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石門心学と、お金の観念

お金は不浄という観念が昔からあったと思いますが、 これは仏教や武士道の他、「石門心学」などの 庶民道徳の側からも出たものでしょうか?

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  • fujic-1990
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回答No.1

> 「石門心学」などの庶民道徳の側からも出たものでしょうか?  違うと思います。  石門心学は、昔イザヤベンダサン(本当は日本人だという説)の著作で知ったような学問ですが、たしか石田さんは町民に労働の尊さを教えたと記憶しています。  生きることに忙しくて仏教修行ができないと悩む庶民のために、仏教と結びついて「まっとうに忙しく働く=まっとうに稼ぐことは、生きる上での(仏道)修行にもなるのだ」というような話を説いたのだったと記憶しております。  「お金は不浄だ」などの考えは、武士(主のために死ぬことが本文)が財産を持っていたらとそれが惜しくて死ねないだろう、という発想から出た思想だったと思います。  伊達政宗だったか越後の直江兼続だったか、小判だったか大判を見せられて、感心した他の大名が「ほらすごいですよ」と言って渡したそれを扇で受けて、ポンポン弾ませながら「上様を守るためにある手でこんな不浄のものは触れない」と言ったのが始まりとか。  「お金は不浄」なんて、黙っていても年貢として米が手に入ってくる武士にして初めて言えることで、庶民はそんなことを思っていませんでした。「これ小判、たった一晩いてくれろ」です。

gesui3
質問者

お礼

> 「まっとうに忙しく働く=まっとうに稼ぐことは、生きる上での(仏道)修行にもなるのだ」というような話を説いた プロテスタントと同じ倫理観ですね。 マックス・ウエーバーも真っ青になるほどに。 回答をありがとうございました。

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