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偶然って必然だと思いますか?

38歳のバツイチ子ども3人女です。 私は幼い頃母親の『人生は運命によって決められている』って言葉があまり好きではありませんでした。『どう転んでももう既に結果は決まってる』ってニュアンスの母の物言いが好きではなかったのかも知れません。 (例えば私が将来の夢を語るときなどに、母がこの言葉を発することがあったので) でも最近、いろんな物事の重なりによって、『自分の身の回りに起こる偶然には、必ず理由や意味があるのではないか』と確信するようになりました。 例えば、先日仕事で、普段なら有りえない初歩的なミスをしたんです。そして偶然その日に限って会社にちょっとばかり今顔を合わせるとまずいなって人が来てたんですが、ミスの処理で会社に戻る時間が遅くなったために、その人と間一髪、会わずに済んだということがありました。(それが幸いかどうかは別として) その人は男性で、一度はとても好きだった相手だったのですが、お互いことごとくタイミングがずれていました。ニアミスのことも含め、どうにも結ばれない運命なのかなぁと思いました。(下手をすれば、いつも着飾っていたのに、♪どうしてなの今日に限って安いサンダルを履いてた~♪ってなりそうな。。) これはちょっと皮肉な『偶然は必然?』の例ですが、この頃は特に出会いでそう感じることがあります。そして年齢を重ねるごとに、出会いには意味があるんじゃないか、だからそういうものを大切にしたいと思うようになりました。悲劇に関して私は人生においてまだ大きな事件を知らずに生きて来ています。それが単にラッキーかどうかはわかりませんが。 ただ、『人間万事塞翁が馬』という言葉もあるように、意味の取り方によって、幸不幸どちらにも取れるということもありますね。 みなさんは偶然起こる出来事などについて、どんな考えをお持ちでしょうか? 教えてください。

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  • nazca
  • ベストアンサー率39% (167/419)
回答No.2

こんにちは! 前回、回答を誉められてしまったのでまた来ました。なんて。(笑) 同い年だったんですねぇ。 同じだけの年月を重ねて来て、ぼくも“全く同感!”ですよ。 「この世の中に偶然はない!」という持論があります。 そして「必要な時に必要な人に出会うべくして出会う」ということも。 どちらも今はもう確信になってます。 akkochantさんの言うように、特に人との出会い(男も女も関係なく)に対しての確信は揺るぎませんね。 昔から「袖すり合うも他生の縁」って言いますけど、まさにそのとおりだと思ってます。 今の勤め先のオーナーとの出会いも以前は“不思議な偶然”だと思ってました。 でも、今は(付き合って10数年経って)“必然”だと思えます。 女性との出会いだって「もう少し前に出会ってたら。」なんてこともありますしね。 よく「乗り遅れたおかげで事故に遭わずに済んだ」とかありますよね。 これを「偶然乗り遅れただけのこと」と受け取るか「乗り遅れるべくして乗り遅れた」と受け取るかは価値観の違いなので、どちらが正しいとは言えませんよね。 でもぼくは「乗り遅れるべくして乗り遅れた」と思いますよ。 ただ、ぼくは「人生はあらかじめ決められている」とも思っています。 しかし、それがたったひとつの道だとは思ってません。 数限りない道(選択肢)が用意されてる中で、人それぞれが分岐点で悩み、考え、道を決めるんだと思ってます。 分岐点で楽な方を選べば下り坂でしょうし、がんばって「えいやっ!」って苦しいかもしれないと思える道を選べば上り坂でしょうし。 「不幸中の幸い」も「何も起こらず平穏無事」も「良い事が起こる」のもすべて“ラッキー”なんだと思いますよ。 人間、「生きててナンボ」だと思いますから。(^-^) このテのことに関して語ってしまうと書き切れなくなってしまうので(笑)、この辺でやめときますね。

noname#3557
質問者

お礼

nazcaさんに再度回答をいただけて嬉しいです。これも縁でしょうかねぇ。。 同い年なんですねぇ。ほんのちょっと前まで子どもだったのに、いつの間にか38年も生きてしまいましたね。ノストラダムスのナンとやら・・・ってのが、遠い未来のことだったのに、それも何事もなく過ぎてしまいました。 いろいろと辛いことがあっても、やっぱり死ぬことって考えられないです。「生きててナンボ」だとしたら、生きものはやっぱり生きるために無意識のうちにがんばっているのかなって思いますね。 私も『乗り遅れるべくして乗り遅れた』と思うでしょう。 幸いそのお陰で助かることになるかも知れないし、それが元で何か災いすることになるかも知れない。でもたとえ災いってことになっても、そこから発見できることは絶対にあると思います。たとえば反省ってことでも十分意味があると思うのです。ちょっと調子に乗ってたけど、あの事件のお陰で目が覚めた・・・とか。 そんなことも私にとっては、やっぱり意味のあることなんですよね。 そんな視点で毎日を見ていると、一日一日って同じ日はないです。 小さな格闘と達成感を感じながら淡々と生活していくだけでも、十分に生きているぞって実感があります。大きなことを望みがちだけど、無名の人間にはそんな人生もまた面白いかも知れないなって、最近ふと思ったりします。 一日をがんばって生きて、夜寝るときに嫌なことは全部リセットし(忘れ)て、明日に備える。 がんばったことを思い返して満足感に浸りながら眠る。 そんなことを繰り返して生きていけたらいいなと思います。 そんなときに、愛する人がそばにいてくれたら言うことないですね。(^-^) 実は私、離婚をして1人になってから、何でも自分で考えて決める癖がつきました。結婚していたときは最後の決定はどうしても旦那さんに任せないといられなかったようなとこあったんですが。 もうこんな生活が3年以上続いたら、すっかりそんな体質が板についてしまいまして(笑)。 だから分岐点はいつでも1人で悩んで道を決めています。 そうすると振り返ったとき、その分岐点がとっても思い入れのあるものになっているんですよね。 ナンだか可愛くない女みたいだけど、それもまたいいかなと(笑)。 お互いこれからどんな人と出会い、どんな事に遭うのか楽しみですね。 どんなに辛いことがあっても、それはもしかして自分を成長させてくれる結果を生んでくれることになるかも知れない。 だからどんなときも希望を持って頑張りましょうね。 またお会いできることを楽しみにしています。 回答をありがとう。

その他の回答 (4)

  • sakura-77
  • ベストアンサー率27% (139/514)
回答No.5

こんにちわ!私も以前、似たようなコト(偶然=必然=運命?)に疑問を持ち、ここで質問させて頂きました。 よろしければ、参考URLをご覧下さい。 私は、偶然起こる出来事などについて、「必然」かも!?という考えです。 偶然や必然といったことを考えるのは、なかなか難しいので、 上手く説明出来ないのですが、世の中に起こる出来事の全てには、 意味があるのでは?と思っています。 仰るとおり、結局最後は、「意味の取り方」なんでしょうね。 「辛く悲しい出来事からも、学ぶ事は必ずある」 という言葉を、学生の時に先生から言われました。 本当に、そうだなぁ、と思います。 本当は必然で発生したかもしれない、私たちにとっては偶然の出来事にも、 きっと何か意味があって、それは「運命」にも繋がっているのかなぁ、なんて 漠然と考えています。 上手くまとめられなくて、すみません(-_-;) 偶然、必然、運命、縁。 考えて文章にするのって、難しいですね・・・。

参考URL:
http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=347308
noname#3557
質問者

お礼

sakura-77さん、回答をありがとうございます。参考URLを早速拝見させていただきました。 回答が17件というのはすごいですね。『哲学』のカテゴリーでの投稿のせいでしょうか、とても深い回答が多いので驚きました。 ほんの少し頭がぐるぐる・・・してしまいましたが^^;。 もしかしたら私はもっともっと簡単に『偶然=必然』というものを捉えていたかも知れないぞって思いました。 でもsakura-77さんの投稿での回答というのも、とても興味深いものがありました。 こちらで回答くださった方々の意見にもあるように、私も運命は自分で努力して変えられる部分も確かにあると思います。でもこの頃は、どうにもならないことがあるとすれば、それは素直に受け入れよう、という気持ちもだんだんと宿ってきています。それはある意味『機が熟す』のを時間をかけてゆっくり待つことができるようになった・・・というのと関係があるかも知れません。 とくに人の心なんて、いくらこっちがじたばたしてもどうにもならないモノですよね。『去るもの追わず、来るもの拒まず』とか言いますけど、人の心模様や人との出会いなんかには、このスタンスで行きたいと思うようになってきたんです。それはちょっと恥ずかしいけど、ここ最近のことです。 一度大きな失恋をして、とっても辛くて悲しい思いをしました。 私はとにかく待てなかったんです。心がざわざわしてしまって。疑いの気持ちと焦りの気持ちと、相手が去ってしまうかも知れないって予感に押しつぶされそうになってしまって。 ほんの短い時間の間で、1人がーっていろんなことを考えて結論を出したり取り消したり。 なんて大人気なかったんだろうと、今になって情けない思いがします。 これと偶然・必然っていうのは少し逸れるかも知れないけど、そのときの経験があって、何となく今の私には必然を受け入れる余裕が少しできたかなって思うんですよね。自分から運命を導くべく熱く動くことも時には必要だと思う。でも、その運命の流れを静かにじっと眺めているときも必要だよなって思えるようになったというか・・・。 だから今度恋をしたら、待てる女になるゾ!って期待を持っているんですけどね(笑)。 >私たちにとっては偶然の出来事にも、きっと何か意味があって、それは「運命」にも繋がっているのかなぁ、なんて漠然と考えています。 絶対そうです!って私も思っちゃいますね。 意味を感じつつ、生きていけたらと思います。 『縁は異なもの味なもの』 今の私にはこれが一番興味あるのかも知れませんが(笑)。 参考URLも含め、考えさせられる回答をありがとう!

回答No.4

akkochantさんよりもう少し人間を長くやってるものです。 自分の人生は自分で切り開く!!と息巻いていた若かりし頃も懐かしいけど、運命とか目に見えぬ力、そしてもしかしたら神様って本当にいるのかもしれない・・・ と思うようになった今のほうが、心が自由になって色々なことが見えるようになったし、謙虚さや感謝の気持ちも自然に湧き、肩の力が抜けて大人になった気がします。 どう努力しても叶わぬ事ってたくさんあるじゃないですか、たとえば私が人生のすべてをかけて辛い練習に取り組んでも、100メートルを10秒で走ることはできません。でもたいした努力なしに楽しんでやったことで思いがけず誉められちゃうことだってあります。 好きなことは努力と感じないでできちゃうけど、好きな事って人それぞれでしょう?好き嫌いの感じ方だってその人に運命かなと思うんです。 嫌なこと、辛いことがあったら、自分のいたらなさばかり責めないで、「こういう運命だったのよ。」と思えば楽になるし、努力が実を結んだら「フフフ!がんばったぞ~!」と威張っちゃう。でも実を結ばせてくれた人達や神様にも感謝。 私は35歳でやっとこ結婚したんだけど、その会社に転職していなければ主人に巡り合っていなかったし、そこに至るまでの様々なプロセス、失恋したことなんかも全部ひっくるめて色々あったから主人の良さもわかったのであって、社内結婚て実はありきたりなことではなく、そのように神様が采配しちゃってるのかな?なんて思っちゃいます。 作家の浅田次郎氏は、『神様にお願い事があるとき「○○をします。御笑覧あれ!」と祈る。これは効きます。』と何かに書かれていたのですが、このスタンスが正しいだろうと思います。 運命だからとなにもかもお任せではなくて、自分のするべき事はちゃんとする。望みがあったら精一杯の努力もする。けれどそれを上回る運命もすなおに受け止めて、楽しく生きていきたいものです。 3人のお子さんを抱えての母子家庭ですかぁ・・・大変ですねぇ。 母は私が2歳の時に離婚しました。保育園もない時代、社会保障も何もなく、女性の職場も非常に限られていた時代でしたから大変でした。 そんな時代に父の無い子として育った私もそれなりに色々ありました。 でもそれも運命(^o^)。 母の愛情だけはあふれるほど感じて育ったから、曲がらずに大人になれました。 忙しくても心を亡くさないでいるakkochantさんのお子さん達ならきっと大丈夫、お互いに助け合って刺激し合ってちゃんと育ちますよ!御笑覧あれ!!

noname#3557
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 >運命とか目に見えぬ力、そしてもしかしたら神様って本当にいるのかもしれない・・・ この感じは、何となくわかるなぁって思い始めています。たまに昼間車に乗ってるときに聞く『ラジオ人生相談』の中のあるパーソナリティーの人がいつも言う言葉に、『変えられることは変える努力をしましょう。変えられないことは受け入れましょう』っていうのがあるんですけど、歳を取るとともにこの、『変えられないこと』に対する諦め(?)がついて来たみたいな感じといいましょうか。諦めるっていうと情けない響きになっちゃいますが、目に見えない力に動かされることを受け入れるっていうかなぁ。そういうこともあるんだなぁ・・・自分にはどうあがいてもどうすることもできないことが・・・っていう納得というか。 まぁ、実際生活が大変で、あちこちに気負うエネルギーがないだけかも知れませんけれど・・私の場合(笑)。。 >好き嫌いの感じ方だってその人に運命かなと思うんです。 これはそういう面が大きいでしょうね。同じものを見てもキュンってする人といない人がいるんですから。だから『あの人を好き!』っていう感情はそれだけで、自分はふるいにかけられて選ばれた候補者ってことに・・・都合よく考えてます(笑)。 ご主人との出会いに関しては、そういう意味でも、惹き合う(磁石がお互いに引きつけ合うよう)にって意味でも、まさに運命を感じますね。だって、そこに至るまで、二人はお互いの存在を知らずに、別々の道を歩んできたわけで。素敵だなと思います。 お母様のお話は、とても勇気付けられました。その当時母子家庭を選択された女性は本当に勇気があると思います。今の時代なんて、へたをしたら社会保障で楽しくバツイチ♪なんて人もいると思うから。きっとお母様は真剣に自分の人生を生きて来られたと思います。その背中を見て育ったoobankobanさんが曲がるはずなんて、やっぱりないですよ。一生懸命のお母さんを泣かせたいなんて子どもはいないはずだもの。 うーん、私はがんばってはいるんですが、子育てに関しては、未経験の部分が多い長女が一番至らなさを感じていると思います。申し訳ないと思うけれど、私も並行して勉強させてもらうって感じですね。ちゃんと育って、自立して生きて行ってくれたら私の仕事はまぁまぁ及第点だったってことになるのかな。 これからも身の回りに起こることに出来るだけ感謝の気持ちを持って、偶然の不思議を楽しみながら、ちょっといいタイミングでいいことがあったら♪ラッキー♪と喜びつつ回りの人の存在も忘れないで、がんばりたいと思います。 「○○をします。御笑覧あれ!」ってのも使わせてもらいます(笑)。 人生の先輩からの言葉をありがとうございました。 とても参考になりました。

回答No.3

こんにちは。あっこちゃんさんの経験を経た、『自分の身の回りに起こる偶然には、必ず理由や意味があるのではないか』と確信するようになりました。 という言葉にはなんだか、感動しました。 全然参考にならないかも知れませんが、 大震災がありましたよね?? あれで、うちの実家は全壊になったんです。 その3年前に、母が亡くなりました。 父は、ものが捨てられない性分で、母がなくなってだいぶ経つ というのに、母が使っていたベッドのマットレスをまだ置いていたんです。 部屋が狭いので、たんすの前にたてかけて置いていました。 大震災のとき、ものづごく揺れて、そのたんすが寝ていた父を 直撃しました。でも、その前にたてていおいたマットレスの おかげで、父は命拾いしたんです!!! このとき、大震災はものすごいショックなことだけど、 父は「母のマットレスが守ってくれたんだ」と信じて ものすごく喜んで母に感謝していました。 >ただ、『人間万事塞翁が馬』という言葉もあるように、意味の取り方によって、幸不幸どちらにも取れるということもありますね。 本当に、そうかも知れません。 私も、これからいいように物事を考えていきたいです。 そして、それを気づかせてくれたあっこちゃんさんに感謝です。 どうもありがとう。あなたはステキな人ですね!!

noname#3557
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 そして私の言葉に感動をしてくれて嬉しいです。 私もfushigichanさんのお話に感動しました。 そうです!私が言いたかったことは、まさにそういうことなんですよ! マットレスのお陰でお父さんが命拾いをされたなんて、本当に感動のお話だし、 その偶然はやっぱり必然だったと思います。 そしてお母さんにすごく喜んで感謝したお父さんも素敵だと思いましたよ。 大震災はきっときっとすごくショックなことだったと思うのに、その中に意味を見い出すことができるなんて、人間ってすごいなって思います。 そんなご両親のもとで育ったfushigichanさんも、いい人に間違いないです。 私は実はときどきとっても心が狭くなって、ちょっとしたことでぴりぴりしたりするんですよ。 そんなときたまたまシートベルトしてなくて警察においでおいでされてしまったり、文字通り『泣きっ面にハチ』ってことがあるんですが、そんな状態のときでさえ考えようによってはプラスに考えることはできるんですよね。悔しい気持ちを抑えて・・・。でもそれはかなり余裕のいることでもあって、それができたときは自分は修行に耐えたんだって、ナンだか妙な感動を味わえたりします。 人に優しくできないとき、自分は心がかなり狭くなっているぞって思います。 そういうときは自分に余裕が全然ないとき。 そういうときは自分も辛いときだから、これからfushigichanのお父さんのような気持ちを思い出したいと思います。 お互いにいいように物事を考えて生きていきましょう。 回答をありがとう!

回答No.1

私も全て身に起こることは意味があると思ってます。 いいことも悪いことも、そう考えたほうが明るく生きられます。 「もし、~だったら」とか考えるとキリがないです。 それもこれも必然だったと思えば諦めもつくし、 まっすぐ前を向いて進んでいけると思いました。 ただ、私もいまだ大きな事件とは無関係な中で生きているので・・・。 説得力にイマイチ欠けるかもしれませんね。

noname#3557
質問者

お礼

回答をありがとうございます。 >そう考えたほうが明るく生きられます。 人は必ず選ばなかった方の道のことを後悔することがあるそうです。 それが「もし、~だったら」ということになるのでしょうね。 ビジョンは想像の上では一瞬のうちに叶いますからね。 でも私たちは現実の世界で生きている。 やっぱり今の道を信じて進んでいかなくっちゃ。 お互いこの先大きな事件に遭わないことを祈りつつ。 がんばって生きていきましょう。

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