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徳川吉宗誕生について
徳川吉宗は父親の光貞が入浴中に湯殿番だった母、お由利の方に欲情して生まれたと聞いたことがありますが、「湯殿番」というのは、そういう相手をするための役職だったのでしょうか。
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例えば,徳川家光氏の側室の一人,お夏の方(町人の娘で,徳川綱重氏の母親)なども,もともとは,大奥内の御末という,最下層の女中の身分で,大奥内での,徳川家光氏の,入浴(風呂)の世話をする,御湯殿という係をしていた際に,家光氏の目に留まり,お手付きとなり,側室になったとかですし,将軍や殿様の,湯殿の係から,側室になった,身分の低い女中は,大奥や,大名家では,多かったようですね‥‥‥しかし,家光氏の一件以来,将軍が,大奥内で,湯殿(風呂)に入ることは,禁止されたようですので,紀州藩出身の,徳川吉宗氏の,父親の場合ですと,時代が,少し下がりますので,紀州藩などでは,そういう,奥向きでの,女中の湯殿係が,依然,まかり通っていたのかもしれません..
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- jkpawapuro
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基本的にはただの下働きです。 ただ大名館で働く女性というのは、基本的には殿様に見初められたらそういうことはありえるということになります。
- lions-123
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諸説はあるが 基本、奥では殿様はオンリーワンの男性(去勢された茶坊主や男色の少年等を除き)であり、しかも実質として生殺与奪の権能を一手に握る独裁者的存在であったので、湯殿番という役目は別として、すべての事柄の世話と介添え思い付&欲求のままにさせていたのだから、その人選や御意に応じ、浴場でSEXしたのかどうかは別として、見初めたり欲したら、場所を選び統治機能を使い、その欲求の相手に指名し、閨にての相手をさせる場合もあったと思います。 ※関連記事 https://www.bing.com/search?q=%E6%B9%AF%E6%AE%BF%E7%95%AA&form=EDNTHT&mkt=ja-jp&httpsmsn=1&refig=6a4fda7afb004faef84c4f3ffb0b8761&PC=LCTS