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神社で柏手を打ちます

神社で柏手を打ちます この柏手がなぜ柏なのかを 教えてください

みんなの回答

  • kappa1zoku
  • ベストアンサー率29% (334/1137)
回答No.5

二礼二拍手一礼がGHQの指令だとは知りませんでした。本当ですか? どこかにそのような記述があるのですか、あなたの思い込みですか? まさか明治期から行われた宮中祭祀(僕は明治期以降の「天皇制」は創作だと考えています)までも、GHQによる差し金だったとでもいうのでしょうか。 古代神道というものをどう理解されているのか分かりませんが、明治期において神道は国家神道に政治的に格上げされました。その神道は、仏教、儒教、道教の「ごった煮」のようなもので、日本古来の神道とは似ても似つかぬものだと喝破した人がいました。 帝国大学の久米邦武教授です。 彼の説によると、神道は天を祭る素朴な習俗であり、それ以外の何ものでもない。地祇(地の神、国つ神)や社稷、山川を祀るのは陰陽道の影響である。「神道に宗廟なし、大神宮を大廟と称するは甚だしき誤謬」であり、伊勢神宮を神社の総本山とすることや宮中の社殿も本来の神道のあり方とかけ離れていると指摘しています。 まあ、こういう言説によって、彼は帝大を追われる形になりました。 上記の久米教授の指摘にもありますように、社を建設して、社殿の中に<神>を封じ込めることは古来の神道とは全く違った方向です。 日本における寺院や神社の多くは、朝鮮渡来の人たちが建設したと文献にありますので、その時代の日本の神道は生き延びる方途を探しあぐねていたのだろうと推測します。 岩や森、山そのものを神としていたのですから、次々と寺院が建設されてきだすと、自分たちもそこのどこかにはいりこめないものかとも考えていたように思います。仏教との折衷ですね。 日本古来の神道よりも仏教の方が古いのですから、礼拝という形も折衷案を考えていたのだと思います。 ナマステというインドの言葉がありますが、これはあなたに膝折って挨拶をしますという意味だと中村元氏の著書で読んだことがあります。 浄土教の南無阿弥陀仏の南無も、このインドの挨拶に近い言葉で、ナマステのナムが転じたものだと書いています。 僕が読んだ浄土真宗派の経典解釈では、「南無」は感嘆詞の「ああ」というものに近いと理解していたのですが、原始仏教に造詣の深い中村元氏の方が正解だろうと思います。 つまり、礼拝の形は、この膝折ってあなたに挨拶しますというものだと思います。また、あなたではなく相手は<神>なのですから、それこそ膝深く折り曲げて礼拝する形だったのではと推測しています。 現在、神社の礼拝でする二礼二拍手一礼が短時間の礼拝であるとする根拠が上記のものです。 僕は神との交信というレベルでは考えたことがないので、「柏」に意味があるのかないのか分かりません。 あてずっぽうで言えば、後世のこじ付けだろうと予測しています。 日本の場合は、漢字文化の導入の中で、いろいろ整備していったという考え方が多くは当たっているようです。

nensho777
質問者

お礼

ありがとうございます  GHQに関してはこちらの動画を 参考にしていただければと思います https://youtu.be/bFKyH0AMtPk

  • oska2
  • ベストアンサー率44% (2301/5116)
回答No.4

>この柏手がなぜ柏なのかを教えてください 確かに、神社では「柏手」をうちますよね。 つまり「打つ」 柏は、木に「白」と書きます。 「柏」は、多くの神職の家紋にもなっています。 それだけ、神道では「神聖な植物」なんですね。 「柏の葉」は、手に似ています!? 手を柏に見立てて、「手を叩く」と「私は、穢れを持っていません」という意味らしいです。 神社庁・文科省非公認の考え方では・・・。 「魏志倭人伝」に倭人の風習として、貴人に対し手を打ってひざまづいて拝礼をしていたとあります。 この風習が、今に続いているのです。 なお、二礼二拍手は「国家神道=天皇制」を強化する為に明治政府が決めた作法です。 が、今では神社庁も「作法に関係なく、自由にお参りして下さい」と述べる様になりました。 まぁ、昨今では「神主不在の神社」が増えていますからね。 明治維新まえの、各神社独自の参拝方法が見直されています。

nensho777
質問者

お礼

ありがもうございます たいへん参考になりました

  • kappa1zoku
  • ベストアンサー率29% (334/1137)
回答No.3

二礼に拍手一礼という普通の神社での参拝方法を、なにか神聖なものだから「柏」という字を用いたとお考えのようですね。 二礼に拍手一礼は、もともと五体投地のように膝を折り曲げて拝む姿勢だったと本で読んだことがあります。それが簡略化されて、今のスタイルになったようです。 ですから、拍手も柏手も、簡略化スタイルの一部であり、後付けのように思います。 まあ、時短での参拝方法ということでしょう。

nensho777
質問者

お礼

ありがもうございます 2礼2拍手1礼は GHQの押し付けだと認識しております 柏手とは拍手という一般的な 言葉とは次元の違う 古来神道で使われてきた すずをならすことと同義の 神との周波数共鳴への シグナルと解釈しております

  • nekosuke16
  • ベストアンサー率24% (903/3668)
回答No.2

柏手(かしわで)の語源は、諸説あるようですが、一つには宮中で食膳を司る役職に膳夫(かしわで)というものがあり、神前で手を打って拝礼する様子から直接きたというもの。 もう一つは、そうした宮中などで天皇や神前に対して食事を提供する際の食器として、人間の手のひらに似た形の柏の葉を用いたということと、さらに発展して神前などで手を打つ際の手のひらが柏の葉に似た形をしているところからとする説もある。 現在も神社では日々の習慣として御饌(みけ=神様の食事、供物)を神前に供えるが、こうした伝統的に継承され続ける一つの作法の中で、膳夫という役職、器の形、柏の葉に似た人間の手の形など、複合的な要素が絡み合って柏手という言葉が成りたっているのでしょうね。 ちなみに、早朝、よく近所の神社に参拝に訪れますが、6時キッカリ頃に日供(神様の毎日の食事)を自ら運ぶ神主さんを見かけますよ。

nensho777
質問者

お礼

ありがとうございます 諸説あるということですね わたくし的には柏という樹木が あまりにもオンリーワンなものですから 落葉樹にして次の葉が出るまで 落ちずに新芽を守る姿が 人間のあるべき姿かと そこに神性を感じます

  • sailor
  • ベストアンサー率46% (1954/4186)
回答No.1

柏手という文字自体が誤りですので、柏とは無関係です。 かしわでは拍手と書いてかしわでと読みます。 なんでかしわでと呼ばれるようになったのかは定かではありませんが、 柏という字と拍という字を間違えたのが始まりという説が主流のようです。

nensho777
質問者

お礼

ありがとうございます よくそんな説をみかけますが 根拠をご存知でしたら 教えてください

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