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ヤマト
大昔は日本では無く、ヤマトだったらしい、カタカナから漢字に なったのは、どのような事情だったのでしょうか、よろしくお願 いいたします。
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ヤマトとはヤマタイで山の国という意味だと安本美典さんらは書きましたが、ヤマタイが九州から奈良に移ったにせよ元々奈良だったにせよ、ヤマトタケルの時代には「やまとはくにのまほろばたたなづくあをかきやまごもれるやまとしうるはし」(ヤマトは良いところだ青い生け垣のように山に囲まれてヤマトは美しいなぁ)と歌ったようにヤマトと言う国は日本列島の中の奈良県付近にありました。この国が日本を統一して日本全体がヤマトになりました。ちなみにヤマトに大和という字を当てるのは、中国語で国名を倭と命名しましたが(倭とは小さい人という意味だという説もあり)、日本人が同じ読みの和の字を使いはじめ、グレートな和国という意味で文字は大和と書き、読み方はヤマトのままとなりました。 日本という名の由来は7世紀ごろ、日本が中国皇帝に宛てた「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや」(日が出る国の天子が陽が沈む国の天子に申し上げます。お元気ですか)と隋書に書いてあるのが有名ですが、この頃から日本を自称するようになりました。中国から見た認識では「倭国自ら其の名の雅ならざるを悪み、改めて日本と為す」(倭国が名前がかっこ悪いので自分で日本に変えた)と書いてあるそうです。
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- fujic-1990
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「山処(やまと)」の意味か、と広辞苑には書いてありますね。 奈良を(越後国などと同様の)旧国名を「大和」と言いましたが、これは天理市の地名からおこった名前である由。初め「倭」と書いた、とも広辞苑に書かれています。 ヨーロッパ人がサハラ砂漠を前にして「あそこはなんという名前だ?」と聞いたので原住民は「砂漠(サハラ)だ」と言ったので、そこはサハラ砂漠(砂漠砂漠)となったそうです。 いわゆる天孫族(東征してきた人々)に「ここはなんていう所だ?」と聞かれた元々の住民が「山のある所(ヤマト)だ」と言ったんじゃないでしょうか。 でそこを基盤として朝廷が成立したので、天理市あたりのもともとの地名を利用して(江戸幕府みたいに)「やまと朝廷」と自称して出雲政権あたりと交渉したり、倭という漢字で中国に自己紹介していたダケなのではないでしょうか。 それが、「倭」の漢字の意味が分かり、同時に中国から下に見られているという事実に気が付いて、中国との交流上「朝廷の表記は、倭ではなく大和」に、いわゆる日本全土を代表する正式な「国号」としては縁起のよい「日本」を採用したのではないか、と想像します。 倭が大和表記になったのは、倭は「小さい」というような意味の漢字だったので、反発して「大きな和」に表記を変えたのではないでしょうか。倭を和に変えただけではインパクトがありませんからね。「いや、小さな倭ではなくて、大きな和なんだ!」と。 どうせなら、「大八洲豊葦原瑞穂国中国」とも自称していたのですから、「中国」とでも自己紹介してくれていれば、「古来、吾国こそが中国なり。第二次大戦後の国が中国などと片腹痛い」と喧伝できたのに、といささか残念ではあります。 ま、青森とか長野とか、日本の地名でも堂々と商号登録する国だから、結局は盗まれたかもしれませんが。
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- oska2
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>大昔は日本では無く、ヤマトだったらしい その通りで、邪馬台国以降も「やまと」と中国では呼ばれていました。 ※卑弥呼の死後に女王になったのは「台与(とよ)」です。 ※台を「と」と読む事も、出来ます。 ※邪馬台国は「やまとこく」と読む事も出来るのです。 >カタカナから漢字になったのは、どのような事情だったのでしょうか 先ず、カタカナが漢字になったのではありません。 漢字から(筆者によっては)カタカナ表記になったのです。 魏志には「連合王国の邪馬台国」を、「倭国」と呼んでいました。 ※倭国=わこく・やまと。 旧唐書には「倭国は、委の奴国が支配している」との記載があります。 ※九州で出土した「漢委奴国王」で、有名ですよね。 つまり、連合国家である邪馬台国は実質的に「倭国」を意味していました。 ※熊襲・隼人族のみ、邪馬台国と敵対。 新唐書には・・・。 「奴国は、国号を忌み嫌っていた」 「倭国の東に、日下(日本)国が存在していた」 「倭国は大国。日下国は小国」 「倭国は日下国を併合し、国号(日本)も奪った」 ※日本神話の、神武東征の元になった? 以上、文科省が認めていない逸話でした。^^; 余談ですが、「大和が、何故ヤマトなのかは今でも学会の謎」です。
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- nekosuke16
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いや、カタカナから漢字ではなく、元々ヤマトは「倭」もしくは「日本」で、何れも古事記や日本書紀に登場する。 それが奈良県の大和地方に王権が誕生したという説があることでヤマト王権と呼ばれるようになったけれども、ヤマトというカタカナが誕生するのは平安時代に入ってからのことだから、例えば歴史の専門書などでも「ヤマト王権」などと表記するのは現代だからこその話。 つまり、昔の日本の呼び名に「倭」「日本」「大和」の表記はあったけれども、カタカナのヤマトなどという国は、何処にもなかったと思いますよ。 まあ、日本という表記も7世紀後半というから、そうとうに古いものですよ。
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ありがとうございます。
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