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【再質問】佐世保鎮守府第二砲艦隊
以前、以下の質問をさせていただいた者です。 佐世保鎮守府第二砲艦隊 https://okwave.jp/qa/q9349520.html その後調べてみて分かったことは、 (1)佐鎮所属の艦隊ではなく、特設艦船部隊令によって編成された特設砲艦隊 (2)昭和12-13年に一度存在し、昭和16-18年に二代目として編成 (3)昭和17-19年頃に所属していた艦は、萬洋丸、神津丸、大興丸、億洋丸 (4)昭和18年3月15日に解隊 ということでした。 ここで質問なのですが、 (1)特設砲艦というのは、どのような経緯で建造され、その兵装はどういったものだったのでしょうか。 (2)特設砲艦の乗員というのは、基本的に軍人だったのでしょうか。元々の乗員がそのまま徴用ということもあったのでしょうか。 (3)同じ船であっても、人員はあちこちの鎮守府や警備府等から集められたのでしょうか。 以上、よろしくお願いします。
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- eroero4649
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1 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E8%A8%AD%E8%89%A6%E8%88%B9 http://www.geocities.jp/tokusetsukansen/J/110/index.htm 要するに民間船を徴用して海軍船として使ったということですね。有名なのが、当初貨客船として作られてから戦時中に空母に改装された飛鷹と隼鷹です。 ごく一部の船を除けばガッツリ武装されたものはなく、機銃だけとってつけて武装した程度のものだったようですね。 2 砲艦長は海軍軍人だったようですが、各船のキャリア記録を見てみると予備役の士官が艦長になっていた例も多いようですね。現役の士官がどんどん戦没していったからでしょう。 元の乗組員じゃないと細かいところまでは分からないことも多かったと思うので、元の乗組員が動かしたのが基本だったと思います。 大戦では、海軍の軍人より民間船の乗組員のほうが死亡率は高かったのです。半分以上の船乗りがお亡くなりになったそうです。そういう人たちは、こういう船の乗組員の方々だったのでしょうね。 3 ほとんどの徴用船が戦没しているようなので、実態はほとんど分からないでしょうね。当然作戦中に戦死者が出て人手が足りなくなるということもあったでしょうからね。空襲で失われた資料もあれば、終戦時に資料を焼却したものもあったでしょうし、戦後の混乱で行方不明になった資料もあったことでしょう。
お礼
遅くなりましたが、ご回答ありがとうございました。