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教室の隅に立たされた男の子の英作文のネイティブチェック
- 教室の隅に立たされるというネイティブチェックから発生した問題。
- 「in the corner of the classroom」と「in a corner of the classroom」の表現の違いについて考察。
- 教室の隅に立たされる場合、概念的な隅を表すのが自然な表現とされる。
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「補足」を拝見しました。 @<定冠詞の用法の1つに「前後関係、日常の会話などから何を指しているのかはっきりしている場合(定冠詞をつける)」。-その可能性も一応考慮しました。ただ、その場合、例えば、Mother is in the kitchen.とか、I'll go to see the doctor.とか、限定語がついていない場合だと思います。kitchenもdoctorも発話状況から限定がかかっています。ですから、of the classroomに限定される場合とは少し異なるように思います。Go to the corner! という発話がなされた時、聞き手にとってthe cornerがどのcornerなのかすでに了解されている場合なら当てはまると思います。 ⇒はい、私も適切な解が見当たらない時の次善の策として、あるいは複数の可能性の第2候補として考慮する意味があるかも知れない、といったニュアンスで申しました。例えば、in the corner of the classroomの場合は「部位」と考えられるとしても、in the corner of a classroom「どこかの教室の隅に」の場合のthe cornerは、「前後関係などから何を指しているのかはっきりしている場合と解釈可能か」という「?」つきの箱に一時保管しておく意味があるかも知れない、という程度の提起でした。 @<armはbodyの占有物ですが、cornerはclassroomの占有物ではありませんね。ゆえに、cornerがclassroomの部位である度合いはarmがbodyの部位である度合いより弱い、ということになるかも知れません。しかし、(…)the armと同じように「(擬似的に)部位を表す」と解釈して不都合はないと思います。>-an armは誰のものでもないどこにでもある腕の一つを表します。それが、行為や出来事の表現において場所を表す前置詞に先導されるとき、armがbodyの専有物であることが表明されるのではないかと思います。同様に、a cornerは何に所属するわけでもないどこにでもある隅の一つを表します。ただ、それが、文中の主題ではなく背景を述べる部分において、of the classroomのような限定語と共に使われる時、構造物との間の所属関係が表明されるのではないかと思います。 ⇒お説に同感します。ただ、私が「armはbodyの占有物ですが、cornerはclassroomの占有物ではない」と申したのは、ちょっと違う観点からです。それは、「語源的な」占有物という意味です。つまり、armは、たとえ「武器」などの意に用いられることはあっても、修飾語のつかない状況の第一義としては「bodyの占有物」を表しますよね。それに対し、cornerは、特別にclassroomのという限定がつかない限り、「公園の一角」かも知れないし「物置小屋の隅っこ」かも知れないわけで、どう拡大解釈してもこの語単独で「教室の隅」という意味にはなりません。このことが、付されたtheの意味を云々する際に何らかの関わりを持つかも知れない、という趣旨を表現したつもりでした。 @armがbody全体との位置関係においてその働きを行うのと同様に、cornerもclassroom全体との位置関係においてその働きを行います。この点でもパラレルだと思います。でも、armに対する指示(働けという指示)はbodyのさらなる上位概念であるものによってその都度なされますが、cornerの場合は働きが固定されていて、状況に応じて柔軟に対応できるわけでもないし働きも単純なものなので、やはり「(擬似的に)部位を表す」と解釈するのがよさそうです。ともあれ、パラレルに扱うことに問題はなさそうですね。 ⇒そうですね。この場合、cornerがclassroomに対して持つ関係と、armがbodyに対して持つ関係とをパラレルに扱って何ら不具合はないと思います。ただ、問題なのは、本件は明確にこれだと確言できない弱みがあり、いま一つ釈然としないものがある、ということです。 @D: I saw a group of kindergarten pupils merrily skipping on a / the bank of the river. A, Bと同じように考えれば、aでもtheでもどちらでも構わないはずですが、実際はaは好まれません。ネイティブによれば、ここでのaの使用はunnaturalとのことです。 walk on a / the bank of the riverを検索したところ、aの方は非常にわずかで無視しても構わないくらいのものでした。theだと多数ヒットします。walk along a / the bank of the riverだと、aの方はそこそこの数でヒットしますが、theの方が格段に多いです。その他の例も示しておきます。is [situated] on a /the side of the mountain ---aの使用例は無視していいくらいのごくわずかな数でした。theの使用例は多数ヒットします。tied at an /the end of the rope ---an の使用例は無視していいくらいのごくわずかな数でした。theの使用例は多数ヒットします。 ⇒検索結果のご紹介ありがとうございます。aでもtheでもどちらでも構わないはずなのに、実際にはaが好まれず、theの使用が多いとのこと、これは何でしょう。思うにそれは、状況依存と関係があるのかも知れませんね。発話の内容・文脈、その他発話環境などから、暗黙の了解事項と見なす、少なくともネイティブの直観でそう感じる、ということでしょうか。日本語でも、「こんなことを言うとナンだけど、アレだよなぁ」などと言うのを聞くと、外国人なら何のことかさっぱり分からないと言いそうなところですが、日本人同士だと何となく分かっちゃったりするんですよね。限定・部位というより定冠詞の通常用法のうち、既述の「前後関係、日常の会話などから何を指しているのか分かる場合」です。ことほどさように、このtheの用法は、部位とも暗黙の限定とも取れそうな気がして、揺れます。 @Aのstand in a corner of the classroomのヒット数がかなり多いことを考えるに、要素数が2つの時は「二項対立」状況が強力な影響力を持つために定冠詞しか使えないというふうに見て取れます。/ところが、cornerのように要素数が2つではない時は不定冠詞の使用が容認されるようですが、これは、要素数が2つでない時は「二項対立」状況が現れないからということなのでしょうか。/疑似部位だと思われるケースで要素数が2つの場合はいろいろ見つかるのですが、3つとか4つとかの場合は思い浮かびません。これまでのところcornerくらいなものです。この点を考えるに、cornerは「二項対立」が二重に存在する特殊事例なのではないかという気がしています。 ⇒前の段落で提示されたat an /the end of the ropeの例はいろいろな状況を考えるのに具合がよさそうですので利用させていただきます。(1)「真ん中で」at the middle of~、(2)「両端で」at the ends of~、(3)「一方の端で」at the /an end of~、(4)「1か所の目印点で」at a /the marked point of~、(5)「数か所の目印点で」at φ/ the marked points of~、(6)「すべての目印点で」at all the marked points of~。(~はthe ropeの省略の意)。(1)「真ん中で」や(2)「両端で」はきっかり限定されるので議論の余地はありませんが、(3)「一方の端で」も、どちらも同じ両端のうちの片方ですので、前二者に準じると言えると思います。他方、(4)「1か所の目印点で」は任意の1か所を表すのでaが優先するでしょう。それで、(3)のthe /an と(4)のa /theのように順位差をつけるという芸の細かさとなりました。(5)は無冠詞φでもよく、(6)はがっちり限定されるのでtheがつきます。 以上から、theのつく順位は、1つまたは全てが明確に限定される場合→二項対立の組→多項対立の組の順となる、と言えるでしょう。多様な用例を比較できるので、at a /the point of~について考えましたが、stand in a /the corner of the classroomの場合もこれに準じて考えることができると思います。ということで、この表現についても、「1つの独立存在(特別な造りなど)や全体を指定する場合は、迷う余地なくtheが用いられるが、二項対立をなす組の一方を指す場合もそれに準じてtheが用いられ得る。多項対立の組の場合はaが普通だが、theが全く用いられないわけではない。つまり、この語句にtheがつく順位は、「1つまたは全てが明確に限定される場合→二項対立の組→多項対立の組」の順となる、と言えるでしょう。以上から、この場合の部位説は、原理的に容認できるお説ではあると考えます。ただし、暗然たる格好での状況依存(学校での会話・授業中等)がある場合、theの基本的用法に沿った表現という見方から、暗黙の了解という限定説の可能性も排除しきれない面があると思われます。
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- SPS700
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#2です。補足です。 >> ご指摘の件はよくわかります。私はネイティブの文法力を信用していません。まともに冠詞が使えない人も見てきました。ご意見は参考にさせて頂きます。 もともと一年以上黙って聞き、そのあと二、三年で爆発的に第一言語にする、という「暇」も機会もは外国語の学習者にはありません。 従って、究極的には、文法によってどこまで習得時間が節約され、早道になるか、という点でしょう。ただこれは対象が変わらない場合です。 実際には、海からブクブクと顔を出して形が刻一刻変わる令和新山の稜線に合わせて方程式を描くようなもので、追いつけません。 ですから、文法は、死語累々たるインドや、死んで動かなくなった古典ギリシャ語や、ラテン語を読むための牧師養成所だったオックスフォードで生まれました。 で英語が生きているのに気付かされた1945年以後は、入学試験という陋習以外には、時間がかかって実用にはならいような気がしたのです。 では When natives disagree, who can decide? というもじりで、失礼致します。
お礼
ご意見ありがとうございました。
- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10005/12514)
やぼ用がありまして少し遅れましたが、以下のとおりお答えします。 @A: The boy was made to stand, as punishment, in a corner of the classroom. B: The boy was made to stand, as punishment, in the corner of the classroom. 教室の隅は4つあるわけだからin a corner of the classroomとなりそうなものです。実際、それで問題はないと思われます。ところが、ネイティブによればin the corner of the classroomも使われていて、この方が普通の表現だとのことです。/そこで、なぜ定冠詞がつくのか、そしてその方が多いのかということを考察したいと思います。(…)私がヒントにしたのは、前回の質問投稿<部位カテゴリー間の限定は弱い限定か>で取り上げた部位の表現です。 ⇒悩ましい問題ですね。この場合、部位やカテゴリーの観点から考えてみることもさることながら、冠詞の用法全般を大浚いしてみることも理解の助けになるかも知れませんね。私の知人で、英語を含む印欧語の冠詞について1000ページを超える論文を書いた人がいましたので、脱稿直後に感想を求めたのですが、浮かぬ顔で、「ますます分からなくなった」とのことでした! @C: He took me by the arm. において、armは2つあるものなのにaはつきません。また、どちらかの腕を特定したわけでもないのにtheがつきます。これは、人間の体を構成する部位は概念的なものであって実物を表しているわけではないことと、armは部位を構成するデフォルト要素なので定冠詞がつくということによるものでした。Aの文がCの部位表現と同一の性質のものかどうか、パラレルに分析できるものかどうかは断言はできませんが、少なくともヒントにはなりそうな気がします。Cにおいてthe armが使われたということは、実物のarmには関心が向かわずに、部位(概念)としてのarmに注目したかったからだと思います。この場合、実物としてのarmは二つとも同形(対称形)でかつ同じ働きを行います。 corner of the classroomにおけるcornerも同様です。4つしかなくて、そのことは誰もが知っています。4つとも同形です。働きも同じです。classroom内部の場所の集合を構成するものとしては、例えば{side, center, corner, front, back}をデフォルト要素と見なすことができると思います。だとすればcornerにはtheがつくはずです。この場合のcornerは非常に概念的な使われ方をしていると言えます。@そういうふうに考えずに、教室の4隅のうちの一つを表す(かつどの部分も特定されない)からaがつくというふうに考えれば、Aの文が言えます。その場合、a cornerはカテゴリーではなく実物です。結局、「教室の隅に」と言うとき、隅が4つある(どれかに特に意識を集中させたわけではない)ことを意識すれば、あるいは実物を意識すれば不定冠詞がつくが、そうした意識がなくて、隅を概念的にとらえた場合はtheをつけるということだろうと思います。後者の考えの方が自然なのだろうと思います。 ⇒armはbodyの占有物ですが、cornerはclassroomの占有物ではありませんね。ゆえに、cornerがclassroomの部位である度合いはarmがbodyの部位である度合いより弱い、ということになるかも知れません。しかし、「Cで、実物のarmには関心が向かわずに、部位としてのarmに注目したのと同じように、corner of the classroomにおけるcornerが、classroom内部の場所の集合を構成する{side, center, corner, front, back}をデフォルト要素と見なすことで、このcornerにtheがついたのであり、この場合のcornerは非常に概念的な使われ方をしている」ことを考慮すれば、これがthe armと同じように「(擬似的に)部位を表す」と解釈して不都合はないと思います。一歩譲って、ここでは「仮止め」としておいて、あとでまた考えることにしますか。 @なぜa corner of the classroomの方が使われ方が少ないのか(the corner of the classroomの方がより自然なのか)を考えてみます。一般に、不定冠詞が名詞につく時、その名詞は新情報を表します。主語や目的語や補語の位置だとその名詞が主題化されます。例えば、I saw a corner of the classroom. とかa corner of the classroom came in sight. とかだと、聞き手の関心はa cornerに、又は新情報としての文全体に向けられるので、普通は追加情報が必要です。例えば、次のような文を作ることができます。 @Susie, one of the students, closed her eyes and thought of a corner of the classroom, which was beautifully adorned with Christmas ornaments. ここではa corner of the classroomに追加情報が付加されています。ところが、stand in a corner of the classroomの場合は場所を表す副詞句なので、通常は名詞が主題化されることはありません。追加情報が必要とされない、つまり新情報に対する追加情報は特に必要とされないと思います。というわけで、不定冠詞が使われにくいということはないはずです。 in a corner of the classroomにしても、in the corner of the classroomにしても、どちらも場所を表す副詞句なので情報構造という観点からは大した違いはないと思います。 ⇒上述の知己による説明では、aは「紹介導入(詞)」だといいます。この場合はそれに該当する、というご説明と拝察しました。追加情報の件も、納得しました。もっとも、aは「複数あるうちの1つという、文字通りの意味で用いられる」場合も多く、その場合は「追加情報の必要もなく、違和感もなく用いられるので、それで、Aの用法も(aの一般的用法として)成立すると考えてよいのかも知れません。 @結論として、隅が4つあると意識されるより、概念的に<教室の隅>ととらえられることの方が自然なのではないかということになります。ご意見を伺いたいと思います。/もし、BとCがパラレルに扱えるものであるなら、共通点が指摘されるはずです。その一つとして、どちらもある上位概念の下位に位置する概念で構成されているということがあります。Bでは、classroom-cornerです。Cではbody-armです。armの場合は実物(外延)は2つですが、cornerの場合は4つです。 ⇒基本的に賛同いたします。少し詳細にこだわれば、armはbodyの占有物ですが、cornerはclassroomの占有物ではありませんよね。このことが、上で見たようにclassroom-cornerの部位としての関係がbody-armの場合より弱いと考えた理由でした。 しかし、もし仮に部位とは言い難いような場合は(ないとは思われますが、仮にあっても)、説明の手立てはあります。すなわち、定冠詞の用法を挙げると10項目くらいに分けられるようですが、そのうちの1つに「前後関係、日常の会話などから何を指しているのかはっきりしている場合(定冠詞をつける)」というものです。 @二つ目の共通点として指摘されるのは、実物が固定されている(勝手に移動したり、数が変化したりはしない)ことがあります。それゆえ、例えばa member of the committeeにおけるようにof the committeeに限定されていてもtheはつきません。a memberは脱会したり新規加入したりとかが随時行われます。というわけで、この2つの共通点によってBとCがパラレルに扱える、もっと言えば、Cの部位表現がBの範型になっているのではないかと思います。この考えでよろしいでしょうか。@なお、cornerは要素(実物)が4つのケースですが、実物が2つの場合もあります。end of the rope, bank of the river, side of the mountainなどです。「二項対立」形式が多いですね。cornerの場合も、もしかしたら、対角線的に向き合うcorner同士の「二項対立」なのではないかとこじつけることもできそうな気もします。 ⇒基本的に賛同いたします。所属の要素が小ぢんまりとした体系をなし、小さな組・対をなしていればいるほど、それは上位概念の部位である可能性が高まる、そして、その典型が二項対立である、と言えそうですね。ただし、上で見ました、部位である可能性の高さの違いを考えますと、「Cの部位表現がBの範型になっている」は、むしろ逆かも知れません。つまり、「Bの部位表現がCの範型になっている」。とはいえ、今回のお説も、概要では大いに共感申しあげます。
お礼
ありがとうございました。
補足
回答ありがとうございました。 <定冠詞の用法を挙げると10項目くらいに分けられるようですが、そのうちの1つに「前後関係、日常の会話などから何を指しているのかはっきりしている場合(定冠詞をつける)」というものです。 -その可能性も一応考慮しました。ただ、その場合、例えば、Mother is in the kitchen. とか、 I'll go to see the doctor. とか、限定語がついていない場合だと思います。 kitchenもdoctorも発話状況から限定がかかっています。ですから、of the classroomに限定される場合とは少し異なるように思います。 Go to the corner! という発話がなされた時、聞き手にとってthe cornerがどのcornerなのかすでに了解されている場合なら当てはまると思います。 <⇒armはbodyの占有物ですが、cornerはclassroomの占有物ではありませんね。ゆえに、cornerがclassroomの部位である度合いはarmがbodyの部位である度合いより弱い、ということになるかも知れません。しかし、「Cで、実物のarmには関心が向かわずに、部位としてのarmに注目したのと同じように、corner of the classroomにおけるcornerが、classroom内部の場所の集合を構成する{side, center, corner, front, back}をデフォルト要素と見なすことで、このcornerにtheがついたのであり、この場合のcornerは非常に概念的な使われ方をしている」ことを考慮すれば、これがthe armと同じように「(擬似的に)部位を表す」と解釈して不都合はないと思います。> -an armは誰のものでもないどこにでもある腕の一つを表します。それが、行為や出来事の表現において場所を表す前置詞に先導されるとき、armがbodyの専有物であることが表明されるのではないかと思います。 同様に、a cornerは何に所属するわけでもないどこにでもある隅の一つを表します。ただ、それが、文中の主題ではなく背景を述べる部分において(すなわち場所を表す副詞句において)、of the classroomのような限定語と共に使われる時、構造物(classroom)との間の所属関係(占有関係)が表明されるのではないかと思います。 他にも、例えばthe top of the mountain の場合にも同じことが言えると思います。ただし、topは一つしかないものなので、部位表現としてはin the head, on the nose などと同種のものだと思います。いかがでしょうか。 armがbody全体との位置関係においてその働きを行うのと同様に、cornerもclassroom全体との位置関係においてその働きを行います。この点でもパラレルだと思います。 でも、armに対する指示(働けという指示)はbodyのさらなる上位概念であるものによってその都度なされますが、cornerの場合は働きが固定されていて、状況に応じて柔軟に対応できるわけでもないし働きも単純なものなので、やはりNakayさんのおっしゃるように「(擬似的に)部位を表す」と解釈するのがよさそうです。ともあれ、パラレルに扱うことに問題はなさそうですね。 ところで、もう一つお聞きしたいことがあります。以前からの懸案で、ずっと不思議に思っていたことなのですが、- D: I saw a group of kindergarten pupils merrily skipping on a / the bank of the river. A, Bと同じように考えれば、aでもtheでもどちらでも構わないはずですが、実際はaは好まれません。ネイティブによれば、ここでのaの使用はunnaturalとのことです。 walk on a / the bank of the riverをgoogleで検索したところ、aの方は非常にわずかで無視しても構わないくらいのものでした。theだと多数ヒットします。 walk along a / the bank of the riverだと、aの方はそこそこの数でヒットしますが、theの方が格段に多いです。 (検索は、公式のものとして利用する場合はコーパスを使いますが、質問投稿なので正確さは考慮しませんでした。問題を単純化するためof以下は定冠詞名詞句のみで調べました。また、形容詞用法のケースを排除するため、よく使われそうな動詞を前置詞句の前に置いて検索しました) 以下、その他の例も示しておきます。 is [ situated ] on a / the side of the mountain ---aの使用例は無視していいくらいのごくわずかな数でした。theの使用例は多数ヒットします。 tied at an / the end of the rope ---an の使用例は無視していいくらいのごくわずかな数でした。theの使用例は多数ヒットします。 (ちなみにtiedを外してat an / the end of the rope だけで検索すると、an の使用例は無視できないくらいに多くなります。もちろんtheの方がはるかに多いです。) Aのstand in a corner of the classroomのヒット数がかなり多いことを考えるに、要素(実物)数が2つの時は「二項対立」状況が強力な影響力を持つために定冠詞しか使えないといううふうに見て取れます。もしかすると、二つの対称形が合わさって一つのものとみなされるのかもしれません(前回の質問投稿の際のNakayさんのご意見を参考にしました)。 ところが、cornerのように要素数が2つではない時は不定冠詞の使用が容認されるようですが、これは、要素数が2つではない時は「二項対立」状況が現れないからということなのでしょうか。ご意見を伺いたいと思います。 疑似部位だと思われるケースで要素数が2つの場合はいろいろ見つかるのですが、3つとか4つとかの場合は思い浮かびません。これまでのところcornerくらいなものです。この点を考えるに、cornerは「二項対立」が二重に存在する特殊事例なのではないかという気がしています。 ご意見をお待ちします。
- SPS700
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教師老易学難成 一寸光陰不可軽 未覚完全文法夢 階前梧葉已秋声
- SPS700
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僕は言葉は人によって違い、文法や理屈では処理できない部分がある習癖で、自然界のカーブを方程式で表すようなのもだと思います。 簡単で合わないやり方と、複雑でより似た方法(文法)はあっても、100%合致するものはない。ネイティブ百人に聞いても百様の違う答えが返ってくるのはそのためです。 論文を出し回し読みされ、編集委員の甲は定冠詞を入れろ、乙は、この定冠詞は取れ、丙はああ日本人だから冠詞が苦手なんだここ入れとくよ、と言われた経験が何度もあります。
補足
-回答ありがとうございました。 ご指摘の件はよくわかります。私はネイティブの文法力を信用していません。まともに冠詞が使えない人も見てきました。ご意見は参考にさせて頂きます。
- q4330
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言葉だからそんな理屈をつけて解説しても意味ないと思うが 「隅」を強調したいからthe corner と言ってるのかもしれないし、とにかくどこかの隅としてのa cornerかもしれない 大阪の人は落とし物を拾って落とし主に渡すときに これ、自分のやろ・・・この様に言う 関東なら これ、君のでしょ・・・こういうでしょうね なぜyouが君(you)でなく自分(I)なのか理屈ではなく習慣なのですよ
補足
-回答ありがとうございました。 おっしゃることはよくわかりますが、生徒達に指導する際に<習慣だから>はなかなかうまくいきません。下手をすると、個々の文法や語法のすべてについて習慣として指導することになってしまいます。つまり、個々の案件をどれもこれもただ覚えるしかないということになってしまう可能性があります。一定の法則めいたものがないと生徒達は受けつけてくれません。ご意見は参考にさせて頂きます。
お礼
再度の回答ありがとうございました。 <以上から、この場合の部位説は、原理的に容認できるお説ではあると考えます。ただし、暗然たる格好での状況依存(学校での会話・授業中等)がある場合、theの基本的用法に沿った表現という見方から、暗黙の了解という限定説の可能性も排除しきれない面があると思われます。> -たしかにその通りだと思います。状況依存による弱い限定あるいは暗黙の了解という限定もあることだと思います。私自身もネイティブとしゃべる時、かなり状況依存的な場面だなと感じたら迷わずtheを使っています。 その他のコメントも読ませて頂きました。ありがとうございました。 実は、今回の議論に関してもう一つ聞きたいことがあったのですが、次回の質問テーマとします。具体的に言うと、in the corner ofやon the bank ofやon the side of におけるcorner, bank, sideおよび部位を表すarmはいずれも概念ですが、上位概念との関わりにおいて特定の働きを行う、あるいは役割を担うものです。これらには定冠詞がつきましたが、それは、これらの概念がある上位概念を構成するデフォルト要素だからにすぎません。そうした要素でなければ無冠詞で使われるはずです。 例えばgo by trainとかgo to churchとかにおいて無冠詞のtrain やchurchはある働き、または働きを行う場を表すものだと思います。さらに言うと、John Smith is interpreter of the conference. における無冠詞のinterpreterのように、ものだけでなく人を表す名詞までもが特定の働き(ここでは役割も)を表します。こうした現象は普通名詞が概念として使われる場合に見られることのようですが、では、この場合に、なぜ働き・機能・場・役割を表すのか-というのが次回のテーマです。タイトルはたぶん<普通名詞が概念として使われる時、なぜ働きを表すのか>になると思います。 次回もご都合がつけばよろしくお願いします。