて。これは戦後10年間の話です。 戦前・戦中にはそもそも『洗脳』という概念はありませんでした。 戦前・戦中の状態を言い表すと、欧米からの分析によれば『文化の違い』 と表現されています。菊と刀って奴です。これが正しいかはさておき。 そして日本人からの視点によればそれは洗脳ではなく『教育』と 言い表されます。洗脳教化の概念が出来たのは戦後なのです。 そしてもちろん、施術した側からすれば『正しい考えに教育した』と 表現されるでしょう。 実のところ、洗脳教化は、"従う人にとっては"現在学校で行われている 『教育』とと大差がないのです。社会と隔離し、特定の考えを植えつける という意味において。学校教育という行為にはこういった 影響力・思想の強制が潜むことを忘れてはいけないのではないでしょうか。 もちろん、教育をするなという意味ではありません。 例えば明治の教育者、福沢諭吉は政治経済は極めて有用な学問だが 子供に教えると、政治利用されかねない。 子供にはまず誰がやっても同じ結果になる学問(物理学)を教えろ。 そうすれば判断力が養われる、という趣旨のことを書いてます。 これからの日本の教育も、道徳教育ではなく 判断力を養うための教育であってほしいと思います。

noname#111050
質問者

お礼

洗脳とは、極端に偏向させるものなのですね。それでは、マインドコントロールというものでしょうか。国家が宗教をやっていた訳なので、自由自在に教育と言う名のマインドコントロールができたのでは。教育=洗脳、表裏一体であると言えるのかもしれませんね。そうであると、戦後も、戦前も、洗脳が行われていると言えるのかもしれません。ただ、戦後には自由が戦前よりは有ると思うのですが。なるほど、客観的に真なるものが基本大切ということですね。ということは、疑うことも学校で教えた方が良さそうですね。

回答No.3

 まず、初歩から マインドコントロールは”疑似科学”です。” 子宮内で羊水が腐る”、”血液型で人格が変わる”、”水が感情をもつ” という部類の話なので、ネタ質問として回答しましょう。 >戦前は、国家神道、という国家の宗教があったようです。「神道は宗教ではない」、から、憲法の信教の自由とは矛盾しない、とされました。  戦前には”信教の自由”の解釈として、神道でも、国家神道だけでは特別優遇されたのであって、『信教の自由』というよりも、政教分離の視点(政治が信教に介入しない原則)では問題があったと言えるでしょう。 >天皇を現人神として、国家が宗教をやっていた訳ですから、マインドコントロールなどによって、特攻や集団自決までもが行われたのでしょうか?  そのマインドコントロールなるものが特攻・集団自決が出来るならば、軍需技術として現代社会で活用されているようでしょう。  是非、マインドコントロールが可能であること、科学的な存在でありえることを示唆してほしいものです。  

noname#111050
質問者

お礼

マインドコントロール、これはプロパガンダに通ずるものが有ると思います。プロパガンダはアメリカの専売特許ですね。政教分離が問題であれば、やはり、そこには何かあるのではないでしょうか。

  • kinuaki
  • ベストアンサー率16% (129/769)
回答No.2

私は戦前の教育を受けてはいませんが、 戦前は、全体主義で国のためだったら個人を犠牲にすることが当たり前という考えが浸透しており、天皇のためというか、国のためなら命をささげるという学校教育がされていました。 現代風の言い方だとマインドコントロールということになりますが、家族内でも上下関係が強く、学校でも全体主義の教育を行っていたため、まとまりやすかったと思います。 そして、日本軍の中で上官から命令されれば、特攻しなければいけない、反抗できない状態だった訳です。 ですから、兵隊さんも天皇のためと本気では思ってなかったと思いますが、逆らえば、自分の命がないから仕方ないということだったのでしょうね。 しかしながら、現代の身勝手な個人主義も問題がありますね。 全体主義の裏返しで、組織がまとまりにくい、現代の若者を招集して軍隊作っても弱い部隊になるでしょうね。これは、アメリカにとって戦後教育がうまく行ったということにもなります。

noname#111050
質問者

お礼

宗教は絶対ですから、抗いようがないです。マインドコントロールしやすいインフラもあったということですね。アメリカは、銃が自由の象徴で、軍を持つ州が集まって国ができたようです。日本も廃刀令・廃藩置県を行わない方が良かったのでしょうか。

  • mappy0213
  • ベストアンサー率26% (1706/6353)
回答No.1

一応天皇家の血筋をさかのぼると天照大神になるらしいです。 文字通り神です イザナギノミコトとイザナミノミコトの子ということになってます。 この辺の詳しいお話は古事記に載ってるんですが んで洗脳ってのとはちょっとちがうかと思いますね 有る意味洗脳なんでしょうけど そういう教育を受けてました 国家神道ってかなり記憶があやふやですけど大日本帝国時代の日本で 当時の日本政府が政策として作った宗教です。 ご質問であるように神道は宗教ではないって(神社非宗教論)言う法解釈を立法して当時からすでにあった宗教の自由を回避しました。 そういう時代なのでそういう教育を受けているので天皇は神である という認識しかなかったんでしょうね そういう意味では洗脳ではなく教育ってなってしまいます。 有る意味北朝鮮の方が将軍様マンセーって言うのと同じですね それ以外の情報がないのでこれも教育ってことになります。 人をコントロールするのって宗教を持ってくるのが一番手っ取り早いみたいですよ これは昔から世界中で同じようなことが行われてます 信長の高野山焼き払いとかもいわゆる宗教一揆を恐れてですし いわゆるキリスト教弾圧なんかも同じ理由ですね。 世界中で聖戦なんて言葉は存在します。 これは宗教の名の下に 自分たちの戦闘は正しくそれに参加することは崇高な義務である という大義名分をつけたものです。 聖戦でなくなったものは英霊という神になります その英霊を見習いあとに続くってことを顕彰といいます。 宗教って一番確率されたトップダウンの思想です トップ(創始者とか神)の掲示は絶対ですからね いわゆる無理やりそういう思想を埋め込まれているような 洗脳ではなく小さなころからそういう教育をされているので それが正しいとしか思えないんでしょうね あの時代の人からしてみると 戦争はダメなことだという教育を受けているわれわれも洗脳なのかも知れません。

noname#111050
質問者

お礼

洗脳と教育は隣り合わせということですね。でも、今はかなり自由がありますから、その点、昔とは違いますね。

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