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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:こんな形の土地はなぜ出来たのでしょうか(住宅地))

なぜこんな形の土地ができたのか?

このQ&Aのポイント
  • 昭和の初期には、隣の土地に食い込むような形をした土地が存在しましたが、その理由は何でしょうか?
  • このような区割りになった理由は何だったのか、昔はこのような形が普通だったのでしょうか?
  • 現在では明らかにおかしいと思われる形状の土地があるが、なぜこんな形になったのか疑問だ。昭和初期にはこのような区割りが一般的だったのか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • y-y-y
  • ベストアンサー率44% (3067/6902)
回答No.3

> 昭和の初期にはこのようになっていました。 その確認したのは、「公図」ですか。それとも「登記簿」ですか? その2×1m程度の土地は、「公図」から土地が分割されて、地番は別ですか? > どのような理由でこんな区割りになったのでしょう?昔はこのなの普通だったのでしょうか?今から見ると明らかにおかしいと思うのですが。 もし、「公図」で2×1m程度の土地の地番が分割されて、-(ハイホン)が付いた地番なら、その土地が明治のころからの、地番が分割された理由・利用目的などが分かるかもしれません。 昔の「公図」は、土地の地番ごとの境界線と土地形状だけの記載です。 だから、土地形状は大まかなだいたいの広さと、境界線の寸法・長さななどの記載はありませんので、実際の境界線等の確認は、隣接の土地同士の話し合いです。 「登記簿」は、前記の「公図」から土地の地番を調べて、登記簿を確認します。 質問の図で、隣り合う土地のどちらからか分割されていれば、土地の地番の表示が、「〇〇番地-(ハイフン)△△」と、なっているでしょう。 〇〇番地・・・・隣り合うモトの地番 -(ハイフン)△△・・・・△△は漢数字だったり、イロハだったり、甲乙丙だったりします。 ------------------------ 現在の登記簿は、土地の形状、広さ(面積を平米で表示)、境界線の寸法・位置、土地の測量図などを、地権者(名義人)の申請によって、そのまま登記も可能の様です。 でも、土地の位置・場所・地番・だいたいの土地形状等は、公図で確認するしかありません。 なお、住居表示の地域(〇丁目 △番 ̻▢号 の表示地域)でも、土地にも地番があります。 普段は、住所といえば住居表示ですが、その住居の家の土地にも地番があることを、頭のどこかに記憶しておきましょう。 住居表示にも、完全な住居表示になっていなくて、中途半端な住居表示地域もあります。 たとえば、「〇丁目 △番地」と、土地番の場合です。(△番 ̻▢号 の表示では無い)

gennya
質問者

お礼

大変詳しく回答ありがとうございます。

その他の回答 (3)

  • bunjii
  • ベストアンサー率43% (3589/8249)
回答No.4

>昭和の初期にはこのようになっていました。 建築基準法が無かったころには建物の外郭より少し大きい土地に家屋を建てることができましたので大きな土地を最小限の大きさに分筆して購入することがあったと思います。 提示の図からの推測では建物の外壁から1間(1.8mほど)離れた周囲が境界になっていると思われます。 私の知る範囲では借地に家を建てて家屋が占める最小範囲を買い庭は借地のままで住んでいた隣人も居ました。 >今から見ると明らかにおかしいと思うのですが。 家屋の建て替えをしなければそのままでも問題ないでしょう。 昔の生活環境では「おかしい」と思えません。

gennya
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 おかしくはないってことなのですね。

回答No.2

 本来は土地がもっと広かったものの、道路が新しくできたり、そもそもあった道路の拡張により現在の形になったのではないでしょうか。(2×1mの部分が本来はもっと広かったが、道路の拡張で現在のようになったとか・・・)

gennya
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

  • qwe2010
  • ベストアンサー率19% (2193/11072)
回答No.1

隣の土地、二つを、一つにしている。 一つの土地、道路用地で、買収されている。 境が、少しづつ、移動することもありました。

gennya
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

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