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昭和天皇の歴史
昭和天皇は、なぜアメリカとの戦争に勝てると思い込んでしまったのですか?なぜ近衛文麿の話より、軍人さんの話を信じてしまったのですか?
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昭和天皇は不戦派でしたよ。 ちなみに山本五十六も。 どちらも「アメリカには勝てない」と分かっており、無理に反対し続けると開戦派に暗殺され、歯止めが利かなくなるのを恐れて仕方なく承認したのです。 「昭和天皇独白録」に明記されています。
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- eroero4649
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昭和天皇は、対米開戦には反対でした。とりわけ留学の経験があり、個人的に親愛の感情を持っていたイギリスとの戦争には反対でした。 なので再三再四、「英米とは戦争にならぬように」といっていました。しかし政治家たちは「かしこまりました」とかいっていたのに「やっぱ陛下、戦争しかないっすわ」といいだしたので、かなりのおこでらっしゃったのです。 国の重要な方針は最終的には天皇が出席する「御前会議」にかけられて天皇が決裁することで国家として正式に決定がくだされることになります。対米開戦も御前会議で正式決定されることになりましたが、昭和天皇は「御前会議で発言する」といいだして大騒ぎになりました。 御前会議はいかにも日本文化であるシャンシャンの会議で、既に決まったことを天皇に決裁してもらった体にするだけの形式的なものでした。けれど、これを通さないと国家として正式決定したことになりません。御前会議はもう決まったことを通すだけの場なので、天皇は会議で発言することはなかったのです。 それを「発言する」となると、土壇場で却下することをにおわせているわけです。御前会議で差し戻されたら、対米開戦は大日本帝国としてナシになります。開戦に向けて準備も整えているわけで、そうなったら計画はすべてぶち壊しになります。 なので侍従長などが慌てて「いや、御前会議で天皇が発言するっていうのは前例がありませんから」とかなんとかいって天皇をなだめました。 昭和天皇はイギリスに留学経験があるので英米の国力というのをよく知っています。勝てるわけがないということはご存知でした。だから首相などに「お前、対米開戦は大丈夫か」「本当に大丈夫なのか?」と何度も聞いていました。首相たちも「はい、大丈夫です」というもんだから、強引に押し切られる形で対米開戦を認めざるを得なかったのです。 なお、近衛文麿は対米戦回避に大して努力もしていません。「このまま何も決断をしなかったら、日米関係がこじれて開戦が避けられなくなる」という状況で何も決断ができず軍部を説得する器量もなく、結局タイムリミットで開戦が避けられないという状況に陥ってしまいました。 なお、この昭和初期の「暴走する軍事の専門家である軍人の一部とそれを止められずに何も決断できずにその場しのぎの対応をするだけの政治家」は、現代のコロナ対応で「自分たちの論理で暴走する医療の専門家である医師の一部とそれを止められずに何も決断できずにその場しのぎの対応をするだけの政治家」と全く同じ光景であることを申し上げておきます。 現代の我々は、当時の人々を批判する資格はありません。昭和初期の軍部のほうがまだマシな面があるからです。少なくとも彼ら(大日本帝国の軍人)は私腹をこやすためにそういうことはしませんでしたから。ひたすらに私腹をこやそうとする日本医師会に比べれば。
- 69015802
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のほほんと生きてきた超上級国民(神だから国民じゃないか)だからでしょう。
- sknbsknb2
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>昭和天皇は、なぜアメリカとの戦争に勝てると思い込んで >しまったのですか? あなたがこのように考えるに至った、客観的な証拠をあげてください。 昭和天皇自身の発言とかがないと、どう思っていたかは誰にもわからないと思うので。
お礼
ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。