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お伊勢参りとは?江戸時代から続く日本の伝統的な旅
- 江戸時代中期以降、大坂の町民らの間で、伊勢神宮を目指す旅が盛んになった。
- 参拝者は年間数百万人との史料もある。
- 街道沿いには、参拝者を迎えた石灯籠や宿場町が今も残っている。
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1:お伊勢参りと行っても、どのような観点によるサイトをお探しでしょうか。それがわからないことには…。 「お伊勢参り」や「おかげ参り」で検索なさってはいかがでしょうか。 2:江戸時代は不定時法ですから、日の出・日没を基準に、時刻の区分が季節ごとに変動します。「七つ」も厳密には「午前4時」ではなく「午前4時頃」と「頃」をつけて幅を持たせます。ちなみに「明け六つ」=夜明けの約30分前、です。 (参考)レファレンス協同データベース-「お江戸日本橋七ツ立ち」の「七ツ」は現在の何時か。 http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000023665 日の出の時刻を現代の時刻に置き換えるなら、現代の(季節ごとの)東京の日の出時刻を参照なさってください。 「お江戸日本橋」に歌われている季節が特定できれば、「七つ」や「夜明け」の時刻も絞り込めるでしょう。 3:そもそも、質問文にある歌「お江戸日本橋」は、お伊勢参りの歌ではありません。東海道五十三次の宿場を詠み込んだ歌です。東海道の終点は京の三条で、伊勢には行けません。東海道から伊勢方面へは、日永の追分(現・四日市市)で伊勢街道へと分岐する必要があります。 「初のぼり」は、初めて京都へ上ることですが、具体的には、江戸の大店に長年勤めた丁稚が初めて故郷に帰省することを言うそうです。 その他にも、江戸から東海道を通って移動する人は大勢いたことでしょう。江戸の出入り口には、夜間は閉まっている木戸があり、その木戸のところでは大勢が木戸が開くのを待っていて、木戸が開いた途端に行列をなして動き出す、という情景でしょう(木戸が開くのは明け六つなので「七つ立ち」では時間が合わないという指摘もあります)。
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- fujic-1990
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質問2:高輪で夜が明けるのだそうですが何時ごろ何でしょうか? 私も興味があって検索していたら、品川宿まで約2里強というところのようですので、ま、高輪まで2時間弱というところではないでしょうか(土地勘がなくて自信もありませんが、高輪は品川の手前のはず)。 夜明けの時刻は、季節によって大きく違います。まあ、出発してから2時間後くらいだと考えておけば大過なかろうと思います。 質問3:行列揃えてという歌詞:そんな団体を編成するのでしょうか? 「七つころ、大名が日本橋を出発した」という説明を見かけました。行列を揃えたのは大名なのかな、理屈にはあってるな、と思いました。 が、1つの可能性としては、アチコチの「伊勢講」を「伊勢の御師」(今なら伊勢神宮の関係者兼ツアーコンダクター)がまとめて案内するため1カ所に集め、結果として行列になったのかもしれません。
お礼
ありがとうございました。 その通りでしょうね。 ありがとうございました。 まぁ6時であれば冬間はまだ暗いでしょうが、昔の冬に旅はしなかったのでしょうね。
お礼
詳しく、正確なお話ありがとうございました。 まぁ、お江戸の風情を感じたかったのです。 ありがとうございました。