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戦国大名の有力家臣と国人衆の関係について
桶狭間の戦いで敗れた今川家や、耳川の戦いで敗れた大友家は、重臣や有力国人衆を失い、その後、複数の国人衆の反乱が発生しました。 事実として理解していますが、なぜそのような現象が起こるのか、因果関係がいまいち分かりません。 Wikipediaを見ていると、求心力が無くなった、実権を失った、統制が効かなくなった等と書いてあり、具体的ではありません。 重臣や有力国人衆が数多くの所領を持っており、中規模、小規模の国人衆や地侍と密接な繋がりがあることはなんとなく分かります。 そこで思ったのですが、重臣や有力国人衆は、平時において、彼らをどのような方法で統制しているのでしょうか? また、重臣や有力国人衆が亡くなること(あるいは大敗北)で、なぜ統制が効かなくなるのでしょうか? 跡継ぎがいるはずなので、その人物が支配、統治すれば問題ないと思うのですが、そう上手くいかない理由を教えてください。 どちらか一方だけでも構いません。 推測や考察でも大丈夫ですので、教えていただけますと幸いです。
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- jkpawapuro
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国人衆は自己の所領を守ってくれる強い領主に従います。 大国の今川義元が小国の織田に攻め込んだものの敗退し義元が討ち死にした、通常これだけでは今川は崩れません。 こういった事態があった場合、通常後をついだ氏真がすぐ弔い合戦を起こし織田に反撃します。今川健在、三河の支配者は我であると示さないといけないわけです。ここで今川がまだまだ織田より強いことを示せば国人衆は引き続き今川につくでしょう。 ですが今川氏真は駿河に引きこもったままでてきません。 今川が三河に出撃しない、この姿が三河の国人領主にとって今川は三河を守る気がない、軍事的プレゼンスを発揮しないとみなされ、今川が三河に介入しないなら俺らの所領は誰が守ってくれるんだ?となるわけです。 今川が三河から消えたら三河の小領主同士で誰も守ってくれないから弱肉強食離合集散が起きるわけで、すぐにあちこちで小競り合いから殺し合い奪い合いです、その中で頭一つ上に出た松平が織田のバックアップを受けると、皆で松平にすがるわけです。
- head1192
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これは、現代の中央集権国家をイメージしていると分からない。 当時は重層的な分権国家だった。 まず、最も基本的な「豪族」という単位がある。 現代の市町村のようなものである。 ただし独立した内政権軍事権を持つ市町村である。 これらの豪族は単独では周囲の敵に攻め込まれるので、同盟を組んだりもっと強大な勢力に頼ったりする。 松平氏は酒井氏たちと同盟を組んだ。 こうして豪族よりも強大な「大名」という勢力が生まれる。 鎌倉由来の大名もいるが、戦国期はこのように生まれた出来星大名もたくさん現れた。 もちろん鎌倉大名にくらべだいぶ由緒は落ちる。 そこで家康は朝廷から「徳川」という苗字と「三河守」という官職を貰い三河支配の正当性を確保した。 戦国もだいぶ進むと同盟関係が入り組み単独の大名だけでは周辺の勢力に対抗できなくなってきた。 そこで大名はさらに強大な勢力と同盟を組んだり傘下に入ったりした。 「大大名」である。 松平が頼った今川氏や真田氏が頼った武田氏など。 いずれにしても、「こいつは自分を守ってくれるから傘下に入る」のである。 もしそうでないとすれば、その主の下にいる意味はない。 別の質問で「一所懸命」の観点から説明したが、所領を守るために別の勢力に鞍替えする。 それが戦国までの武士である。 だから負け戦になると家来が主家から離れるのである。 トップダウンでなく豪族が推戴し主を祭り上げるボトムアップ。 それが戦国大名の姿であり、豪族は大名の傘下に入っても依然独立国の豪族である。 大名は豪族が支持することによってのみ成り立っていた。 あの信長も、自分の持ち物である直属軍は好き勝手にすることができたが、与力大名の内側に立ち入ることはできなかった。
- gunsin
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国人や豪族との主従関係は色々なパターンが有り、一概では 語れません。 美濃の山賊で川浪衆の蜂須賀小六は織田の美濃攻略後の支配権と 領地を貰う約束で木下藤吉郎の弟小一郎の説得に応じたので、 墨俣一夜城を成し遂げたのは有名な処ですね。 武田家と敵対していた真田幸綱は領地の保全と主家海野家の 再興を示して来た山本勘助の説得を受け入れ武田家の味方に なりました、真田の里を起点に信濃攻略に進み、最終的には 越後の上杉を跳ね返して信濃の殆どを手中にしました。 詳細な地図が無い時代は土地の豪族の土地勘が重要なのです。 主家が危ないと感じた豪族は簡単に寝返ります。 山本勘助や黒田官兵衛は説得工作の達人でした、軍師は説得工作 に長けているのが必須の条件なのです。 主家と豪族の結びつきは、領地の保全と主家の殿様が威張り散ら さない事かと。
- fujic-1990
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> 重臣や有力国人衆は、平時において、彼らをどのような方法で統制しているのでしょうか? 「彼ら」というのは「中規模、小規模の国人衆や地侍」のことですよね。 でしたら、彼らの持つ「所領」の保証です。小規模国人衆や地侍が期待するような領地保証をして統制します。 具体的には近隣の国人や地侍との領地争いで有利な裁定を下したり、飢饉などに際しては所領相応の(米や金銀の)援助をします。それらをして、恩を売るわけです。すると、逆らえなくなるわけです。 > 重臣や有力国人衆が亡くなること(あるいは大敗北)で、なぜ統制が効かなくなるのでしょうか? 当然、大敗北で重臣などの「無能さ」が証明されたと感じ、その重臣あるいは能力の有無がハッキリしていない跡継ぎに「付き従っていると、所領を失うか命を失う結果になる」と思うからです。 私だって、私を儲けさせてくれた有能なファンドマネージャーが「私のファンドをもっと買ってください」と言えば買いますが、大損したり、私のほうが儲けられると判断すれば、「買ってくれ」と言われても拒否します。 コレまでの儲けを吹き飛ばしてしまう大損なら、買うどころか逆に売却など損切り(武家なら裏切り)もします。