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キリストの真実の愛とは実にお粗末だ
- キリストの真実の愛とは実にお粗末だ。黒い不死鳥の復活は、焼け付く暗黒の炎を風に乗せ、美しく君たちは焼けただれていく。
- 他者を理解する行為は絆を標榜し、無条件かつ問答無用で行われる。愛は日本語で「絆」と表現され、西洋の愛に相当する。現代のキリシタンの無能を笑いものにしているが、これは国内の問題である。
- 無意識と定義される心理の奥底は、自己の五感を総動員して他者について思考や理解を試みることを可能にする。人は他者との相互作用を通じて絆を築き、人間として自覚する。研究支援のためにはふざけたスパイスを含めた意見を募集している。
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すべての宗教の言葉は、信者のためのものであって、部外者のものではない。 信者でないものが何を言おうと勝手だが、何処にも誰にも響かない。
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- yukiyamamomo
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島といえば私の人間関係で言えば、島も離党やつガイアのですが、 それとナニ関係が有るのでh層化かよい場所がない緒d消化。 イラストととかロックマンとかrpgとか ころころボンボン系でシアが、 チッターもsnsを追いdされて場k理ですよ。どこが
お礼
ロックマンは情報の露出量が増える傾向を感じるから、ゲームは再始動を大掛かりにするつもりなんだろうね。 離島は基本的に住みやすい。 山間部の似たようなところがあるけど、人口や職業の流出があるだろう。
補足
参考で10年以上前から繰り返してきた私の愛の定義 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 人と人が人間を成立させる必然の社会の形成は、自己と等しく他者を生かす共生の心掛けで成り立っていて、それが善なる資質だ。 愛とはその善性を感情面で裏付けることであり、人間が成立する社会面での人同士の向き合い方の感情面での原型である。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー キリスト教徒に関しては、愛について基本的にこの構え方でいいんだ。 ただしこれも「アマテラスの善」の説明なんだよね。
- yukiyamamomo
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ジョジョは投稿場所が違うか推し連戦が、 第四部のじゃんけん小僧が三菱ですよね。か が阿ですよね。 作者が ティッシュを毎日のように私から取っていた他奴が いましてね、それからいぶし銀にこだわる奴とか 謎でしたね。 ついでいミズノは言ったコップいコインを入れるのは 人間参加なのでしょうかね。
お礼
え~とっ。 無の境地とは人間であるために必然であり、仏陀以外は畜生だ。 そういうのを教えだけでなく世の中の風潮も仲介して刷り込まれた。 これが日本の伝統的な事柄。 現在はファッキン賞賛という疫病にも染まっている。 君は下半身的な自己の中心がヒクヒク痙攣する快楽のおかげで、その疫病を覆せないんだよ。 否定してはいけない。 肯定して、それ以外を見出すんだ。 愛という疫病の爆破はほぼ完成した。 我ながらいい仕事ができた。 君が救ってくれと頼んでも私は決して救わない。 てめ~で、何とかしろ!
補足
一連の研究で一里塚が築けて良かったよ。 私は知性的にふるまおうとする志の落とし穴を承知していて、「感性の潤いが知性を鋭敏にする」という形の情動を思考の根底にするように据えているんだ。 だから、哲学などから研究手法として、情動の中でも「原型として機能するのが愛」というのを研究のしやすさと相まって前提にしてはいたんだ。 ただ、快楽ではなく官能であっても、激しく揺さぶる熱情であってこその愛だから検証を続けてきて、今回の一応の結論だ。 ずいぶん前に確立していた結論でもあるけどね。 決定的な確信への到達にはやはり、時間がかかるものだ。
- copemaru
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キリスト教の真実の愛は、確かにお粗末です。 先日、40年ぶりに古い友人に逢ったのですが、彼も「人が人でいる限り、愛という業からは逃れられない」と言っていました。私も同感です。 愛する者を失えば、悲しみ、愛する者を奪われれば、憎しみます。古来、最も多くの人命を神の名の下に奪って来たのはキリスト教徒でしょう。
お礼
苦しみを克服して愛を肯定することを生きる上で推奨する文化なのでしょう。 日本とは違いますね。 ただしそれをキリスト教に入信する最大級の特典サービスにしていて、ファッキン教団の恥ずかしさがあります。古典化していてもカルトじゃないですか。 それから回答者様の意見について反応ですが、「私は男性にいじめられます」というこのカテゴリーの少し下か私の履歴から拾える少々ふざけた質問を見てください。 おおむね、男女とも同様のようですが、ポルノ妄想は生理的な気力発揮が目的で衝動が続くのですが、「解消する」とは生理とかかわるので言い切れなくても、心理学的な言い回しで、「弊害が自覚できないほど対策をとることができる」というのは事実で、仏教でいうような「渇愛」(タンハー)は個人差が大きく普遍的な見解のつもりで納得するのは落とし穴です。 この点は、機会があれば心理療法手法などの確立も個人的に基礎を考えてみたいと思っています。 執着の類は、社会の風潮などとかかわって知らない間にしみこんでしまうこともあって、そうしたこと全般への方策についてです。
補足
メモ、前回質問備忘欄にも書いたけど、 善の概念についての命題の一部として、感情面で裏付ける入り口としての、愛の命題化だったのだろう。 現代語で明示すると「憑依現象」と露骨に指摘したほうが良い深層心理の自覚が難しい作用と掛け合わせると、より深みがある言葉は「絆」という事になる。 この点は「精霊伝心」というのを提示している。 なぜなら人格が完全に意図して他者の人格に干渉することには、人霊同伴現象とでもいう弊害があり、おそらく王朝時代の信仰や風俗の名前のルールなどは、そうしたことに明白に対策をとった痕跡なのだろう。 現代では道徳違反と周知されないまま、マインドコントロールや催眠術の類として、他者への人格浸食を利益導入の便利な小道具に実用にしている。 心理学基盤で安定したこの手法では、意図した利益獲得は成功している模様だが、現象として起きる弊害のほうは、黒魔術的に心理学の圏外で不明なところがあり、その点はしらばっくれている模様だ。 実用的なオカルト手法といっていいだろう。
お礼
その閉鎖性は問題ある考え方だね。 特定の人はそれが特徴だけどもね。
補足
信仰心とは、個人の核心で誰にも侵害されない。 しかしが、社会は共同体として、共通の理解の上で成り立つ。 それは、君みたいなショーも無いヘタレが一番言い訳に使いやすいだろう。 でだ、せっかく登場しても自分の考えをまともに踏み込まないのかい。 規範として植え付けられた宗教を中心に考えているからだろう。 そこがいけないんだよ。 キリシタンはクソだ。 外国に住むのは外国人だからどうでもいい。 そっちのフォローはしたよ。