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”今日は人の身、明日は我が身”

”今日は人の身、明日は我が身” という慣用句はよく出会います。 この慣用句というか諺の意味することを教えてください。 各個人の生まれてきている根源と関係があるのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • alterd
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回答No.2

極端な言い方をしてますが、「人の身に起こったことは、いずれ、あなたにも起こりますよ」ってことですね。 その最たるものが「死」でしょう。 人生訓として捉えるなら「毎日を悔いなく生きなさい」となるでしょうね。 後、遺伝子レベルで見ても、人間同士は、たったの0.1%としか違わないそうです。 ですので、運命によってその人生に大きな差があるように見えても 基本的な所では同じなんじゃないでしょうか。 だから、全体を通して見れば、余程恵まれた人や恵まれない人でない限り ちょぼちょぼの人生を送っているのではないかと想像します。 違いと言えば、精々、善人であったかどうかぐらいじゃないでしょうか。 「いやいや。オレはあいつより優秀だ。成功した」とかいう人も居るでしょうが、そういう、人と比べる所もひっくるめて同じなんだと思います。

krya1998
質問者

お礼

ありがとうございました。その通りですね。 私は幼児の時から、自分という存在が共有的なのではないかという仮説を心に抱いているんです。つまりどなたの中にも私がいるなぁと思っているんです。

その他の回答 (1)

  • marukajiri
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回答No.1

「今日は人の身、明日は我が身」、「今日は人の上、明日は我が身」、「昨日は人の身、今日は我が身」などといわれることもありますが、意味はどれも同じです。主に悪いことが起きた場合に使われます。すなわち、他人にふりかかった災難が、いつ自分にもふりかかるかわからないということを意味しているのです。 人の運命は予測しがたいものであるし、いつなん時、どんなことが起きるかわからない。他人に起きた悪いことを、自分には全く関係の無い他人事として考えるのは間違っている。他人に起きた悪いことが、自分に起きないとは限らないので気をつける必要がある。ということなのです。 昨今、あおり運転に巻き込まれて、被害者が事故に遭ったり、暴力をふるわれるニュースが報道されたりしています。「今日は人の身、明日は我が身」という考えに立った場合、こういうものも他人事として見ていてはいけないのです。自分自身も場合によったらイライラして、あおり運転の加害者になって、警察のお世話になるかもしれないし、場合によっては乱暴なあおり運転の被害者になるかもしれないと考えて、日頃の運転に気をつけ、ニュースで報道されないようにしようと肝に銘じて安全運転を心掛けるのが、この考え方なのです。 「今日は人の身、明日は我が身」と、注意深い人は何か悪いことが起きた時には、自分の身にあてはめて予防策を講じたり、対策を考えたりするのです。 こういう言葉は、ただ、つぶやくだけで何もしなければ意味が無いのです。「人の振り見て我が振り直せ」という言葉もあります。他人に起きたことをそのまま見過ごすのではなく、自分はどうするのかを考えることが大事なのです。

krya1998
質問者

お礼

ありがとうございました。その通りですね。 私は幼児の時から、自分という存在が共有的なのではないかという仮説を心に抱いているんです。

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