文章解釈
添付ファイル文章:
“Don’t return to philosophy as a task-master, but as patients seek out relief in a treatment of sore eyes, or a dressing for a burn, or from an ointment. Regarding it this way, you’ll obey reason without putting it on display and rest easy in its care.”
に関する質問です。
全体的な意味の取り方が難しく分からないのですが、今の理解で合っているのかチェックしていただきたいです。間違っていたら解説宜しくお願いします。
1.
task-master の解釈がよく理解できません。
これは哲学というものを擬人化している表現で、哲学を(あなたに)仕事を課す、義務を押し付けてくるようなものとみなして(何かあったときに)、哲学の教えを求めに戻ってくるのではなく、という事を意味しているのか分からないです。
2.
そういった感じで哲学に戻っていくのではなく、いわば、病院の患者として、ずきずき痛む目の治療時や、火傷のための手当用品や軟膏から得られる安堵感を追い求めよ。と、伝えようとしている?のか分からないです。
3.
Regarding it this way, you’ll obey reason without putting it on display and rest easy in its care.
このようにみなせば、〜することなく、理性に従い、哲学の世話のもと、心安らかだろう。
putting it on display が全く分からないです。
it が何を指すのかも分からないです。
ですので、参考文献に当たってみました。
文章の形が添付ファイル文章と一致しないのですが、この参考文献の文脈の理解も難しいので、間違っている部分の解説宜しくお願いします。
Do not be disgusted, or discouraged, or dissatisfied, if you do not succeed in doing everything according to right principles; but when you have failed, return back again, and be content if the greater part of what you do is consistent with man's nature, and love this to which you return.
「正しい原則に従って、あらゆることがうまくいかなかったとしても、うんざりしたり、望みを失ったり、物足りないと思わない事だ。そうではなく、失敗したとき、もう一度、哲学に戻ってきて、自分の行いの大部分が人間の本質と一致しているなら、ほどほどに満足して、愛することだ。」
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And do not return to philosophy as if she were a master, but act like those who have sore eyes and apply a bit of sponge and egg, or as another applies a plaster, or drenching with water. For thus you will not fail to obey reason, and you will repose in it.
哲学のところに、仕事の命令を課したりする主人のようにみなしてもどってくるな。そうではなく、ずきずき痛む目を持つ人達のように振る舞い、ちょっとのスポンジと卵を使って?、また、別の方法として、漆喰を使って?、水でびしょ濡れに?。だって、そうなれば、理性に従うのに失敗することはなく、哲学で、ゆっくりするだろう。」
添付ファイル文章にあるwithout putting it on displayがこちらの文章になく、この表現をどのように解釈すれば良いのか分かりませんでした。
And remember that philosophy requires only the things that your nature requires, but you would have something else that is not according to Nature.
そして、哲学はあなたの気質が求めるものだけを要求するというを思い出しなさい。それでも、あなたは、本質にそぐわない何か別のものを持っている事だろう。
It may be objected, why something is more agreeable than this that I am doing? But is not this the very reason why pleasure deceives us? And consider if magnanimity, freedom, simplicity, equanimity, piety, are not more agreeable. For what is more agreeable than wisdom itself, when you think of the security and the happy course of all things that depend on the faculty of understanding and knowledge?
それは、反発しているかもしれない。何かが、私がしていることより好ましいのはなぜなのか?しかし、それがまさしく快楽が私達を欺く理由ではないか? そして、寛大さ、自由、簡潔さ、平静、敬虔がより好ましくないかどうか検討しなさい。ウィズダムそのものより好ましいもののために、?理解と知識の能力に頼る全てのものの満足な行く末と安全を考えるとき?
—Marcus Aurelius, Meditations, Book 5 (tr Long)
https://stoicbreviary.blogspot.com/2018/06/marcus-aurelius-meditations-59.html?m=1
お礼
解釈を見てくださりありがとうございました。そのため、しっかり理解することが出来ました。ご回答くださりありがとうございました。