>百人一首の中の鎌倉時代の和歌の美が「荒廃」なのはどうしてですか?
⇒平安時代に隆盛を極めた公家政治が崩壊して武家政治に移行したことが最大の要因でしょう。
貴族は政治的実権を失いながらも、文学(短歌)の担い手は相変わらず貴族であった。このことによって、「荒廃」の風潮・詠歌が主流になっていったと考えられます。(ただし、それに「美」を感じていたかどうかは不明です。)
その代表作品が、「百人一首」選歌の時代的最後を飾った順徳院(健保4[1216]年作)と言えるかも知れません。
「百敷や 古き軒端の しのぶにも なほあまりある 昔なりけり」
意味:「皇居の古びた軒端のしのぶ草を見るにつけて、あの延喜天歴(平安前期)の聖代をしのぶが、いくら昔をしのんでも、なお心にあまることである。(今の皇室の衰微は嘆かわしいことである。)」