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ナイル川の氾濫期の川幅

古代エジプトの時代からアスワンハイダムができるまで、ナイル川の氾濫が毎年続いていたそうですが、ある本によると氾濫期の川幅は8倍になるとありました。古代エジプト(特にギザのピラミッド建設当時)のギザ周辺における、通常期の川幅と、氾濫期の川幅が知りたいのです。ネットで調べてみましたが見つけられませんでした。どなたかご存知でしたら教えてください。

みんなの回答

  • Pinhole-09
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回答No.3

ナイル川のアスワンハイダム以前の地図がありました。   アマルナとテーベ近辺だけですが、参考になるでしょう。    遺跡調査時のものでしょう。   近代と古代の川岸の変化ですが、遺跡の位置から見て大きな差はないようです。   アマルナの近辺で川幅は広いところで、2キロ、狭いところで0.7キロです。   テーベ近辺では、3キロと1.5キロくらいと思います。 大洪水と書いたのは、氾濫期の川幅は年により、大幅に変わります。  その広い年のことです。

hikojuro
質問者

お礼

3度も回答してくださってありがとうございます!その後、双葉社のエジプト関連の本でナイル川の氾濫領域図を発見できました!それによるとギザとヘリオポリスがナイル川の対岸にあるようにその2都市間の全域が氾濫期に水没していたようです。その川幅はやく15キロにも及びます。デルタ域にいたっては、本当に川幅は数十キロに達していました。驚きです。

  • Pinhole-09
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回答No.2

No.1で吉村氏の数字は現在のものです。   これから推定すると、下流は、白、青ナイルが合流して、他の河川も加わり、ダム以前では幅3キロくらい、古代でも数キロくらいでなかったと思います。   大洪水で数十キロでしょうか。   アマゾン川より見ても、こんなものでしょう。

hikojuro
質問者

お礼

回答ありがとうございます。大洪水と毎年の氾濫期では意味が変わりますね・・・推定する以外にないのでしょうか・・・

  • Pinhole-09
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回答No.1

古代エジプト時代では、生活上必要だった水深は測られ、記録されていますが、川幅の記録はないでしょう。 近代の川幅より推測するほかありません。   アスワンハイダムの出来る前のデータを探したらどうですか。 ダム後の下流は古代とは、大幅に異なると思われ、上流の白、青ナイルの川幅は吉村作治氏によると、500mから1キロくらいだそうで、粗い推測ではそんなものでしょうか。

hikojuro
質問者

お礼

回答ありがとうございます。上流地域と同じくらいとは限らないので悩むところです。また別の本で、川幅は数十キロに及んだとなっているのを見つけました。まだかなりあいまいですが、川幅数十キロとは凄い距離です。これは本当にあっているのでしょうか??