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戦国大名の有力家臣と国人衆の関係について
桶狭間の戦いで敗れた今川家や、耳川の戦いで敗れた大友家は、重臣や有力国人衆を失い、その後、複数の国人衆の反乱が発生しました。 事実として理解していますが、なぜそのような現象が起こるのか、因果関係がいまいち分かりません。 Wikipediaを見ていると、求心力が無くなった、実権を失った、統制が効かなくなった等と書いてあり、具体的ではありません。 重臣や有力国人衆が数多くの所領を持っており、中規模、小規模の国人衆や地侍と密接な繋がりがあることはなんとなく分かります。 そこで思ったのですが、重臣や有力国人衆は、平時において、彼らをどのような方法で統制しているのでしょうか? また、重臣や有力国人衆が亡くなること(あるいは大敗北)で、なぜ統制が効かなくなるのでしょうか? 跡継ぎがいるはずなので、その人物が支配、統治すれば問題ないと思うのですが、そう上手くいかない理由を教えてください。 どちらか一方だけでも構いません。 推測や考察でも大丈夫ですので、教えていただけますと幸いです。
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