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江戸時代の旅行

江戸時代、たとえば越後のちりめん問屋が諸国漫遊の旅をするということは、許可されたのでしょうか。もし、正直に申告すると許可されないとなれば、伊勢まいりを主目的にして申告し、寄り道を楽しむという方法をとったのでしょうか。

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  • 6dou_rinne
  • ベストアンサー率25% (1361/5264)
回答No.1

農民の場合は旅行も許可が必要というところはありましたし、農閑期以外には長旅は許可されないなどの規制がありましたが、町人であればそういう許可は特に必要でなくどこへいこうと漫遊しようと自由でした。 領主によっては規制があったところもあるかもしれませんが、黙って出かけてしまえばわかりません。 伊勢参りに出かけて、京都や金毘羅さんまで寄り道をしたというような礼はたくさんあります。 ただ、庶民が自由に旅行できるようになったのはあくまでも江戸時代後期で、元禄時代であれば関所も厳しくそう自由に旅行できるだけのインフラもまだ整ってはいませんでした。

kokutetsu
質問者

お礼

町人は自由だったのですか。勉強になりました。ありがとうございます。

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その他の回答 (1)

  • ss79
  • ベストアンサー率33% (258/765)
回答No.2

江戸時代、農民は納税者の主体でしたから土地に縛り付けておく必要がありました。 従って原則として旅行の余裕も必要性も無かったと思います。  せいぜい近場の温泉に湯治するくらいでしょう。 農民が故郷を離れるのは逃散や一揆くらいでしょう。 いずれも違法行為でした。 これに対し町人は年貢という納税義務はなく(冥加金や登録税など不定期な出費はありました)経済的な余裕もあり、経済活動を行うためにも旅行の必要性がありました。 従って江戸時代中期以降旅行が盛んになったのでしょう。 それも旅行の目的や目的地を明確にした手形を手に入れてのことでした。 諸国漫遊のような旅行は行者や僧侶、芸人でなければ出来なかったと思います。 伊勢参りが爆発的に流行したのは幕府の統制が緩んだ江戸後期のことです。

kokutetsu
質問者

お礼

農民は町人にくらべて、つまらないようですね。ありがとうございました。

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