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自分が若いと錯覚するのでしょうか?

学校の先生は子供たちと居ると自分が若いと錯覚するのでしょうか? 私の彼は教員です もうおっさんなのに自分は若いと思っています (本気で) 教員とはそういうものなのでしょうか? それとも独身で子供がいないからそう思うのでしょうか?

みんなの回答

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7250)
回答No.4

教員がどうか、という職業の問題ではなく、人を教える人間にその傾向はあります。 理由は、「わからない人間がなぜわからないか」を理解共感しようとするからです。どう説明したらわかるか、感激するか、をいつも考えようとするからえです。 自分はわかっている、そんなことはどうでもいいのです。わからない子はなぜ理解できないのかが重要です。それは何かの心理的な原因があって、わかろうとしない場合もありますし、必ずしも不勉強とか頭脳の性能のせいじゃないんです。 そのとっかかりはこうじゃないか、と考えてその方面から説明をしてみると、うわ、そうか、という表情をすることがある。この瞬間に自分も同じ経験をそこでして感動するのです。 その瞬間には、説明している10歳の少年と自分は同い年で、共感しているのです。 そういう体験を、教える人間はしばしば行います。 会社なんかでも、あの人に訊いたらわかるという定評のある人は、なぜわからないかを共鳴する努力をしてくれ、いま質問している内容への答えばかりじゃなく、これから出会うだろういろいろなことまで含めた対処法を提示してくれます。そしてどの段階での表情は、今悩んでいる新入社員と同じ顔になっているのです。 別に若いつもりとか若ぶるというのではなく、自然に同じレーンで並走している顔になっているんです。 これは、一時的にせよ、その分らんチンの無教養の若僧と同じところにいることになりますから、自分自身の顔もをのレベルに戻っています。 相手の顔を立てるとか場をおさめようとするような表情ではなく、知らねえぞおれは未熟だぞバカだぞ、という顔付になるんです。 これ、偏見のつもりはないですが、傾向があって、年取って白髪になる人はこういう若者共感型の顔つきの人が多く、禿げていくひとはあまりそうではないのです。おそらく、若者のほうで禿げはあまり共感できないという仕切りをたてるんじゃないかと考えます。 私、物理学系統の研究者崩れの人間なんですが、学者でも2通りあり、学生なんてもの知らずで無能で何もできないのを、一緒になってほーん、そうかそうかと一緒に数式を追い書き換えてこうじゃないの、こう考えれないかな、と言ってきてくれるひとと、なーんでそんなことがわからんの、よく頭冷やせ、という態度の人が居ます。どちらでもまあわかるようにはなるんですけど、前者の教授の顔つきはほとんど少年っぽいのに後者は仙人ふうですね。 まだ私の学生時代生きていたひとでいうと、朝永信一郎というひとが明らかに前者でした。 禿げている有名な人は名を出しませんけど、ご想像ください。 高橋龍太郎というひとは80過ぎてこちらがおびえるくらい若々しく、あちらからこっちに立てつづけに質問する人でした。 これは自分に子供がいるいないは関係なしで、要するに若者に憑依できるかどうかだと思います。

回答No.3

子からエネルギーをもらっているんじゃない?教育熱心と思います。今や教職はサラリーマン化しており差して会社と相変わりません。両親共に先生と言う立場でしたが、好奇心は旺盛ですが、若くはなく寄る年並みです。

回答No.2

小学校→中学校→高校→大学→学校の先生。 一度も大人の社会に出たことがありません。大人の感覚を身に着けるのは時間がかかると思います。 私の周りにいる学校の先生も年配の方を除けば、おしなべて幼稚です。 指摘はしませんが、そんなもんだろうとは思っております。

  • kogoefuyu
  • ベストアンサー率10% (64/610)
回答No.1

意識できない部分での同調や、影響される傾向はあると思います。 周囲に流される部分は誰しも起きてきます。 これは仕方のないことです。 お化粧やファッションが時代潮流するのに似ています。 あまりその中心から偏在する人はいつも少数派になることから、無意識的にも同調し靡いていることがわかります。

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