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入府と入部の違い
家康は、天正18年(1590年)、新しく領地となった江戸に入るのですが、これを「入府」とする資料と「入部」とする資料があります。 どちらでもよいのかも知れませんが、何か違いがあるのですか。 入府は、国語辞書では「府内にはいること。都にはいること。」と書いてあります。 よろしくお願いします。
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たぶん入府とされた資料は江戸時代に書かれたものでしょう。 江戸時代の人はすでに江戸幕府が開かれているので江戸に入ることを当然に入府と言いますから、そのノリで開幕以前の移封であることを意識せず使ってしまったと考えるのが妥当かと思います。 ただ府中という言葉は現在で言うところの県庁所在地をさす言葉です。 wikipediaで府中を調べると守護所ってやつがでてきます。 武蔵の府中は江戸ですし、駿河の府中は駿府(現静岡市)ですし甲斐の府中は古府中(現甲府市)です。 つまり家康が武蔵の中心である江戸に入ることを入府と表現するのは、日本語上間違いではありません。
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- oska2
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>家康は、天正18年(1590年)、新しく領地となった江戸に入るのですが 逸話では、小田原城攻撃中の「英雄二人の立ちションベン談義」で秀吉から命令された事になっていますね。 >これを「入府」とする資料と「入部」とする資料があります。 1590年だと、未だ江戸幕府は誕生していませんよね。 未だ、三河から江戸へ配置転換になっただけです。 ですから、「入部」が正しいと聞いた事があります。 1603年、幕府が誕生してからは江戸城下が府内となります。 結果、以降は「入府」となる。^^; 日本は、某反日国家と異なり「為政者が都合よく決めた正しい歴史物語」は存在しません。 各々が、自由に考えればそれが正解です。^^;
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね。 とくに私は質問する方ですから、用語にいちいち悩む必要はないですね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 武蔵国の府中は江戸だから、家康入府と表現しても何ら差し支えないということですね。 納得しました。