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なぜフィジカルディスタンスが流行らなかったのか

今や当たり前となったソーシャルディスタンス(社会的距離)ですが、実際はフィジカルディスタンス(物理的距離)が正しいと思います。 社会的距離を取るとなると、たとえ物理的な距離が維持できていても人との関わりを遮断しなければなりません。 なぜ、社会的距離という言葉が流行ったのでしょうか?

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  • eroero4649
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回答No.1

そもそもそのソーシャルディスタンスは、欧米(確か言い出しっぺはイギリスだったような?)で始まった言葉です。ソーシャルディスタンスを割とストレートに直訳して「社会的距離」とされました。 ただ、元々英語圏では「ソーシャルディスタンシング」だったのですが、どうも日本人というのは「イング」になる言葉って嫌う傾向にあるのですよね。なぜか英語的に正しいディスタンシングがディスタンスに言い換えられました。 けれどもその欧米でも「社会的距離っていうより、人と人とが離れるんだからフィジカルディスタンシングが正しいんでね?」といわれるようになって、最近はフィジカルディスタンシングと言い換えられているようです。 しかし日本ではソーシャルディスタンスで広まったので、そのままになっているというわけです。 ただ、仮にフィジカルディスタンシングで輸入されたら日本で流行ったかどうかは微妙だと思います。フィジカルディスタンシングを直訳すると「肉体的距離」ですからね。「濃厚接触」に「肉体的距離」なんていわれると、なんだか違う想像をしそうです・笑。

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回答No.2

ソーシャルダンスのイメージに引きずられた、のではないかと。 病理的には  (1) 不特定な相手の飛沫攻撃を受けない距離  (2) 自分の発する穢れが相手に届かない距離   なので、風の流れを考慮する必要があり   2mみたいな物理的距離ではないハズで   空気を読んだ 社会的距離の方が良いと思います。 外国文化との違いを考察してみます。 例えば マスク文化は (1)を考慮すると  アメリカ人は、マスクはウイルスは防げないのでマスクは無駄。  日本人は、今さら何を、大きい飛沫を防ぐ効果は絶大。 (2)を考慮すると  アメリカ人は、人前でも唾やゲップを吐く。  日本人は、咳, 欠伸, 楊枝使い, の時にも手を当てる。 違いがあります。 50年前、テレビでアメリカ文化が流れ込んだ時  小学校教師が、アメリカは罪の文化、日本は恥の文化、   なので負けた、と言ってましたが 私は 月が、草葉の陰から先祖が、見ているので  (社会に受け入れられない)恥ずかしい行為を慎もう。  と考える日本の方が高級な文化だと思っています。

oilon11
質問者

補足

後半何言ってるのか分かりません。脱線しすぎです。