当時の武士へのお給料は「コメ」で払われました。それを受け取った武士は自分たちで食べる分を確保して、余った分を売って他の食べ物を買ったり生活のための買い物に充てていました。
だから江戸時代における「コメ」というのは「お金」の意味合いもあったのです。私はこれを「コメ本位制」と呼んでいます(あくまで私個人の見解です)。
コメを作るべき田んぼで別の作物を作り、それを売ったお金でコメを買ってそれを「年貢」として納める人たちが出てきてしまったわけですが、そういうことをされるとコメの流通量そのものが減ってしまいますよね。コメの流通量が減るとコメの価格が上昇してしまいます。コメで給料をもらう武士にとっては喜ばしいことではありますが、基軸通貨的な役割もあるコメの価格が上昇すると世の中のありとあらゆるものの値段が上昇してインフレとなってしまい、庶民の生活が不安定になります。それは政権不安にもつながるので、幕府はコメの値段については江戸時代を通じて非常に気にしていました。
ただ時代が進むと農業技術の向上で生産量が増えていったんですね。つまり市場全体のコメの流通量は右肩上がりになったわけです。量が増えれば価格は安くなるわけで、しかしそうなると武士の給料は代々変わらないわけですから、給料据え置きでお金の流通量が増えればそりゃ相対的に生活は貧しくなります。2021年の日本がまさにそれです。アベノミクスに加えてコロナ禍でお金をじゃんじゃん世の中に出したので、まず株価が上昇しました。株価が上昇したのではなく、お金が下がったのです。そして今、じわじわと世の中のあらゆるものの値段が上がってきています。その一方で給料は上がっていませんから生活は苦しくなるのです。
江戸時代の藩というのは準独立国家で内政や軍事はもちろん、行政もその藩に任されていました。税率は藩によって違うのです。だから「コメを作る田んぼで他の作物を作るな」と藩に命じることはできても、それが実行されているかどうかを調べる権限はありません。
権限がないのにできたんか?と思うところですが、まあほら、「自粛の要請」もそうじゃないですか。日本は外国と違って「外出禁止」「営業禁止」の強い措置はとれなくて、ぜーんぶ「自粛のお願い」だったけどまあそれでも全体としては上手く回っていたじゃないですか。その一方で無視している人たちもいましたけどね。
だから「実効性は乏しかった」とどの資料にも書いてあります。実効性が乏しいのに正式に廃止されるのが明治になってからってのがいかにも日本らしい話ですよね。
天領に関してですが、天領では時々御家人(徳川家の家臣)による調査がありましたけれども、これは実測ではなく村の偉い人が「ここはこうでございます」といったらあーそうかと受け入れるのが慣例でありました。武士というものは勘定をするなどという商人のような真似をするのは卑しいとされていましたので、チマチマ計算するようなこまけぇやつは嫌われていたのです。
そしてその調査官たる御家人に対しては「袖の下」で何かとうまくやってもらうのもこれまた「慣例」でございました。なので実地調査は御家人にとって人気のお仕事でもありました。ぐるっと回ってくると小遣いが稼げたのでね。勝海舟のお父さんの勝小吉は信州だか甲州だかでその調査をしたそうで、自伝で「上手く取り計らってやったら、農民たちからずいぶん感謝されたよ」と贈賄を受けて報告書のデータを改竄した自慢をしています・笑。
それでも江戸幕府はそのプライドから天領の年貢は諸藩に比べると低めに設定されていました。明治時代になると年貢から「税金」に変わるわけですが、そのときに全国各地で税金反対の一揆が起きました。その一揆が起きた場所のほとんどは旧天領だったところでした。その人たちにとっては増税になったからです。
このテの回答をしているときにいつも私は書いてるんだけど、当時の天領の農民の年貢ってのは、現代の我々のサラリーマンの税金(年金や健康保険、失業保険などの社会保険料なども広義の税金として含む)より安かったと思いますよ。
お礼
えーと寛永の時代では、まだまだ米は不足していて幕府は米価を下げる方に苦心していたというお答えでしょうか? ご回答ありがとうございました。