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山県有朋について

吉田稔麿や高杉晋作が山県有朋に対して 「お前は棒切れだ」「お前は無能だ」と 言ったらしいですが、 山県の道徳や人格は別にして 能力だけを見ると、 相当に有能な人のように思えたんですが それでも、吉田や高杉から見ると 彼は無能だったんでしょうか? 私から見たら高杉と山県は同じくらいの 能力を持っているように思えました。

みんなの回答

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.6

>山県の道徳や人格は別にして それを第一に見る時代ですので。

moxu
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • ZXYZY
  • ベストアンサー率25% (199/777)
回答No.5

吉田松陰及びその門下生を生んだ萩市在住のものです。 安部公房の「棒」の主人公は無能でしたが、山県有朋はその後の活躍を見れば有能な棒だったと思います。 私見ですが、吉田稔麿が描いた裃を付け端然と座っている坊主(久坂玄瑞)、鼻輪のない暴れ牛(高杉晋作)、木刀(入江九一)、隅にただの棒きれ(山県有朋)はそれぞれの人物像をよく表しいていると言われますが、山県有朋は何にでも使える棒だったのではないでしょうか。 時には暴れ牛の高杉晋作を繋ぎとめる棒きれにもなったのではないかなと思います。 但し、松陰門下の傑出した人物群の中では山県有朋は棒切れ同然と評価されたとしても不思議では有りません。 山県有朋が棒切れとして見るべきでは無く、あの山県有朋が棒切れだとすると他の門下生はどうなるかというベースとしての棒切れとして見るべきだと思います。 吉田稔麿が描いた段階の評価が棒切れだっただけでその後、激動の幕末、明治維新を生き抜いた山県有朋はある意味、成功者であり、早世した他の門下生に比べると大器晩成型の人物だったと言えるのではないでしょうか。

moxu
質問者

お礼

ありがとうございます。

  • aeromakki
  • ベストアンサー率36% (870/2378)
回答No.4

長州藩は、優秀な人間から、禁門の変などで順に死んでいったと言われています。 生き残った伊藤博文にしても、井上馨にしても、評判悪い。 それより歴史的評価の低い山県有朋とか、一緒に扱っては高杉、哀れですよ。 今じゃあ、戦犯にならずに済んだ岸信介の孫が幅を効かせる有様ですしね。 劣化が哀しいですねえ。

moxu
質問者

お礼

昔の政治家と比べると 今の政治家は能力面だけを見ると かなりの劣化は感じますね。 ありがとうございます。

  • Don-Ryu
  • ベストアンサー率24% (256/1051)
回答No.3

山県有朋こそ、大日本陸軍の祖ですよね。 私には野心家かつ無能の極み にしか思えないですけど。

moxu
質問者

お礼

本人は「余は一介の武辺」と言っていたし、 政治的な才能は無かったのかもですね。 ただ、存在感というか、そういう物は あったんじゃないかなとは思います。 ありがとうございます。

回答No.2

・吉田や高杉が先輩風を吹かしていた。 ・夭逝した人は後世の人間が必要以上に礼賛するので、  話がどんどん盛られた。 ・有能でありながらその有能さを自分のために使用した人間は、  必要以上に不当評価される。 ま、正直にいって私も明治の元勲のなかで山県は好きではありません。

moxu
質問者

お礼

ありがとうございます

noname#252332
noname#252332
回答No.1

 維新伝疑史話に書いてあることなど史実とは信じられず信長はどの歌会で殺してしまえホトトギスと詠んだかと検討するようなものだと思いますよ。

moxu
質問者

お礼

そうかもしれませんね、ありがとうございます

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