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戦国時代の戦場における性事情

 戦国時代の戦場における性事情について教えて下さい。 大名級になると、戦場にも女性を連れて行ったというのを何かで読んだ記憶があるのですが、定かではありません。どうだったのでしょうか???秀吉なんか女好きだったというから、とても我慢できなかったのではないかと想像しているのですが。  一兵卒は、ただひたすら我慢の戦場だったのでしょうか???それとも、近くに宿場町なんかがあれば、戦場を抜け出して、遊びに行ってたりしたのでしょうか???

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  • jkpawapuro
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回答No.5

>町を突如攻めたり城攻めで城が落ちたときに乱暴狼藉をするくらいです。……このことは、兵士の「やる気」につながったでしょうか??? もちろんです。戦国時代の戦といっても、歴史の教科書に出てくる大戦(おおいくさ)はむしろ例外です。多くの小競り合いは町を急襲して動産を奪う、奴隷を連れて帰る、田畑の収穫物を刈り取って持って帰るといったものです。もちろん現地でお楽しみもするでしょう。 そうやってやりたい放題して自分の武力を見せつける、相手の大名が現実に従属してる小領主の安全を保障できない現実を積み重ねることによって、相手の小領主に自分の側に寝返ることを促し勢力をのばしていくんです。 連れて帰った奴隷は身代金と引き換えに開放、奴隷として売る、褒美に持って帰って妾にする等等です。

noname#238475
質問者

お礼

再度ご回答いただきましてありがとうございました。 戦国時代の1面が見えたような気がします。

その他の回答 (4)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11083/34537)
回答No.4

衆道は、武士の嗜みのひとつでございました。もちろんそういう趣味の庶民もいたでしょうけどね。ですので、武士ではない秀吉はそちらのご趣味はお持ちではなかったようで、もっぱら女性ばかりを追いかけていました。 さて、飲む打つ買うは男の三拍子でございます。それはいつの時代でも永遠に変わることはないでしょう。打つに関しては博打禁止令は度々お触れとして出ていました。飲むに関しては「足軽に兵糧米を配るときは当日分しか配ってはいけない。まとめて配るとアイツら酒にしちゃうから」という記録が残っております。 残るは買うになるわけでございますが、そりゃね、何百人何千人何万人という男たちが集まっているわけですよ。そこを商機と捉えられないようでは商人は勤まりません。軍勢の後には女衒と娼婦がぞろぞろとついていったわけですよ。 それは別に戦国時代に限った話ではありません。中世ヨーロッパの戦争では、軍隊の後ろにはその軍隊に食事や酒などをサービスする商人の馬車や兵士のお相手をする娼婦たちがぞろぞろと列をなしてついていったといいます。戦争をしに行くかお花見にでも行くのか分からないくらいですよ。 日本軍とて何かと話題の慰安婦さんたちがいました。騙された女性も少なからずいたでしょうが、自らの意思でやっておられた方もいたでしょう。日本軍に限らず、ベトナム戦争のときはベトナムに米兵相手の商売女は大勢いました。最近の紛争地帯は中東辺りが多いので、そこんところは色々とうるさいようです。 自衛官の子から聞いたのですが、ソマリアの海賊対策のために国連軍がソマリア海域に展開していて(海自もそのうちのひとつ)、ソマリア海域に展開する各国海軍艦艇の現地での補給地がジブチで、そこでは日本円で千円で現地のねーちゃんが買えたんだそうです。 話を戦国時代に戻せば、とかくそういう戦乱の世ではあったので、いつ死ぬか分からないから楽しいことはやれるうちにやっておけの精神はあったと思います。 日本に来た宣教師が「日本人に処女を大切にと説いてもみんな笑ってとりあってくれない」ってグチる手紙が残っています。 また当時は武士ではない庶民の間では「生まれた子供はどんな子供でもめでたい」という価値観がありました。そりゃ逃げ遅れた女が乱暴されたなんてことは日常茶飯に起きたでしょうし、それで妊娠することだってよくあったでしょう。父ちゃんが出征している間に母ちゃんの腹が大きくなっていたことをいちいち気にしていたら戦国時代の庶民なんてやってられなかったでしょうね。 ついでに日本は衆道があったくらいで同性愛にも大らかでした。歌舞伎というのは最初は「レズストリップショー」だったんです。女同士が出てきて脱いで絡み合うんです。だから出雲阿国はダンサーでありストリッパーであり娼婦。今でいうならAV女優ですな。んで、これが風紀を乱すということで禁止されましたら、「若衆歌舞伎」になったんです。若い少年たちが脱いで絡むショーになった・笑。ボーイズラブなんて400年前からあったのです。そいでこれまた風紀を乱すということで禁止されまして、今と同じスタイルの「野郎歌舞伎」になったのです。

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。 ご回答は、時代を問わず、戦時に当然生じる問題として、……後始末の問題として生じるがどうかは別にしても、……納得です。 ただ、1点だけお考えを披露していただければ有り難いです。 衆道は、武士の嗜みのひとつでございました。……私は戦の経験はありませんが、どちらかというと秀吉派だと確信できます。(*^_^*)それで「衆道が、武士の嗜みのひとつ」となった背景というか、「信長と秀吉の違い」というのは何でしょうか???という疑問が生じます。単なる「出自」の違いだけでしょうか???

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.3

大名級といえども戦場に女性を連れて行くケースは極めて稀です。 兵卒も勝手に部隊を離れることはできません。 町を突如攻めたり城攻めで城が落ちたときに乱暴狼藉をするくらいです。 色小姓は小姓ですから当然近くに居ますが、そういう機会があるのは寺などの宿営が用意できたケースでしょうからだいぶ限られると思います。

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。 町を突如攻めたり城攻めで城が落ちたときに乱暴狼藉をするくらいです。……このことは、兵士の「やる気」につながったでしょうか???私だったら、血眼になっていたような気がするのですが、殿様はそのことを戦術的に利用したでしょうか???土地でいえば「切り取り次第」、女であれば「刈り放題」なんて。

  • 177019
  • ベストアンサー率30% (1039/3444)
回答No.2

先程の回答者は「衆道」と仰いましたが、前田利家もそうですが、「色小姓」となって出世して行ったと思います。NHK大河ドラマ「おんな城主直虎」第42回「長篠に立てる柵」の中で、菅田将暉演じる虎松(万千代)が家康から寝所に呼び出されるシーンがあり、もうしかして色小姓として家康から求められるのでは?との想像するシーンがあります。このシーンは戦場では無いにしろ、イケメンがもてはやされた時代だったと思います。

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。 菅田将暉演じる虎松(万千代)が家康から寝所に呼び出されるシーンがあり、もうしかして色小姓として家康から求められるのでは?との想像するシーンがあります。……このシーンは私も覚えています。 イケメンがもてはやされた時代だったと思います。……武士って不思議な生き物ですね。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2590/17104)
回答No.1

戦地では女性を連れていけないことが多かったので、「衆道」が多かったと言いますね。織田信長と森蘭丸などは有名です。

noname#238475
質問者

お礼

ありがとうございました。 戦地では女性を連れていけないことが多かったので、「衆道」が多かったと言いますね。……ということは、仕方なく「衆道」に走ったということでしょうか?私の質問のポイントの一つです。信長には、優しい側面もあったようですが、我が儘人間の典型のような気がするのです。 女性が好きであれば女性を戦場に連れて行ったような気がするのですが、どう思いますか???

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