要するに、現代語の「行かない、行けない」「言わない、言えない」「書かない、書けない」の違いと同じですね。
現代語だと、「行く」という五段動詞がもともとあって、それが可能動詞化して「行ける」という下一段動詞になるわけです。
だから、現代語だと「行かない」「行けない」の2パターンあるわけですね。
これを古文に当てはめてみると、「行く」という四段動詞とそれが可能動詞化した「行く」という下二段動詞があって、それぞれ「行かず」「行けず」になりそうな感じがしますが、実際にはそうではありません。
古文では動詞が可能動詞化することは無いのです。
つまり、現代語にあるような「行く」→「行ける」というようなパターンは古文には無いのです。
したがって古文には「行けず」とか「聞けず」という表現はありません。
だから「行く」や「聞く」は間違いなく四段です。
ただし、「立つ」は別です。「立つ」には四段も下二段もあります。
四段の「立つ」が可能動詞化して下二段の「立つ」になったのではなく、もともと四段の「立つ」と下二段の「立つ」の二つの動詞があるからです。
(下二段の「立つ」は「立つことができる」という意味ではなく「立たせる」という意味ですからね)
お礼
回答ありがとうございます! >古文では動詞が可能動詞化することは無いのです。 つまり、現代語にあるような「行く」→「行ける」というようなパターンは古文には無いのです。 したがって古文には「行けず」とか「聞けず」という表現はありません。 だから「行く」や「聞く」は間違いなく四段です。 『納得!』って感じです。古文には可能動詞がないんですね。なるほど~!例外は立つですね。