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西洋近代における現在や過去、自己と他者、人間と自然、理性と非理性の問題について

近代西洋における(1)時間の観念(現在と過去)(2)自己と他者(3)人間と自然(4)理性と非理性、について知りたいです。 ●西洋近代においては、上記のものは切り離されているのですか。 ●キリスト教の観念でも、上記のものは切り離されているのですか。 ●日本では、仏教的な輪廻思想などで、上記のものは繋がっているのですか。 ●以上のことを何かひとつでも考察した文献はありますか。 ●西洋近代の現在や過去、自己と他者、人間と自然、理性と非理性などが切り離されている問題が、19世紀くらいの文学で表現されているものはありますか。また19世くらいの文学ではそのような分離の問題が文学のテーマとなっていましたか。西洋文学日本文学問わず、何かありますか。 以上のことでわかることがありましたら、ひとつでも回答してただけるとありがたいです。

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noname#63050
noname#63050
回答No.3

西洋近代思想史―十九世紀の思想のうごき〈下〉 (講談社学術文庫、1994) G.H. ミード (著), George Herbert Mead (原著), 魚津 郁夫 (翻訳), 小柳 正弘 (翻訳) ISBN4-06-159124-X これが入手できればいいですね。19世紀は、哲学的探求に科学の発見が大きな影響を与えていた近代であることが詳細に書いてあり、たとえば、自我は他我との自覚的な相互作用の過程であるとか、行動心理学の問題とか、非常に詳しい分析が載っています。名著だそうです。

yanagi_sui
質問者

お礼

本紹介していただいてありがとうございます。 手に入ったら読んでみたいと思います。

その他の回答 (2)

  • reikasuzu
  • ベストアンサー率30% (4/13)
回答No.2

「切り離されている」の意味がよく分かりません。 過去と現在、自己と他者、理性と非理性、全て一緒くたにするわけにいかない、という意味で「切り離されている」と思いますが、同時に関係もしていると思います。全く関係していない、という意味で「切り離されている」と言った人はいないのでは。 例えば、自己と他者は別物ですが、他者があることによって自己がある、他者を認識することによって自己も生成する、他者の欲望を真似ることによって、自己の欲望が生まれる(ラカン)、自己とは神と一対一の関係で捉えられる(スコラ哲学一般)など、様々な関係性を持ちます。 そしてその関係の仕方たるや、複雑怪奇で、とても難しい。 これらは哲学の主要問題なので、ビックネームの哲学者でこの問題を考えていなかった人はいない、くらいの勢いだと思います。そして、プラトンから、ドゥルーズにいたるまで、様々な考え方と、それに対する批判の歴史があって、問題は錯綜しています。 手始めに、哲学辞典などで(ラルースの邦訳とか)、上記の単語を一つ一つ引かれてみると、主要な哲学者の名前が出てきますので、そんなところからはじめられるとよいと思います。 そして、適当な哲学史の教科書を一冊読むと、上記の問題の素描がでてきます。

yanagi_sui
質問者

お礼

辞典や教科書を読んでみます。ありがとうございました。

  • t78abyrf9c
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回答No.1
yanagi_sui
質問者

お礼

サイト参照しました。参考になりました。ありがとうございました。

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