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ピラミッドを作ろうとしたモチベーションは?
ピラミッドがどうやって作られたかについては非常に興味深いところですが、表題の点についてはどうだったのですか? 関わった作業者には出退勤の記録があり、休んだ理由には二日酔いもあり、ナイル川が氾濫して作物が作れない時期に従事したとある訳で、それでも作ろうとしたからには何がかあっただろうと思うのですが…? 給料ですか?とするなら亡き国王の御ためということではなく、支配層が巻き上げた税金から支払われたのですか?とするならその支配層は私腹を肥やすのはそこそこに、人民を生かす必要があるだろうと、(日本でいうところの)「生かさず殺さず」の政策だったのですか?
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- gunsin
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#1のsailor さんの回答の通りです。 ナイル川が雨季に氾濫する時は、農耕地は水に浸り農作業が 出来ないので、失業対策事業で有る事が発見された、パピルス を読み解く事で解って来ました。 資金は近隣の国から略奪したか貢がせたのではと、推察されてます。 ファラ王として崇められるのは自然な成り行きでしょう。 ナイルの氾濫の時期を知る為に、暦を始めとして科学的知識が 発達して、文明の先進国だったと・・・
- eroero4649
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「宗教的情熱」としかいいようがないと思います。 王の権力誇示とか様々な理屈はありますけれど、王様ひとりが「作れ」と情熱的になってもできるものではありません。設計者や現場監督など沢山の人が「作りたい」という思いがあったからこそ作れるものですよね。 日本でも大仙古墳(仁徳天皇陵)みたいな壮大な古墳がありますし、ピラミッドもエジプトに限らず中南米あたりには沢山のピラミッドが作られています。 バーミヤンには、巨大な石仏がありました。マチュピチュという有名な遺跡もあります。イースター島のモアイも途方もなく巨大なものを作ろうとした形跡があります。イギリスのストーンヘンジは、我々が想像しているより古い時代に作られた可能性があります。石器時代に作られたのだとしたら、どのようにしてあんなものを作ろうとしたのでしょう? カラヒヤ遺跡というのをご存知でしょうか。南米ペルーの15世紀頃に作られたものだと推測されるもので、断崖絶壁の中腹に、トーテムポールのようなものが置かれています。おそらく中に人体が納められた棺であろうといわれています。 この遺跡のすごいところは、どうやってそこにその棺を置いたのかまるで分からないことです。下から足場を組んで運ぶには高すぎる場所です。だから崖の頂上から降ろしたのではないかといわれていますが、そこは崖の頂上からはえぐれた場所でそうやって降ろすこともできません。 ピラミッドも大仙古墳もストーンヘンジも古代の出雲大社もバーミヤンの石仏もイースター島のモアイもカラヒヤ遺跡も、何かの宗教的情熱に基づいて作られたものです。 「狂気」という意味も含めて「信仰」というものはそれだけ大きなエネルギーを人類に与えているということなのではないでしょうか。
- sailor
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どうも、今で言うところの公共事業の一つだったみたいですねぇ。 言い方は語弊があるかもしれませんが、今で言うところの箱物行政だったようです。 生かさず殺さずというにはかなり待遇が高かったようですね。 労働者本人だけでなく家族まとめて、移り住んでいた記録もあるようですし、そのための住宅の用意もあったようです。